真言宗密蔵院の和尚・名取芳彦が教える、誰にでもある「認められたい」欲のしまい方。人と比べない勇気を持てば、輝いている本来のあなたが現れる

2025年2月14日(金)12時30分 婦人公論.jp


人には、認められたい、目立ちたい、不安を隠したいなどの欲求があります…(写真:stock.adobe.com)

面倒ごとの9割は、人生で身に着てきた「こだわり=執着」のしわざと説くのは、真言宗密蔵院住職の名取芳彦さん。心おだやかでいられる時間と事を増やすには、「執着じまい」「こだわりじまい」「面倒なことじまい」が必要だといいます。執着の手放し方について説いた『60歳を過ぎたら面倒ごとの9割は手放す 我慢してばかりの人生から自由になる54の教え』より一部を抜粋して紹介します。

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欲のしまい方


人には、認められたい、目立ちたい、不安を隠したいなどの欲求があります。

そう考えると、つい見栄を張ってしまうのは、認めてもらえていない今の自分に自信がないことと、裏表のようなものなのでしょう。

アメリカの作家であり、医師のオリバー・ホームズの名言に、「注目されたいという願いほど平凡なものはない」がありますが、目立ちたい気持ちの裏には、自分を特別な存在に見せたいという願いがあります。

これに対して、1つの解を与えてくれるのが、お釈迦(しゃか)さまが誕生して最初に口にした「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん/天の上にも天の下にも、自分という存在そのものが尊い)」という言葉です。

これは、人類初の人権宣言とも言われます。あなたは生まれたときからずっと、世界で唯一の人間です。それだけで充分特別です。

もし、特別な人間だと思ってもらいたいなら、自己アピールをして見栄を張るのは逆効果。自分なりに特別でいれば、それでいいのです。あとは他人が判断する問題です。

見栄を張っても、よいことはほとんどありません


不安を隠したいがために見栄を張るのは、自分はたいしたことがないという劣等感を隠すため。その劣等感は、見せかけの見栄では埋められません。

見栄を張っても、よいことはほとんどありません。試しに、あなたの周りにいた見栄っ張りの人を思いだしてみてください。

食事をおごったり、高級品を身につけたりするのにお金がかかります。本当の自分をさらけ出していないのが周囲にわかるため、信用されにくくなります。

自信がないために話を盛ったり、大げさに話したりしているのは自分が一番わかっているので、ますます自信を失い、ますます見栄を張ることになります。

まさに、癒えない喉の渇きを潤すために、海水を飲むようなものです。

見栄を手放し、等身大の自分で歩く


次に、あなたが見栄っ張りな人にどう対処したかをふり返ってみてください。

話半分だと思って、多くを聞き流すでしょう。距離をおいたり、ときには、「そんなに見栄をはらなくても」と、ズバリと指摘したりしてきたでしょう。

私は「そのうそ、ほんと?」と、冗談っぽく相槌を打つのを常としています。見栄を張りたい自分を意識するのは、今の自分を否定しなければならないので、とても勇気が必要です。

しかし、人生後半では、その勇気を出し、見栄を手放し、等身大の自分で歩いていきたいものです。

そのためには、コツコツと重ねてきた「お礼が言える」「笑顔で挨拶ができる」「やれることはやっている」などの小さな成功体験をふり返ることです。

自分で自分を認められれば、見栄を張る必要はなくなります。五段階の成績表で、一から五の子どもの割合が決まっていたのは昔の話。現在は、その子ができたかどうかの絶対評価に変わっています。

しかし、成績や偏差値などで、他と比較して自分の場所(ランク)を確認するのが当たり前の時代に育った世代は、比べてしまうというクセが抜けず、心乱れることが多くなります。

ある僧侶は「比べて喜ぶと、他を傷つける。比べて悲しむと、己を失う」という名言を残しています。

ねたみがあなたの心をねじ曲げてしまう前に


誰かと比べて自分のほうが勝っていると思うのは、ある意味で傲慢です。

もし相手がそれを知れば、見くだされている、バカにされていると思うでしょう。これが「他を傷つける」という意味です。

ヘタをすれば恨みを買うことになるので、心はおだやかでいられません。一方、誰かと比べて悲しめば、自分を惨めにします。

競争で2位の人がやることは、悲しむことではく、自分の実力をアップさせる努力です。惨めになったり悲しんだりすれば、自分がやるべきことが見えなくなってしまいます。

これが「己を失う」という意味です。


人と比べるのをやめる(写真:stock.adobe.com)

比較をしてもいいのは、2つの場合だけ


1つは、過去の自分と今の自分を比べて、よくなったところを発見すること。

「昔はつまらないことで意地になっていたけど、今では大抵のことは『たいした問題ではない』と思えるようになった」と自分をほめられるようなら合格です。

2つ目は、比べてうらやましいと思うことです。

「うらやましい」は自分もそうなりたいという願望が含まれています。そのために努力すればいいのです。努力できないなら、相手を称賛して終わりにしましょう。

人をうらやみながら努力しないでいると、「うらやましさ」は相手を引きずりおろしたいという「ねたみ」に変貌し、あなたの心をサザエのしっぽのようにねじ曲げてしまいます。

他と自分を比べて得意になりがちな人、逆に、他と自分を比べて劣等感にさいなまれている人は、比較してしまう環境から、意識的に自分を離しておいたほうが心はおだやかでいられます。

私は50代になってから、5年ほどかけて比べることから離れられました。

比べない勇気を持てば、気持ちがとても楽になり、心を覆っていた雲が払われ、誰とも比べなくていい、輝いている本来のあなたが現れます。

※本稿は『60歳を過ぎたら面倒ごとの9割は手放す 我慢してばかりの人生から自由になる54の教え』(アスコム)の一部を再編集したものです。

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