山下紘加 小説だからこそ描き出せる「グレーゾーン」を掘り下げたい。息子が引きこもりの万引き主婦が主人公、その理由とは

2025年3月28日(金)12時30分 婦人公論.jp


撮影:岩澤高雄

いじめを受ける男子中学生がラブドールと出会うことから始まる、衝撃のデビュー作『ドール』によって作家デビューを果たした山下紘加さん。
その後も異性装者、フードファイターにヤングケアラーと、性別や年齢、属性の垣根なく様々な人々の内面を鮮やかに描き出してきた山下さんの最新作『可及的に、すみやかに』は、万引き中毒に陥った主婦を描く「掌中」、二十代のシングルマザーを主人公とする「可及的に、すみやかに」の中編二作からなる一冊だ。発売から半年が経過するにあたり、本作の執筆・刊行について著者インタビューを行った。

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ふたつの意味をもつタイトル「掌中」


——「掌中」が生まれた経緯を教えて頂けますか?

以前、主人公が高齢者の犯罪小説集のようなものを書いてみませんか、とご依頼をいただいたことがあって、その流れで、自分が以前から関心を持っていた事件などをいくつか思い返しました。

「万引き」というテーマはそのうちの一つでした。窃盗犯と一口に言っても、年齢や境遇、経済状態や常習性の有無など、人それぞれ動機や背景は異なりますが、小説の主人公は、誰もが身近に感じられるような、できるだけ普遍的な女性像を追及して書きました。

主人公の息子が引きこもりというのは初めから決めていたわけではないですが、これも引きこもりが原因の、自分の中で非常に印象に残っている事件があり、以前から8050問題にも興味があったので、自分の親世代を主人公に据えたことで、書き始めて自然とリンクしていったのだと思います。

——タイトル「掌中」にはどのような意味を込めたのですか?

「掌中」というタイトルは、小説を書き終えた後で、色々と候補を出した末に決めました。万引きをするシーンを書く上で、手から伝わる感触や、手のひらに収める感覚を重要視していたのと、「掌中の珠」という言葉があるように、自分の最愛の息子を表す、その両方の意味を込めてつけました。

万引きを描くことで感じた、罪悪感と正義感のせめぎ合い


——万引きに焦点をあてた理由はなにかありますか?

夕方のニュース番組で何度か「万引きGメン」の特集を観たことがきっかけです。番組の中で万引き犯と万引きGメンの攻防であったり、万引きを咎められた時の反応に引き込まれて、自分は当事者ではないけれど、罪悪感と正義感がせめぎ合うような感覚を覚えました。

犯人が、万引きGメンや店員に促されて、万引きしたものをテーブルの上に載せていく時、万引きした品数が多いとその大胆さに驚いたし、逆にポケットに忍ばせておいたグミや飴が1、2個出てくるだけだと、たったこれだけを万引きしたがために……とどこか滑稽にさえ思えてくるんです。
でも、とった物の量や質は、実際には当事者にとってあまり関係のないことかもしれない、物の価値というより、万引きという行為自体に価値を見出しているかもしれないと感じたのが、物語が生まれたきっかけでした。

——執筆のために取材はされましたか?

モデルにしたスーパーに何度か足を運びました。そこで小説の場面を想像しながら主人公と自分とを可能な限りリンクさせていくと、何か思考自体が停滞していくような感覚をおぼえたんです。自分の意思のもとに行っているというよりは、スーパーという空間それ自体が、自分を扇動しているような気さえしてくる。

だから、小説の中では強い目的意識やその行為に至るまでの具体的な背景を書くというよりも、意識と無意識の狭間にあるような抽象的な思考の流れを描けたらと思っていました。そこから、後半で夢遊病のように現実と妄想の境界が曖昧になっていくシーンにつながったと感じています。

——万引きを描くということに難しさを感じることはありましたか?

頭で考えていたよりも実際には難しくて、結構難航しました。物語なのである程度起伏が必要だけれど、万引きは場所が変わっても行為自体にそこまで大きな変化がないので、場面として立ち上げた時に、単調になりやすいんです。感情の面でも、常習性が出てくると、スリルを得られるのは一時的で、緊張状態や興奮、恐怖や不安が恒常的に続くものではない。

しかし、「バレない」という成功体験を言葉で説明するのではなく場面として描かないと、後々の幸子の大胆な行動への説得力がなくなる。それで、読み返した時に、どうしても冗長だと感じた部分は大きく削ったりして、当初考えていたよりも短いお話になったと思います。

「掌中」と「可及的にすみやかに」の対照性


——「掌中」のワンシーンに登場した「詩織」が、のちに「可及的に、すみやかに」の主人公となりました。なぜ彼女に焦点をあてようと思ったのですか?

「掌中」の中盤で、幸子と大人になった詩織が再会するシーンが、私はこの物語の中で一番好きなんです。あのシーンで、幸子は蒼汰(幸子の息子)の同級生である詩織が結婚・離婚し、幼い子供がいることを知る。そしてそれを知った上で、小学生の時に詩織が蒼汰を好きだったことを思い出し、彼女に、今でも好きかと問いかける。この世界で、自分以外に息子を想ってくれている人がいるのか、縋るように好意を確かめる姿が痛々しくて、幸子の抱えていた狂気が顕在化した瞬間だと思いました。

詩織の時間は進み続けているのに、幸子の頭の中に存在する詩織は「蒼汰のことが好きだった小学生時代」のままで、埋めようのないギャップに直面する。実はこの場面に辿り着くまで、物語全体に流れる閉塞感からか、なんとなく筆が停滞していたのですが、幸子の止まっている時間を認識したことで、かえってこの小説がきちんと進んでいることを実感できたんです。
そして詩織視点の物語のイメージができあがり、2編ともに通底する「時間の流れ」や「速度」を「可及的に、すみやかに」ではもう少し明快に描きたいと思い、このタイトルにしました。


2025年3月4日〜3月30日まで、都内ハーブティー専門店「Woodchuck」にて開催中の山下紘加さんコラボカフェ。

——「掌中」と「可及的に、すみやかに」。かなり読み味に違いがありますが、意識して対比させたのでしょうか。

意識して対比させたわけではありませんが、私が主人公に抱いているイメージの違いがそのまま反映されたと思います。「掌中」の主人公である幸子は、家族とのコミュニケーションが少なく、鬱屈とした、寄る辺のない孤独感が物語全体に重たく垂れこめています。繰り返される窃盗も切迫感があって、意識せずともサスペンス色の濃い仕上がりになりました。

一方で、「掌中」の途中で登場する詩織という存在は、溌剌としていて鮮やかで、短い登場シーンではありますが、物語の中でとても求心力のあるキャラクターに感じました。もし幸子とは対照的なイメージを持つ彼女を主人公に据えた時、どんな物語になるだろうという興味から「可及的に、すみやかに」が生まれ、彼女の息子である翔の存在も相まって、物語全体が明るくて穏やかな雰囲気を纏ったと思います。

「母と子」の関係性に着目して


——二編ともに家族関係、特に「母と子」の関係性が印象に残ります。

親が子を想う故の視野狭窄に興味がありました。「掌中」では蒼汰が保育園の頃のエピソードとして、息子が要領の悪い同級生と同じチームになることで足を引っ張られると懸念した幸子が別のチームにしてもらうよう頼む一幕があります。

また、「可及的に、すみやかに」では友人との会話の中で、詩織が蒼汰の引きこもりを知るシーンがあり、そこで詩織は蒼汰の現在を心配するのではなく、「翔が引きこもりになったらどうしよう」と自分の息子の将来を憂慮します。
幸子も詩織も子供が思考の中心を占めていて、言動に配慮を欠いたり、思考が広く及ばない。彼女たちの他人に対する無意識な残酷さ、無関心さを描けたらと思いました。


『可及的に、すみやかに』装幀:山影麻奈

また、「可及的に、すみやかに」では「母と娘」のわだかまりについても描きました。同性同士ならではの関係性の根深さ、相容れなさというものがありますが、これも時間とともに完全にではないけれど融和していくこともある。詩織が戻ったことによって止まっていた家族の時間が動き出し、子供の存在が不器用な大人たちの潤滑油になっているような気もしました。

小説だからこそ寄り添えるものに目を向けて


——小説を書くなかで、常に山下さんが抱いているテーマはありますか。

物事のグレーゾーンに興味があるので、どういったテーマを扱っても、そこを掘り下げていきたいと思っています。善悪に関してもそうですが、表裏一体で、白黒はっきりさせられないもの/させるべきではないものは、小説でこそ自由に描けるのではないかと感じます。

「掌中」では幸子が万引きを繰り返すようになりますが、道を踏み外す人とそうでない人の境界は曖昧だと思いますし、人の感情や行動は、立場や環境によって反転してしまうこともある。人を非難しても、次の瞬間には自分が人から非難される立場になっていることはあり得ると思います。書く立場として、自分自身もあらゆる可能性を内包していることをいつも感じながら、人間に寄り添って描いていきたいです。

——これから書きたい、あるいはいま書き始めている題材について教えてください。

いま執筆中の小説は、一つのテーマに対して複数の視点で書いています。一人の視点に寄るよりも広い視野でテーマを掘り下げることができると感じています。

デビュー作とは全然違うのですが、書いていてものすごく感情が掻き乱されて、出口が見えないのに突き進んでしまう感じや、執筆に対する熱量みたいなものが、デビュー前を思い出し、何となく原点回帰のような気持ちになっています。

(聞き手・編集部)

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