「MIB」は実在していた!? 謎のUFO秘密組織「APEN」とは?

3月13日(木)14時0分 tocana

 1974年1月23日、イギリスの北ウェールズ地方にあるバーウィン山脈付近の住民が、夜空に何個もの輝く物体を目撃。その直後轟音が轟き、大地が揺れたという。さらに、事件直後にはまるで映画『MIB』に出てくるような、黒っぽい背広に身を包んだ人物たちが何人も現れ、住民に当日の模様を聞きまわっていた——。黒い人物、謎の光、謎の轟音...、これらは一体なんだったのだろうか?


 事件そのものは、火球と地震が同時に起きたものとされたが、後にイギリスのUFO研究家が事件を再調査。「現場周辺が軍によって封鎖されていた」などの新しい証言を発掘したという。今では「バーウィン山事件」を、1980年の「レンドルシャム事件」と並ぶイギリスで代表的なUFO墜落事件と考える者もおり、「ウェールズのロズウェル事件」と呼ばれることもある。

 ところが事件から数カ月後のこと。イギリスのUFO研究家数人が、UFOがバーウィン山に墜落したという文書を受け取っていた。この文書を送付した組織は「Aerial Phenomena Enquiry Network(空中現象査問ネットワーク)」、略称「APEN」という。

 このときAPENは、政府の公式文書を装った体裁の書簡を研究家に送り、UFOはAPENの墜落回収チームによって調査のため回収され、目撃者を退行催眠にかけることが提案されていると述べていた。

 APENの活動は、バーウィン山事件の起きた1974年に始まっており、最初に通信を受けのは、ジェニー・ランドルスと言われている。このときは60分用のカセットテープが送付され、テープには、APEN総司令官J.T.アンダーソンを名乗るアメリカ人らしき男性の挨拶と、UFOを扱ったテレビ・ラジオ番組の断片が録音されていた。その後APENは、バーウィン山事件に関して他のUFO研究家たちに文書を送り、それ以後もイギリス国内の研究家たちに手紙やカセットテープを送り続けている。

 手紙は、研究家たちに郵便で送りつけられ、差出人の住所など、APENの連絡先を示すものは一切ない。書簡やカセットテープの内容は、新聞記事の写しやテレビ・ラジオ番組の録音など断片的でありふれたUFO情報、忠告、APENという組織の紹介などで、時にはカセットテープの背景にナチス・ドイツの音楽が流れていることもある。

 郵便以外の接触としては、1975年10月、APENの工作員を名乗る男がピーター・ボトムリーという研究家の自宅を訪れたことがある。男たちはAPENに対する援助を要請したが、ボトムリーは、APENから連絡を受けた経験のあるジェニー・ランドルスとも相談の上、この申し出を断った。そして、この事件から数週間後に転居したランドルスは、初めて入る部屋に「新居にようこそ」と書かれたAPENからの歓迎カードを発見した。

 あるUFO研究団体は、深夜に事務所荒らしの被害を受けたが、盗まれたものはなかった。数日後この団体は、「地元工作員」の行動を詫びる内容のAPENの手紙を受け取った。
 
 1983年になると、OSEAPという、懐疑的なUFO団体がレンドルシャム事件との関連でAPENの連絡を受けた。APENはOSEAPメンバーに深夜の面会を求め、面会の際事件の真実と政府の偽UFO作成計画について語ると述べていたが、OSEAPは面会を拒否した。
 APEN自身によれば、APENは国際的な組織だということだが、その活動は今までイギリス国内に限られている。そしてAPENが実のところ何者なのか、真の目的は何か、実際に何らかの組織があるのか、単なる個人のいたずらなのかなど、詳しいことはまったくわからない。あのMIBと同じく、UFO界の闇に蠢く謎の存在というわけだ。ただし、イギリスの研究家はいずれも、APENからの連絡を無視することにしている。

 それにはいくつか理由がある。APENからの情報には価値のあるものはなく、まじめに関わることは時間の無駄であること。さらに、APENの情報に関心を示すことそれ自体、APENの思惑に乗る可能性があること。そして、APENがその存在をいつか白日の下にさらそうとするつもりなら、その時を待てばよく、そのつもりがないのなら彼らの冗談に付き合う必要はないと思われることなどである。

 他方、バーウィン山事件でいち早くUFO墜落を示唆したり、ランドルスの新居やUFO団体の事務所にやすやすに侵入していることなどから、背後に何らかの大がかりな組織がいる可能性も否定できない。研究家の中には、APENを名乗る活動は、イギリス政府の隠蔽工作の一環だとする者もある。
(羽仁礼)

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