「そのときが最後だから精一杯やろう」樋口美穂子が教え子に贈る珠玉の言葉

2024年2月10日(土)8時0分 JBpress

文=松原孝臣 撮影=積紫乃


「今辛いのと試合のときに泣くのとどっちがいい?」

 樋口美穂子が創設した「LYSフィギュアスケートクラブ」は拠点とする練習リンクを持たず、複数のリンクを使いながら練習のスケジュールを組んでいる。

 その分、練習時間は短くなるが、だからこそ「練習の質を高めることで補える」という発見もあった。そのためには準備が大切だという。

「氷の上だけじゃなく、氷の上じゃないところもちゃんといい練習ができる準備をしなさい、ということを話しています。ケアやトレーニングですね。朝貸し切りがあるときにやっぱり眠いのでぎりぎりまで寝てちょっとストレッチして練習する。するとやっぱり体が動かないですよね」

「例えば」と上薗恋奈(うえぞのれな)の取り組みをあげる。上薗は現在中学1年生。今シーズンはジュニアグランプリファイナルで銅メダルを獲得、全日本選手権では大会最年少ながら4位となるなど飛躍を遂げ、世界ジュニア選手権代表にも選ばれた。

「上薗さんは午前6時の貸し切りのときは4時に起きてストレッチしてトレーニングしています」

 準備に取り組む姿勢がうかがえるが、全日本選手権では緊張を思わせない堂々とした演技をショートプログラム、フリーともに披露した。特にフリーは最終滑走でありながらノーミスで滑り切った。

「素直であることがよさです。一見素直だけど本心では受け入れていないだろうな、という子もいますが、あの子はほんとうに素直に受け入れる。みんなに『本番だけ頑張るんじゃなく練習通りやればいいと思ったほうが気が楽でしょう、だったら練習でいつも本番と思ってやらないとだめ』と言っていますが、そのまま受け入れられる。

『練習が辛い』というときもあります。『今辛いのと試合のときにできなくて悔しいって泣くのとどっちがいい?』と聞くと『今、辛い方がいい』と言って頑張る。全日本は練習通りできました。ただ、それも難しいことだからすごい頑張ったなと思います」

 全日本選手権のフリーのあと、上薗は樋口にかけられた言葉が大きかったことを明かしている。

「(樋口に)『13歳で出られる全日本はこれが最後だよ』と言われたので、今に集中してやりきろうと思いました」

 樋口は言う。

「私はどの試合も、大きい小さいに関係なくそのときそのときが最後だから精一杯やろうって言ってきました」

 そのうえで、上薗にかけた言葉には別の思いもあった。


「応援したくなるよねって思われる選手にならないと」

「(宇野)昌磨が記者さんに『全日本出場は13回目』と言われて、『13歳の子がいるんですよね』みたいなことを答えたそうです。それを知ったとき、13年前って恋奈ちゃんが生まれた年なんだと思って、13歳の全日本はこうだったな、という気持ちを大事にしてほしいなと思いました」

 再び上薗についてこう語る。

「素直で、そして真面目なんですね。すごい疲れてるんだろうなと感じるときがありますが、それでもやらなきゃ、となってしまうので、オンとオフを切り替えることの大切さを伝えています。『今日はこれくらいでやめておこうね』と言うとちゃんとやめられるようになってきています。あの子は今、吸収がすごい時期で、そういうのもすべて勉強中です」

 全日本選手権にはもう1人の教え子、河辺愛菜も出場していた。北京五輪に出場した河辺はLYS創設とともに以前の所属クラブから移ってきたが、全日本はショートプログラムで5位につけながらフリーで18位、総合13位の成績で終えた。そのフリーのあと、「どこを改善したらいいのか、分からずにいて」と整理がつかないようだった。

 樋口は言う。

「3年くらいかかるのかなと自分では思ったりもしています。恋奈ちゃんはわりと小さい頃からみていたので性格などいろいろなことを考えてアドバイスしたりしていますが、愛菜ちゃんはまだ1年半ちょっとなので『どうなんだろう』と考えながら進めています。

 愛菜ちゃんに言っているのは『魅せるスポーツだから、悔しかったら悔しいって落ち込むのは良くないよ。常に見られているのを意識しなきゃ。応援してくれる人が多い方がいいし、全然知らない人にもあの子、応援したくなるよねって思われる選手にならないと』ということ。まだ余裕がないのかな。でも、ずいぶん変わりました。皆さんに、『顔が変わった』『あんな風に笑うんだ』と言われるんです。彼女は彼女のよさで応援されると思うし、時間をかけて取り組んでいきたいですね」

 それぞれの教え子に対する、あたたかさを含んだまなざしがあった。

 そのまなざしは、今教えている選手に限らなかった。(続く)。

樋口美穂子(ひぐちみほこ) 山田満知子コーチのもとでフィギュアスケーターとして活躍し1981年の全日本ジュニア選手権2位、全日本選手権出場などの成績を残す。二十歳で引退し、山田のもとでコーチとなる。2022年世界選手権で優勝しオリンピックでも2大会連続メダルを獲得した宇野昌磨をはじめ数々の選手を育てた。2022年3月、「LYSフィギュアスケートクラブ」を創設、指導にあたっている。振り付けも数多く手がけている。

筆者:松原 孝臣

JBpress

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