中森明菜を取材中の記者が次々倒れて…! 元芸能カメラマンが目撃した恐怖と奇跡

2022年2月6日(日)9時0分 tocana

——数々の伝説的芸能人と交流し、知られざる姿を目撃してきたカメラマン「YAHIMONときはる」が今明かす真実!


 筆者の机にあるこの写真は、中森明菜を世に出した「スター誕生!」(日本テレビ系) のチーフプロデューサーを務め、平成15年に亡くなった池田文雄氏の遺影である。数多くのスターを見出し、筆者自身も大変お世話になった池田氏。その御姿はこれまでほとんど世に出ていないが、この写真は筆者が撮影し「良く写っているから使っていいぞ」と、生前にお墨付きをいただいたものだ。そんな池田氏が、鬼籍に入られる数年前、筆者に「明菜にはずっと光輝いていてほしい……」と仰ったことから、今でも折に触れて彼女のCDを池田氏の遺影の前に置き、筆者なりの供養を続けている。


 あれは筆者が、芸能カメラマンになって3年目の1982年4月のことだ。後楽園ホールの楽屋で、「来月デビューする中森明菜だよ、可愛く撮ってあげてよ」と池田氏から中森を紹介された。彼女は礼儀正しく、初々しく挨拶してくれたが、元来霊感の強い筆者は、それまでに出会ってきた女性アイドルとは違う言い知れぬ霊気を感じて不安を感じていた。そして、その不安はすぐに現実になってしまったのだ。


■記者が次々と倒れて…!


 その日、デビューを間近に控えていた中森明菜は「スター誕生!」公開収録の客入れ前に、楽屋で新聞社による取材を受けていた。後楽園ホールの楽屋は、ステージ裏側の半地下の場所に個室がいくつか並ぶ造りだったが、とにかく狭いため着替えの時以外は扉を開けたままにしておくことが多かった。中森の取材も扉を開けたまま行われていたのだが、筆者が廊下でスタッフさんと雑談していると、楽屋から「大丈夫ですか? これ飲んで下さい!」と中森の叫び声が響いた。


 慌ててスタッフと楽屋を除くと、新聞社の男性記者がうずくまっており、中森が楽屋にあった水を飲ませていた。なんとかこの記者は回復し、無事に取材は終了。15分後に雑誌の女性記者による取材も始まったのだが、なんと、この女性も同じように貧血を起こし、やはり中森が水を飲ませることで回復したのだった。


 これほど不思議な出来事がこうも立て続けに起きるものなのか? 筆者は、ロビーの公衆電話から知り合いの霊能者に電話をして事情を話した。すると、「後楽園ホールの試合で命を亡くした選手の霊が中森明菜を認めてしまい、意地悪な質問をした記者に悪戯してたようですね。中森明菜も無意識ながら、それ(霊の仕業)を感じ取っていたのではないか。人気が出るにつれて危険な霊も忍び寄ってきそうな女性かもしれない」との回答だった。



■突然、声が出なく… しかし奇跡の復活


 それから4年が過ぎた昭和61年、中森明菜は立て続けにヒット曲を飛ばす大スターになっていた。ある日、前出の池田氏が手掛ける歌番組「ザ・トップテン」(日本テレビ系)の生放送に出演するため、中森明菜は渋谷公会堂(現LINE CUBE SHIBUYA)にいた。そして筆者も、雑誌の撮影のため本番前に会場入りし、知り合いのスタッフとの会話を楽しんでいた。


 そんな時のことである。中森明菜の楽屋にスタッフが何度も出入りしていることに気付き、理由を訪ねると「明菜ちゃんが……突然、声が出なくなったんです。さっきの音合わせでは普通に歌っていたのに!」と慌てふためいている。その瞬間、筆者の脳裏に4年前の出来事が浮かび、言い知れぬ不安を覚えて霊能者に電話した。すると次のような答えが返ってきた。



「渋谷公会堂は、二・二六事件に関与した青年将校たちが処刑された東京陸軍刑務所の跡地ですからね。中森明菜さんの髪型と着物風の衣装が、当時(二・二六事件が発生した昭和11年)の女性に見えてしまった将校たちの霊が、彼女の気を引こうとしてるだけ。大丈夫ですよ、彼女は。霊を跳ね退けるどころか、逆に味方につけて本番では歌いきりますよ」


 そして霊能者の見解通り、本番の中森明菜はセルフプロデュースしたオカッパのウィッグに着物を模した個性的な衣装で「DESIRE」を完璧な声量と軽快な振り付けで歌い上げたのだ。自分で気づいているかはいざ知らず、霊さえ味方につける力を持つ彼女が、再びファンの前で熱唱してくれる日が来ることを願ってやまない。

tocana

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