【相撲】時津風部屋「力士の集団リンチ殺人」と隠蔽 — 親方が顔面踏み付け…日馬富士事件で蘇る悪夢

3月14日(水)7時0分 tocana

イメージ画像は、「Thinkstock」より

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——日本で実際に起きたショッキングな事件、オカルト事件、B級事件、未解決事件など、前代未聞の【怪事件】をノンフィクションライターが紹介する…!

 今月9日、元横綱・日馬富士から暴行を受けた十両・貴ノ岩が大相撲春場所に出場することを、師匠の貴乃花親方が明らかにした。また13日、貴乃花親方が内閣府に告発状を提出していた問題で、梶山内閣府担当大臣は、告発状を受理したことを明らかにした。内閣府は今後、関係者から事情を聞くなど調査を進めるという。

 暴行事件を最初に聞いた時、多くの人が、2007年に時津風部屋で起きたリンチ殺人を思い出したのではないだろうか。当初、日馬富士が貴ノ岩をビール瓶で殴ったと報じられたが、白鵬がそれを否定した。時津風部屋の暴行事件で使われたのがビール瓶であったので、それを想起させるからあわてて否定したという説もあった。


■時津風部屋力士暴行死事件とは

 愛知県犬山市にある時津風部屋の宿舎で、17歳の時太山(ときたいざん)、本名・斎藤俊(たかし)さんが亡くなったのは、2007年6月26日のことだった。4月に入門し、5月の夏場所で初土俵を踏んだばかりであった。

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 当初発表された死因は「急性心不全」。ぶつかり稽古の最中に体調不調を訴え、病院に運ばれたが死に至ったというもので、愛知県警犬山署は「事件性はない」としていた。

 当時の15代・時津風親方こと山本順一は、俊さんの死を実家に伝える際に、「荼毘に付してから実家に送りたい」と、愛知で火葬すると申し出た。しかし遺族はそれを断り、遺体はその日の夜11時、新潟の実家へと運ばれた。

 遺体を見て、遺族たちは息を呑んだ。顔は腫れ耳は裂け、体中にアザと擦り傷があり、太ももにはタバコの火を押しつけた跡さえあった。

 ぶつかり稽古での死亡で、こんなにも変わり果てるはずはない。不審に思った遺族の要請により新潟大学医学部で承諾解剖が行われ、死因は「多発性外傷性ショック」であることが判明した。

 愛知県警は司法解剖の必要はないとしたわけだが、この遺体の状態では、常識的に考えてもあり得ない判断であった。親方・山本順一の言い分を鵜呑みにしたもので、警察と角界の馴れ合いを指摘する声もあった。

 山本順一は、斎藤俊さんの葬儀に何食わぬ顔で参列した。そしてマスコミには、こんなことを言った。

「彼は過去にマリファナも吸っていたようだ。入門後もタバコをやめられなかった。兄弟子の荷物を盗んだりもしていた」

 俊さんの母校の高校教頭は彼の喫煙を否定した。その他の内容についても真偽は不明だ。本当に稽古中の事故なら、亡くなった弟子を悪し様にけなすのはおかしい。この山本の発言は、かえって彼への疑念を深めた。

 山本はその一方で、若い衆たちに対して、警察や後援会に聞かれた時にどう答えるか、口裏合わせしていた。だが良心の呵責に耐えかねた力士が口を開いたことで、事件の真相が明らかになる。

 この頃、俊くんは相撲に対して前向きになれず、死の前日にも父親に相談の電話をしていた。

 6月25日、言いつけられた仕事をしないでコンビニにいた俊さんを、兄弟子が見つけて部屋に連れ帰った。山本順一はすでに酔っていたが、正座をしろと命じて説教をする最中に、俊さんは膝を崩してしまった。それを見て怒り狂った山本は、ビール瓶で彼の身体を叩き始めた。ビール瓶で鼻が折れ鼻血が吹き出す。その顔面を山本は踏みつけ、「このクソガキ」と唾を吐きかけた。「お前らもやれ!」と山本が叫ぶと、兄弟子たちが宿舎の裏に俊さんを連れ出し、殴る蹴るの暴行を20分以上も続けた。

 食事場に戻った俊さんは、「これから本当に頑張ります」と山本に頭を下げた。だが「もうダメだ。新潟に帰す」と言い放って、山本は自室に戻ってしまう。山本は弟子を通じて、自分の部屋に来るように俊さんに促したが、結局、彼は行かなかった。

 翌朝、山本は俊さんを稽古場の裏に呼び出し、「なんで昨日は部屋に来なかったんだ! 頑張るって言ったのはウソか!」と怒鳴りつけた。

 この日は土俵の安泰を祈願する「土俵祭り」があり、山本はすでにビールを飲んでいた。見学者が帰ると山本は、「かわいがれ、顔をやってやれ」と兄弟子たちに言い、俊さんだけを標的にしたぶつかり稽古が1時間も続いた。ぶつかり稽古は通常、5分も行えば限界である。さらに兄弟子たちは彼を取り囲み足蹴にし、金属バットや木の棒で殴りつけた。

 俊さんが動かなくなっても、山本は救急車を呼ぼうとしない。彼の身体に、冷水をかけたりしていたが、しだいに生気が失せてくる。弟子たちが「救急車」と騒ぐが、山本は「今度は温めよう」と言って、風呂の湯がかけられた。

 1時間ほども経った午後0時50分、ようやく救急車が呼ばれた。運ばれた病院で、午後2時10分、俊さんは17年の短い生涯を閉じた。

 リンチ殺人以外のなにものでもない。

 山本は同年10月に相撲協会を解雇され、2008年2月に傷害致死容疑で逮捕、起訴され、11年に懲役5年の実刑が確定した。三重刑務所で服役していたが、体調を崩して同県内の病院に入院。肺がんにより、2014年8月11日、都内の病院で死亡した。享年64歳であった。

 父親の執念がなければ、稽古中の事故で済まされてしまったかもしれない。平成以降、心不全などで死亡した力士は、11人いる。
(文=深笛義也)

※イメージ画像は、「Thinkstock」より

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