伊集院静の<労働の流儀>。「休日返上で仕事をすることは人の徳だと、当たり前のことだと私は信じている。だからこの国は、今日まで栄えたのだ」

2025年2月28日(金)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

2023年11月24日に永眠された、作家・伊集院静さん。『機関車先生』『受け月』など数々の名小説を残し、『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』を手掛けるなど作詞家としても活躍したほか、大人としての生き方を指南する連載エッセイ「大人の流儀」シリーズでも人気を博しました。今回は、そのシリーズ最終巻『またどこかで 大人の流儀12』から、伊集院さんのメッセージを一部お届けします。

* * * * * * *

淋しい思いをさせた


夕刻、東京の常宿の部屋に戻ると、花が届いていた。

花はガーベラとカーネーションで“父の日”であることがわかった。下の娘からの花だ。

娘から花をもらったのは初めてのことだ。

その花を仕事場の窓辺に置いて、しばし眺めていた。

——父らしいことは何ひとつしてないのに……、有難いことである、と思った。

上の娘は結婚していて3人の男児がそれぞれ腕白盛りらしく、たまに逢うこともあるが、それとて数年に一度である。下の娘はまだ独身で、幼児教育の塾のような学校の事務員をしていたが、今はもしかして先生の役割もしているかもしれない。

花を見つめているうちに、自分は父にそんなことを一度もしなかったナと思った。それは“父の日”という習慣が日本にまだなかったからというのが理由で、やはり感謝の気持ちを一度として言わぬまま、父がこの世を去ったことを思った。これも当時の父子の習慣であったし、淋しい思いをさせた、と悔んだ。

そういう時代ではなかったのだ、と言ってしまえばそれだけのことだが、やはり父は淋しく世を去ったのではと考えた。

父は花などに興味はなかったようにも思えるが、それはやはり違う気がした。

断っておくが、感傷的な話を書いているのではない。正直、そう感じたのだ。

休むため、遊ぶために働いているのではない


私が父と接していたのは生家にいる間だけで、上京して以降、成人になってからは、父とともにいることはほとんどなかった。

では父といた日々はどんなふうだったか?


『またどこかで 大人の流儀12』(著:伊集院静/講談社)

私が目覚めると、父はとうに家を出て働きに出かけていた。一度とて、父が母屋でゆっくり過ごしていた日はなかった。前の夜、どれだけ遅く帰宅しても、翌朝、父はいなかった。それが大人の男の行動だと思っていた。

父は働き通しだった。そうしなければ多勢の子供と、従業員を養っていけなかったのだろう。それを見て育ったせいか、私は大人の男は(女性でも)、毎日朝早くから働く人たちと信じていた。休日などなかった。

世の中が変わって、週休二日とか、コロナが流行し、リモートで自宅で働くなどと言い出し、週休三日という人もあらわれた。

それは労働ではない。どう世の中が変わろうと、人は毎日何かしらなさねばならぬふうにできている。

週末を当然のごとく休み、こんなに多い祝祭日も休んでいれば、この国は傾くと私は思う。休むために、遊ぶために、人は働いているのではないし、労働をした代価が休遊の時間ということはあり得ないのではないか?

人は何かしら学び、向上のために励んで行く生きもののように思う。

私の考えが古い? 極端だ? それで結構。

初夏に届くサクランボ


山形からサクランボが仙台の家に届いたそうだ。若い頃から長く仕事を一緒にさせて貰った友の奥方からである。友はとうに亡くなった。

なのに毎年、初夏になると、美味しい果物が届いている。友が生きている時、そうし続けてくれていたが、今は奥様が受け継いでいる。その果物を見る度、どんな思いで奥様は果物の具合いを計り、私の住所を記しているのだろうか、と思った。

3年が過ぎた頃から、奥様の気持ちをおもんぱかった。今年が何年になるのかさえ怪しいと思われたので、今日奥様宛に手紙を書いた。

「もう今年限りにして下さい。そうしましょう。礼状もおぼつかなくなる」とやはり辛いことを正直に打ち明け、願いの手紙を出した。

そういうことをしている家族がいらしたら、ご主人が亡くなった年にやめるのが一番だが、どうしてもというなら3年目を境に贈答はやめるのを、日本人のしきたりとすべきである。そうしなければ、贈る方も答える方も可哀相である。

きっと昔は、そういう決まり事があったに違いない。それをきちんと表立って教える人がいなくなったのである。

人の徳


藤沢周平の名作『蝉しぐれ』には称(たた)えるべき一節がいくらもある。

指を噛まれた隣家の娘の指を介抱してやるシーンも、その娘と二人して、父の遺骸を積んだ大八車を押すシーンもそうだが、私が何より好きなのは、息子が父との最後の別離の場面で、若過ぎて動揺してしまい、父へ感謝の一言が、どうして自分はきちんと言えなかったのかと悔むシーンである。

なぜあのシーンが素晴らしいのか? それは長く日本人の父と息子は、敢えて感謝を口にする習慣がなく、父は子のために死ぬ気で生きることが当たり前だったからだろう。

週末、上司と(独りでもかまわぬが)休日返上で仕事をすることは人の徳だと、当たり前のことだと私は信じている。だからこの国は、今日まで栄えたのだ。

※本稿は、『またどこかで 大人の流儀12』(講談社)の一部を再編集したものです。

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