朝ドラ『ブギウギ』タナケンのモデル・喜劇王「エノケン」、一度聞いたら忘れられないダミ声の魅力と天性の才能とは

2024年2月20日(火)6時0分 JBpress

(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)


「喜劇王・エノケン」を知っていますか

 昨年(2023年)10月から始まったNHKの朝ドラ『ブギウギ』の評判がよろしいようで、淡谷のり子、笠置シヅ子など戦前・戦後の昭和歌謡を愛する者としてはうれしい限りです。

 ドラマのモデルとなった人物として、そのほかにも服部良一、吉本穎右(えいすけ。吉本興業の御曹司)、吉本せい(吉本興業の創業者)らが登場していますが、年が明けた1月第3週からそこに加わってきたのが、「エノケン」の愛称で知られた喜劇俳優・榎本健一です。

 朝ドラでは、生瀬勝久が棚橋健二、通称「タナケン」として演じていますが、初登場シーンを見たところ、このタナケンさん、仏頂面で愛想がよくない。そのうえ生瀬が180センチ近くある長身なので、どうしても、あの小柄で機敏なエノケンのイメージと重ならなくて戸惑いました。

『ブギウギ』の脚本家や演出家はエノケンの生前には生まれていなくても、それなりに調べたはずでしょうから、これはあえてそうした設定・演出をしたように思えます。

 当時のエノケンそのもののような人物が登場してくるとなると、その存在感は半端なく、主人公・笠置シヅ子の印象が薄れてしまうことを恐れたのではないか、と勘ぐったりしてしまいます。

 なぜならエノケンといえば、戦前戦後を通じ「エノケンの〜」と題された主演映画が40本以上も製作され、「エノケン」の名前があれば、映画も演劇も大ヒット間違いなし、日本一の喜劇役者だったのですから。

 それほどの人気者だったため、戦時中は戦意高揚、お笑い統制のため「エノケン」の冠を使わせてもらえませんでした。


人気者になるまでのエノケンの歩み

 明治37年(1904)10月11日、エノケンは東京・青山のカバン屋の長男として生まれます。15歳で旧制・攻玉社中学校に入学するも、勉強嫌いで一度も通学せず、奉公に出ても長く続かず、浅草のオペラや活動写真に熱中します。

 映画・演劇好きが高じてついには役者志望に至り、当時、無声映画の大スター、目玉の松ちゃんこと、尾上松之助に弟子入りを志願しましたが、失敗。

 その後、大正11年頃に浅草オペラの根岸大歌劇団・柳田貞一に弟子入りし、舞台役者としての一歩を踏み出します。

 28歳のときに自らエノケン劇団を旗揚げし、やがて舞台で当たった人気演目が次々と映画化され、エノケンの名が広く知れ渡るようになりました。


ダミ声の魅力と天性の音感

 生前のエノケンを知っている人にとって印象深いのは、一度耳にしたら忘れがたい、あのダミ声でしょう。ダミ声と一本調子の歌い方だったため過小評価されがちですが、エノケンを侮ってはいけません。実は、エノケンは確かな音楽的才能を持っている役者だったのです。

 亡くなる1年半ほど前の昭和43年(1968)、NHKテレビ『人に歴史あり』に出演した際、すでに車椅子での登場でしたが、田谷力三、坂本九が見守る中、司会の八木アナに促されて持ち歌だった『私の青空』をスタジオの観客とともに歌うことになりました。

 エノケンは周囲を見回し、「キーが高いけれど大丈夫ですか」と声をかけてから、いきなり伴奏なしで歌い出します。これが、レコードと同じオリジナルキーと寸分たがわぬ確かな音程。エノケン63歳のときでした。

 エノケンは子供の頃にバイオリンを習っていて譜面も読めたので、新作の楽譜をもらうと愛用のバイオリンで音をとりメロディーを覚え、すぐに自家薬籠中のものにしたそうです。

 音程も確かなら浅草オペラで鍛えられていたので言葉も明瞭。それをさらに愛嬌たっぷりに崩して歌うので、お客さんが虜になるのも無理はありません。おそらくお客さんは劇場を一歩出ると、きっと覚えたての劇中歌を、エノケンを真似て口ずさんでいたことでしょう。


エノケンが歌えばCMソングも人気に

 エノケンの評伝や紹介記事に当たると、肩書が「喜劇俳優、歌手」となっていて、俳優だけではなく歌手の二文字が記されています。

 エノケンの絶頂期であった昭和10年代にはもちろんテレビなどはありませんから、映画での人気とともに、レコードやラジオによる歌い手としての存在感があったという証でしょう。

 なにしろあの唯一無二のダミ声には、一度聴いたら耳から離れないような魔力が潜んでいたのですから。

 後年、エノケンはテレビCMに登場しますが、記憶に鮮明なのはその歌声です。

 昭和33年に渡辺製菓から発売された「渡辺のジュースの素」をご存知の方は、70代以上のみなさんかもしれませんが、一袋5円という価格だったので(もちろん消費税なんてない時代)、一日のお小遣いが10円しかもらえなかった小学生でも購入できました。

 袋の中のオレンジ色の粉をコップに入れて水を注ぎ、お箸でかきまわせば(マドラーなどという外来語をまだ知らない時代)、オレンジジュースの出来上がりというわけで、たとえ人工甘味料のチクロが含まれていたとしても、子供たちには人気がありました。

 その人気を呼ぶ一因ともなったのが、エノケンの歌うテレビコマーシャルです。

 エノケンの歌声は一度耳にすると、誰もが忘れられなくなってしまうのでした。

(参考)
『エノケンと呼ばれた男』(井崎博之著、講談社)
『榎本健一 喜劇こそわが命』(榎本健一編、日本図書センター)
『エノケンと〈東京喜劇〉の黄金時代』(東京喜劇研究会編、論創社)『エノケンと菊谷栄』(山口昌男著、晶文社)
『エノケン芸道一代』等のCD類

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

筆者:堀井 六郎

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