身体の内なる“海”、水と塩分を制御する腎臓

2月22日(金)6時0分 JBpress

「水を飲む」という行動の裏には、腎臓と脳の連携がある。アイコンは海の神ネプチューン。奥には知恵の神ミネルヴァ。

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 私たちは「食」の行為を当然のようにしている。では、私たちの身体にとって「食」とは何を意味するのだろうか。本連載では、各回で「オリンポス12神」を登場させながら、食と身体の関わり合いを深く考え、探っていく。
(1)主神ジュピター篇「なぜ食べるのか? 生命の根源に迫る深淵なる疑問」
(2)知恵の神ミネルヴァ・伝令の神マーキュリー篇「食欲とは何か? 脳との情報伝達が織りなす情動」
(3)美と愛の神ヴィーナス篇「匂いと味の経験に上書きされていく『おいしい』記憶」
(4)炉の神ヴェスタ篇「想像以上の働き者、胃の正しいメンテナンス方法」
(5)婚姻の神ジュノー篇「消化のプレイングマネジャー、膵臓・肝臓・十二指腸」
(6)狩猟の神ディアナ篇「タンパク質も脂肪も一網打尽、小腸の巧みな栄養吸収」
(7)戦闘の神マーズ篇「腹の中の“風林火山”、絶えず流れ込む異物への免疫」
(8)農耕の神セレス篇「体の中の“庭師”、腸内細菌の多様性を維持する方法」
(9)鍛冶の神ヴァルカン篇「ご注文は? 肝臓は臨機応変な“エンジニア”」
(10)酒の神バッカス篇「利と害の狂騒、薬と毒の見極めに“肝腎”な臓器」

 1970年代前半、アポロ11号の月面着陸の直後とあって、博物館のミュージアムショップなどでは「宇宙食のアイスクリーム」なるものが売られるようになった。その宇宙食、カラフルな高野豆腐のような立方体で、口に入れても、わずかな香りと甘味は感じられるものの、発泡スチロールをかじっているような虚しい食感が広がるばかりであった。

 何が足りないかといえば、ひとえに「水分」である。水分の全くない食品は、たとえ口腔に唾液があるとしても、飲み込むことは難しい。

「食べにくい」という実用上の問題だけでなく、これまで述べてきた食と身体の話には、すべて「そこに水がある」という前提がある。消化も免疫も代謝も、水がなければ何ひとつ機能しない。そもそも、水無しには生命活動は成立しない。

 また、ただ体内に水分があればいいというものでない。適切な濃度の「塩水」でなければならないのだ。たまに目にする「ヒトの体液は生命が誕生した太古の海水と同じ」というやや詩的なフレーズは、実は大きくは間違っていないのだ。


腎臓が機能不全になれば命に関わる事態に

 海とくれば、ギリシャ・ローマ神話では、海神「ネプチューン」が浮かぶ。ゼウスに次ぐ絶大な力を持ち、海洋のすべてを支配する。ネプチューンが怒り狂えば、この地球は大洪水で滅茶苦茶になってしまう。

 そんな海神ネプチューンにあたる臓器といえば、ヒトの体液濃度をコントロールしている腎臓であろう。腎臓が機能不全に陥れば、前回「酒の神バッカス篇」で述べたような毒物の排出がなされないだけでなく、体液の濃度を維持できなくなり、命に関わる事態になる。

 腎臓はそれだけ重要な器官なのである。

 それでは、腎臓はどのようにして体液の濃度調節を行っているのだろうか。最初にハードウエアの側面から見てみよう。


水分を99%リサイクルする「再吸収」の仕組み

 腎臓に入った血液のうち10%程度は、腎小体(じんしょうたい)という構造を通して毛細血管から尿細管へ出てゆく。尿細管の先は、集合管⇒腎盂(じんう)⇒尿管と続き、最終的に膀胱へつながる。このとき、血球成分(赤血球や白血球)とタンパク質は尿細管には出ていかない(逆に、腎小体に問題がある場合は、血尿やタンパク尿が出てくる)。

 腎小体経由で尿細管に出される水の量は、1分間あたり約125mLである。仮にそのまま膀胱へ直行した場合、1日あたり180Lもの水分が尿として体外へ出てゆくことになる。これでは、2分ごとにトイレに行きつつ、延々と水を飲み続けなければならなくなる。ほとんどネプチューンが大洪水を起こしているような状況だ。

 しかし、実際にはそんなことは起きていない。腎小体を通過した水の大部分は尿細管から毛細血管へ再吸収されるのである。1日あたり排出される尿がおよそ1.8L程度であるから、水分は腎臓で約99%リサイクルされていることになる。


ナトリウムイオンを輸送する“運び屋”の存在

 また、塩分なども尿細管から毛細血管へ再吸収される。しかし、尿細管に入った直後の体液と血液とでは塩分が移動するくらいの濃度差はなく、しかもナトリウムイオンなどは細胞膜を通過できない。そんな状況でどうやって塩分を再吸収できるのだろうか。

 実は、尿細管の細胞膜にはナトリウムイオンを毛細血管に送り出す輸送タンパク質があるのだ。しかも、その輸送タンパク質は尿細管と毛細血管との間に濃度差がなくても、ATP(アデノシン三リン酸)のエネルギーを使って強制的にナトリウムイオンを輸送することができる。さらには水分についても、腎臓には水分子を通りやすくするアクアポリンという膜タンパク質がある。

 しかし、そのような膜タンパク質があったとしても、食事や運動によって体液の濃度は刻々と変化する。その変化への対応は、どのようにして行われているのだろうか。


異変を感じる脳「水分と塩分を増やせ」

 ここから先はソフトウエアの話となり、知恵の神「ミネルヴァ」の再登場となる。神話では、アテナイの支配権をめぐりネプチューンはミネルヴァと争った。勝敗はミネルヴァの勝ち。つまり、ミネルヴァは「ネプチューンに対抗できうる神」といえる。

 知恵の神ミネルヴァは「脳」の象徴であった。つまり、尿細管にある輸送タンパク質の働きは、神経系とホルモンによって調節されているのだ。調節の発端は、血流量(血圧)や血中のイオン濃度のセンサーが変化を感知することである。

 たとえば、猛暑による発汗などで体内の塩分と水分が減少した場合、その変化は心臓の近くや腎小体にあるセンサー、そして間脳の視床下部に感知される。すると視床下部は「水分と塩分を増やせ」という指令を出すことになる。その結果、水分の再吸収を促進させるバソプレシンというホルモンが分泌され、体内の水分量は回復する。

 また、ナトリウムイオンの再吸収を促すアルドステロンというホルモンも分泌され、体内の塩分濃度も回復する。

 この2つのホルモンの作用で、体液の濃度は元に戻り、結果的に尿量は減少する。

 一方、これらとは逆に、体内の塩分が過剰になった場合、ANP(心房性ナトリウム利尿ペプチド)というホルモンが、腎小体の血流量を増やして尿細管に行く体液を増やし、同時にナトリウムの再吸収を阻害する。その結果、塩分は尿としてより多く排出され、体内の塩分濃度は下がる。

 ANPは心臓の心房から分泌され、腎臓だけでなく循環器系全般に働いて血圧を降下させる作用があり、急性心不全の重要な治療薬として使われている。


「喉が渇いたので水を飲む」も脳の仕組みから

 ここまでは、尿の量を調節することで体液濃度を維持するという仕組みについての話である。しかし、尿に含まれる塩分や水分は、膀胱まで行ってしまえば、もう体内へは戻ってこない。汗から失われる水分や塩分もある。無い袖は振れないので、外から定期的に補給することも必要である。

 ここでも腎臓と脳の連携がある。前述の「酷暑による脱水症状」で体液濃度の変化を感知した視床下部は、腎臓への作用の他に「喉が渇く」感覚を生じさせて、「水を飲む」という行動へと誘導する。

 逆に、暑いからといって勢いに任せてビールをがぶがぶ飲み過ぎて、血液中の塩分濃度が低下したとき、視床下部は「塩分欲求」が生じるように働き、塩辛いおつまみに手が伸びるのである。

 どちらの神経系も食欲中枢に隣接しており、食事とリンクして水分と塩分が体内に入ってくるように「仕組まれている」といってもいいだろう。

 結局、ネプチューンよりもミネルヴァのほうが一枚上手なのである。


海ある惑星に生きるからこその腎臓

 冒頭の人類月面着陸から約50年後、日本は小惑星探査機「はやぶさ2」を打ち上げ、月より何百倍も遠い小惑星「リュウグウ」へ到達させた。「竜宮城」のイメージに反して小惑星には液体の水はおそらく存在せず、あの「乾燥した宇宙食」のような世界と考えられるので、ネプチューンが活躍できそうな場所ではない。

 そして「はやぶさ2」は、自律型の小型探査ローバーの小惑星への着陸にも世界で初めて成功した。そのローバーの名は奇しくも「ミネルバⅡ」。ここでもネプチューンは負けてしまったのだ。

 結局、ネプチューン(腎臓)は、海のある惑星「地球」に生きているからこそ活躍の場があるのである。

 さて、アポロ計画が人類の外世界への挑戦だったとすれば、現在は内なる宇宙「人体」への挑戦の時代である。次回は「食と身体」の未来について言及したい。

(第12回へ続く)

筆者:大平 万里

JBpress

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