なぜこれが「世界で最も悲しい写真」なのか? 今も語り継がれるオマイラ・サンチェスの悲劇

2023年2月27日(月)11時0分 tocana

 13歳の少女が死にゆく姿を大人たちは黙って見届けることしかできなかった——。今も語り伝えられる世界が涙と慚愧の念に包まれた悲劇が1985年にコロンビアで起きた「アルメロの悲劇」だ。


火山噴火によって泥流に飲み込まれた町

 1985年11月13日夜、コロンビアのネバドデルルイス火山が噴火し、火砕流が山頂の雪や氷を融かし大規模の泥流が発生する災害が起こった。濁流となった泥流は山麓の町、アルメロを直撃。町の面積の大半を呑み込む壊滅的な被害をもたらし、町の3万人の住民のうち2万人以上が死亡する破局的な大惨事となった。


 押し寄せる泥流で多くの家屋が倒壊し町は瓦礫の山となった。一部の幸運な住民は首尾よく軽傷のまま瓦礫から抜け出すことができたが、夜9時であったこともあり大多数は家屋に閉じ込められたまま溺死したのである。


 災害発生から数時間後に到着した救助隊は、泥水に浸かった瓦礫の中で助けを求める少女の声を聞き救助に向かった。


 駆けつけた救助隊が見たものは、泥水に首まで浸かった少女の姿であった。この少女は村に住むオマイラ・サンチェス(13歳)である。


 救助隊の男たちはすぐに少女の手を取って引き上げようとしたのだが、彼女の身体はどういうわけかびくともしなかった。どうやら泥水の下で両脚が瓦礫などに複雑な状態で挟まっていて、単純に引っ張っただけでは身体を引き上げることができないようであった。さらにダイバーが少女の足元に潜ってみると、その下で残念ながら溺死した彼女の叔母がオマイラの足首をきつく握ったまま硬直していたのである。


 救助は難航を極めた。ひとまず彼女の周囲にポールを渡して掴まらせ、ソーダ水を飲ませるなどしてできる限りのケアを施し、その間に効果的な対策を考えるしかなかったのだ。しかしもちろんだが時間が経つほどにオマイラはどんどん体力を消耗していったのである。


 フランスの報道カメラマン、フランク・フルニエは噴火が起こった直後にコロンビアに行くことを決意したが、現地に到着したのは噴火から3日目の早朝であった。


 泥水で水浸しとなった瓦礫の山を実際に目にして、状況は彼が想像していたよりもはるかに悪いことを痛感したのだった。


「いたるところで、何百人もの人々が閉じ込められました。救助隊は彼らに接触するのに苦労していました。人々が助けを求めて叫んでいるのが聞こえたのですが、そのうちに沈黙しました。不気味な沈黙です。今でも忘れられません」とフルニエは災害から20年後に「BBC」に語っている。


 各地を取材するうちにフルニエは、災害から3日が過ぎても未だに泥水に浸かったままの焦燥しきったオマイラ・サンチェスを目撃する。フルニエによれば、この時のオマイラはすでに意識が混濁しており、命を繋ぐための体力は残っていなかったという。


 フルニエが写真を撮るためにオマイラに近づくと、彼女は学校へ連れて行ってほしいと願い出たのだった。すでに学校を2日休んでしまっている自分はこれ以上休むと落第してしまうのだとひどく心配していたのである。


 オマイラの手は血行不良のために白く変色しており、目はひどく充血してすべてが黒目であるかのようだった。


 フルニエにはこの時、この少女が自分の運命を受け入れる準備ができているかのように見えたという。オマイラは周囲でずっとつきっきりで自分の世話をしてくれていたボランティアたちに休むように言うと、離れた場所にいる家族に別れの言葉を告げ、その後少し経った朝10時に息を引き取ったのだった。壊疽と低体温症の合併症であった。フルニエがここにやって来て3時間後のことであったという。



災害後の政府の対応に批判が集まる

 「最も悲しい写真」と言われることもあるフルニエが撮影したオマイラの姿は、1986年の「ワールド・プレス・フォト・オブ・ザ・イヤー」を受賞した一方、その写真の衝撃はコロンビア政府の無策に対する世界的な批判を引き起こした。この「アルメロの悲劇」は政府の“人災”であったというのである。


 救助隊にはスコップやロープなどの基本的な装備が絶望的に不足しており、医療品や医療機器なども乏しかった。また当時のコロンビアには10万人の軍隊と6万5000人の機動隊があったのだが、そのうちの誰一人として現地へ派遣されていなかったのだ。


 一部の近隣国や同盟国はヘリコプターを使った救援活動が可能であり支援を申し出たのだが、コロンビア政府はすぐには応じずに返事を先延ばしにしているうちにすでに“時遅し”となってしまったのだった。


 当時の救助活動の最高責任者であったコロンビア国防大臣、ミゲル・ベガ・ウリベ将軍は「私たちは発展途上国であり、そのような装備を持っていない」と主張し、「町を荒廃させた泥や瓦礫をどかすことができなかったため、軍隊は派遣されなかった」と弁明している。


 少女が死にゆく姿を撮影するだけだったフルニエにもいくつかの批判の矛先は向けられたが、彼は「彼女と人々をつなぐ架け橋になることができて幸運でした」と説明している。


「世界中には何十万ものオマイラがいます。貧しい人々や弱い人々についての重要な物語であり、私たち報道カメラマンは橋を架けるためにそこにいます」(フランク・フルニエ)


 災害後に大々的に行われた犠牲者の国葬では、参加した遺族や活動家たちによって「火山が2万2000人を殺したのではありません。政府が彼らを殺したのです」と記された横断幕が掲げられたのだった。


 2月6日にはトルコとシリアで大地震があったばかりで現地は大変な被害となっているが、人命救助には「72時間の壁」があるともいわれているように、大災害の救援では何にも優先してスピーディーさが求められていることは言うまでもない。「アルメロの悲劇」を繰り返すことのないよう、国家から地域、個人レベルにいたるまでの災害への備えが不可欠である。



参考:「All That’s Interesting」、「MITU」ほか

tocana

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