「東日本大震災の夜、帰り道は大渋滞。車の中で耐えていたら、中華料理店のスタッフに声をかけられて...」(千葉県・50代性別不明)

2022年3月11日(金)11時0分 Jタウンネット

2011年3月11日に発生した東日本大震災から、きょうで11年。当時は地震により交通機関にも多大な影響が出たことで、首都圏でも帰宅困難となってしまった人が少なくなかった。

千葉県在住のJタウンネット読者・Hさん(50代)もまた、11年前のあの日、なかなか家に辿りつけずにいた。

夜、Hさんは千葉県に住む同僚と一緒に会社の車に乗り、帰路に就いた。

しかし、電車が止まってしまっていた影響で道路は大渋滞に。Hさんの乗る車も巻き込まれた。

そのうえ、ロクに食料も確保できていなかったHさんたちは、車内で空腹状態に。

そんな時、Hさんたちの乗る車に外から声が掛かったという。

「これ食べて気をつけて!」

東日本大震災の夜、東京は電車が止まり、道路は帰宅困難者の人と車で溢れかえっていました。

その時私は、千葉県に住む同僚たち数人と一緒に、会社のハイエースに乗って帰宅中。会社から自宅まで、通常なら車で30分程の場所に住んでいましたが、その日は大渋滞のために4〜5時間はかかってしまいました。

そんな大変な帰宅の道中のことです。江戸川を渡ってようやく千葉県に入ったところで、近くにあった中華料理屋のスタッフが、渋滞で停まっている車の助手席に声をかけて、おにぎりを配っていました。

そのスタッフは私たちの車にもやってきて、

「何人乗ってるの?」
「これ食べて気をつけて!」

と、人数分のおにぎりをくれたんです。

お店から食料が消えた夜だったのでみんなお腹が空いていて、だからこそ本当に美味しかったし嬉しかったし、すごく励まされました。あの塩むすびの味を忘れることはできません。

あの夜、あのお店は明るく輝いて見えた

その後、車に同乗してた同僚たちと「落ち着いたらラーメンでも食べがてらお礼に行こう」と話していましたが、結局行けずじまいに。

それでも数年後に1人でそのお店を探して歩いて回ったりもしましたが、震災当時は夜だったし場所の記憶も不確かだったので、見つけることは出来ませんでした。

どうしてもっと早くお礼に行かなかったのか、ととても後悔しています。

誰もが不安で大変混乱していたあの夜に、大量のおにぎりを作って配っていたお店は、明るく輝いて見えました。

あの時は本当にありがとうございましたとお伝えしたいです。

誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!

名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな、あの時自分を助けてくれた・親切にしてくれた人に伝えたい「ありがとう」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。

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