日本の城の最高峰「江戸城」が地味に見えてしまう5つの理由、専門家が教える“比類なき堅城にして名城”のポイント

2025年2月25日(火)6時0分 JBpress

(歴史ライター:西股 総生)


皇居のイメージが強い

 江戸城は、日本の城としては最高峰に位置する。

 この城は、15世紀の後半に太田道灌が築いて以来、一貫して南関東における最重要の戦略拠点であり、江戸時代には徳川将軍家代々の居城となった。実に260年以上もの間、圧倒的な権勢をもって日本を支配してきた徳川将軍家の本拠なのであるから、江戸城が日本の城の頂点に君臨するのは、当然といえば当然である。

 現在われわれが目にする江戸城は、江戸時代の初期、徳川将軍でいうなら家康・秀忠・家光の時期に形成されたものである。比類なき規模を誇るとともに、難攻不落を極めた堅城でもあり、要するに日本一の名城なのである。

 などということは、城好きの人ならもちろん知っている(少なくとも知識としては)。けれども特段の城好きではない、ごく普通の人となると、どうだろう。

「江戸城? あ、皇居ね」

「行ったことはあるけど、そんなスゴイ城だったっけ?」

 あたりが、この城に対する平均的な日本人の認識ではなかろうか。

 この城が、かつては徳川将軍家代々の居城で、明治以降は皇居となっていることなど、日本人なら誰しも知っている。いや、本サイトの読者なら、最初に築いたのが太田道灌であることや、年配の人なら「宮城」と呼ぶことなどもご存じだろう。にもかかわらず、江戸城が日本最高の堅城にして名城であり、皇居や都心の公園としてではなく「城としての」見所に溢れていることを認識している人は、さして多くはなさそうだ。

 たいがいの人は、「日本を代表する名城」といえば、姫路城・熊本城・名古屋城あたりを挙げるにちがいない。そこで、江戸城の名をパッと挙げる人がどのくらいいるだろう? 御三家の城である名古屋城や、一介の大名の城である姫路城・熊本城にくらべて、将軍家の居城が格下などということは、原理的にありえないはずであるにもかかわらず、だ。

 いや、城好き・歴史好きの人たちにしても、どの城の本にもそう書いてあるから、江戸城を名城と認識しているにすぎないのではないか。自ら江戸城を丹念に歩いて「むむ、これは比類なき名城堅城だ」と実感できている人が、はたしてどれだけいるだろう。これは、筆者が城好き・歴史好きの人たちと接していて、感じてきたところである。 

 では、江戸城はなぜ、堅城・名城として認識されにくいのだろう?

 第一の理由は、皇居のイメージが強いことにある。徳川将軍家の本拠であった江戸城は、明治維新の際に進駐してきた「官軍」によって占領され、明治天皇が遷幸してきて皇居(宮城)となり、現在に至っている。

以来、皇居の本体は西の丸にあるものの、江戸城の主要部はまるごと宮内庁の管轄下に置かれていて、本来の城の中枢部である本丸・二の丸・三の丸は、現在は「皇居東御苑」として一般に公開されている。皇居のお庭の一部を一般国民にも公開している、というていなのである。

 したがって、江戸城の中心部=皇居東御苑に入るためには、入口(城門)のところで皇宮警察による手荷物検査を受けなければならない。三の丸に入場する際に手荷物検査が必要な城なんて他にないから、入る側はどうしても「皇居の一部を拝観する」心構えになってしまう。城としてのイメージが、後ろに退いてしまうのだ。

 次に第二の理由として、やはり天守がないことを挙げざるをえない。もともと江戸城の本丸には日本最大の天守が建っていたのだが、明暦の大火(明暦3年・1657)で消失したのちは再建されなかった。

 結果として江戸城は、江戸時代の大半を「天守のない城」として過ごし、現在に至っている。「天守のない城」など全国にはいくらでもあるし、天守がないことと城そのものの価値は別である。とはいえ、一般の人には「城=天守」のイメージが根強いので、天守のない江戸城はどうしたって地味に見えてしまう。


巨大すぎる城

 江戸城が地味に思われがちな理由の第三は、城が巨大すぎることにある。なにせ城域が圧倒的に広大なので、通りいっぺんに見て歩いただけでは、全体像を把握しきれない。おまけに、皇居の敷地として豊かな自然が保たれているために、遠目には森のように見えてしまう。

 また、本年1月2日掲載の「江戸城は「平山城」?それとも「平城」?江戸城の占地から見えてくる都市・江戸の成り立ち」でも述べたように、江戸城は平山城で、二の丸と本丸との間にはかなりの高低差がある。しかし、城域があまりに広大なために相対的に高低差が目立たず、平べったく見えてしまう。とくに、ニュース番組などでよく出てくる上空からの俯瞰映像では、平らな緑地が広がっているように見えてしまい、要害堅固な城というイメージがわきにくい。

 第四の理由として、丸の内・大手町側の石垣が低いことがある(上記の第三とも関連する)。占地と縄張から評価するなら、江戸城の本来の防禦正面は千鳥ヶ淵〜半蔵門方面となるのだが、半蔵門が皇居専用の出入り口となっていて一般の立入ができないため、この方向から江戸城を訪れる人は少ない。

 多くの人は東京駅や地下鉄の大手町駅を利用して、三の丸にある大手門から入場することになる。ところが、こちら側は堀幅は広いものの石垣が低く、一見して迫力に欠ける。なぜそうなっているかというと、江戸城が平山城だからだ。

 近世の平山城とは、丘陵や台地の上面から麓の低平地にかけてを城域として囲い込むスタイルをとるから、平地側では城の内外での高低差がほとんどない。そこに石垣を築けば、どうしたって高さは出ない。高い石垣というのは、高低差のある崖面に石を積み上げることによって成立しているのだ。

 こうした平山城では、平地側の石垣が低くなる分、水堀の幅をたっぷり取ることで防禦力を稼ぎ出しているのだが、素人目にはやはり高い石垣の方がインパクトが強い。東京駅や大手町駅から江戸城に向かうと、石垣が思いのほか低いので、「何だ、こんなものか」という印象になってしまう、というわけだ。

 最後に、第五の理由として、現存建物が重要文化財等の指定を受けていないことがある。江戸城の中には、櫓や城門、番所など、意外なほど多くの城郭建築が残っている。それらは、本来なら重文となっていて然るべき貴重な建物なのだが、指定を受けていない。なぜなら、皇居の敷地内にある以上、皇室の財産として宮内庁の管轄に属しているからだ。

 重文や国宝の指定を受けていようが、いまいが、文化財としての価値は本来は変わらない。たとえば、どこかの城が世界遺産になったからといって、その城の難攻不落度や歴史的価値がアップするわけではない。観光資源としてハクが付くだけのことだ。

 けれども、専門的な鑑識眼を持ち合わせていない普通の人たちは、重文や国宝といったレッテルで価値判断をするから、国宝・重文の建物が一棟もない江戸城=大したことない城、という認識になってしまう。

 もったいない話ではないか。日本でいちばん交通の便のよい場所に、日本で最高の城があるにもかかわらず、多くの人がその価値を認識できていないのである。

 もちろん巨大広大な江戸城は、たやすくその全容をつかむことができない。通常公開されている範囲だけでも、一日ではとても回りきれないのだ。であるなら、何日もかけて(何回にも分けて)、じっくり味わいながら歩けばよいではないか。歩けば歩くほどに、この城の壮大さや難攻不落ぶりがジワジワとしみ入るようにわかってくるだろう。

 さらに、春秋に行われる乾門の通り抜けのような特別公開を組み合わせれば、楽しみはいっそうふくらむ。こんなに何度でもおいしい城なんて、他にない。あなたがその気になりさえすれば、最高の城歩きが楽しめるのである。

筆者:西股 総生

JBpress

「理由」をもっと詳しく

「理由」のニュース

「理由」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ