高橋大輔がフルプロデュースのアイスショー『滑走屋』、より進化した広島公演で見せた「求心力」と「向き合う姿勢」
2025年3月23日(日)6時0分 JBpress
(松原孝臣:ライター)
一人ひとりが存在感を福岡以上に示す
今までにない、アイスショーが誕生した。
アイスショーという枠に限定せず、今までにないエンターテインメントが誕生した。そうした感覚を再確認させられたのが、3月8・9日、広島市内の「ひろしんビッグウェーブ」で行われたアイスショー「滑走屋」である。
「滑走屋」は高橋大輔がフルプロデュースする公演である。高橋は、フィギュアスケートファンなら知らぬ者のいないスケーターだ。2010年バンクーバー五輪で日本男子初の表彰台となる銅メダルを獲得、同年の世界選手権ではやはり日本男子初の優勝を果たしたほか、先駆者として今日まで歩んできた。
のちに村元哉中とのアイスダンスに転向し、2023年春、競技から引退。新たに立ち上げたのが「滑走屋」で2024年2月、福岡で初めて開催された。
「アイスショーの、新たな幕開けになればよいなと思っています」
抱負の通りの内容をもって好評を博し、それから約1年、広島で再演される運びとなった。初演で伝わった魅力はいかんなく発揮された。いや、より成長を遂げて眼前に提示された。
「滑走屋」の特徴の一つは、スケーターの疾走感と多人数による複雑なフォーメーションが描き出す構図にある。広島公演は総勢26名と福岡より増員された。
オープニングがまず圧巻だ。約15分のオープニングでは、ダークブルーの照明のもと、黒の衣装で統一されたスケーターたちが1人、また1人とリンクに進み出るところから始まる。彼らは一人ひとりの動作をしつつ、円を描き周り始める。それがショーの世界に速やかに誘う。高速の滑走があり、スケーター同士のクロスなどがあり、既存のアイスショーで見たことのない光景が繰り広げられる。劇場を訪れたときのように、自然と非日常の世界に浸っていく。
疾走感と構図は、陸上ではかなわない、まさに氷上でのスピードとムーブだ。スケートの魅力とポテンシャルがそこに浮かび上がる。
個々のスケーターの振り付けそのものも、斬新さに満ちている。振り付けを担ったのは福岡に続き、劇団四季などを経て、東京パノラマシアター主宰のダンサー/振付家として活動する鈴木ゆま。氷上を専門としていないからこそ、融合した振り付けが実現している。また、鈴木ゆまが自身の舞台で実践してきた、限られた空間での大人数での群舞もまた、リンクで26名が滑る公演に存分にいかされている。
加えて、「滑走屋」が魅力を放つのは、オープニングからフィナーレまで、統一された世界観のもとにストーリー性を感じさせる点にある。つまり演劇性を帯びたショーであることも魅力の一つであり、「新たな幕開け」と言うにふさわしい作品をもたらしている。
根底は福岡から一貫している。だが、新たな曲も交えつつ演じられる中で、福岡より多人数となったことでより複雑な構図が描かれるようになり、よりシンクロナイズドスケーティング(チームによって行われる種目)的な体型変化も交え、楽しめる形となっていた。
個々のスケーターの躍動も目をひいた。群舞であっても一人ひとりが存在感を福岡以上に示し、集団であっても埋没した感はなかった。
出演者は数々の実績を持つメインスケーター、学生を主体とするアンサンブルスケーターとして区分けがなされている。でもその区分けなく輝く姿があった。その中にはアイスショーに初めて出演するスケーターもいた。福岡に次いでアイスショーの経験は2度目というスケーターもいた。キャリアが豊かなわけではない。でも、輝きを放った。その理由には、十分な準備期間があげられる。スケーターは送られてきた動画を観てそれぞれに練習し、2月初旬には集まれるスケーターで集合し練習を始めた。公演が間近になると合宿を敢行し備えた。
どれだけの努力と覚悟が必要か
準備の時間だけではない。福岡公演を振り返り、出演者の一人、大島光翔は「ここまでやらないとお客様の前に立てないんだと責任感を学びました」と語っていた。
あるいは三宅咲綺は今シーズンのターニングポイントの一つに「滑走屋」に出演したことをあげているが、「歳のせいとか言い訳をしなくなりました」と言う。
彼らの言葉が指し示すのは、「滑走屋」にある求心力だ。村上佳菜子は広島公演開幕を前にこう話している。
「大ちゃん(高橋大輔)はずっとリンクにいて、1回も靴を脱がないくらい、一人ひとりと向き合っていました」
それは福岡公演へ向けての準備でも変わらなかった。リンクにいられる時間は、朝から深夜まで立ち続けた。自身が立ち上げ、フルプロデュースする公演を成功させる決意をもって、日々、その姿はあった。
見に来てくれる人々に満足してもらえるもの、みせられるものにするにはどれだけの努力と覚悟が必要か、その身をもって示し続けた。それが若いスケーターたちを含め皆に伝播し、彼らは感化されていった。
また、福岡公演を終えて「もっとやれた」という思いを抱くスケーターもたくさんいた。なおさら、広島へ向けての意気込みは強かった。
高橋の姿勢、一人ひとりをひき立たせた振り付けの鈴木ゆま、そして皆でよりよいものを、という思いが結実したのが広島公演だった。
そういえば千秋楽の公演では、初めてアイスショーを見に来たであろう人の姿もみかけた。その一人、初老の男性は開演前の場内を見て、連れ立ってきた相手の人に「なんだかあやしい雰囲気だな」と話しかけた。観終えたあと、こう話すのを聞いた。
「いやあ楽しかったな」
「滑走屋」にはフィギュアスケートのファンを広げたいという意図もあることを思えば、それもまた、象徴的な光景であった。
千秋楽のフィナーレのあと、氷上でマイクを手にした高橋は「この滑走屋、まだまだ駆け出しの、カンパニーと言っていいですか?」と笑顔で問いかけた。
大きな歓声が湧く。それを受けて、高橋は続けた。
「カンパニーなんですけど、どんどん新しいことに挑戦したり、みんなと一緒にやっていけたらいいなと思います。皆さんも一緒に、スケーター、スタッフともども成長していけたらと思っています。ありがとうございました」
福岡公演を経て、出演したスケーターは大会などでも一段成長した姿をみせた。広島公演もまた、若いスケーターたちの、なにがしかの契機となったはずだ。そして高橋もまた、一つの完成形を示し、これまでと同様、次の挑戦へと向かうだろう。
3月9日、すべての公演を終えたあと、スケーターたちは総出でロビーに集まり、観客を見送った。
氷上に無数のエッジの跡を残した彼らは、誰もが飛びっきりの笑顔だった。
筆者:松原 孝臣