70代女ひとり、母の介護施設を振り返る。罵声をあびせる認知症患者と穏やかに話す介護職員。彼女は元ホステスだった

2025年3月30日(日)8時30分 婦人公論.jp


イメージ(写真提供:Photo AC)

連載「相撲こそわが人生〜スー女の観戦記』でおなじみのライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間勤務しながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります

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認知症の祖母の罵声に、家を出た父親


若い知人から祖母が亡くなったと聞いたので、私はお悔やみを言った。すると彼女は、「これで母は楽になり、父は家に戻れます」と、ホッとした様子なのである。

彼女の母は、長い間、寝たきりの夫の母親の介護をしていた。認知症のうえに体が不自由になると罵声がひどくなったそうである。

おむつを交換している彼女の母親に祖母は悪口雑言をあびせ、深夜も止まらない。長期にいられる病院や施設がみつからず、医師が処方する薬も効かなかった。

彼女の父親は会社員で、その罵声により眠れず、アパートに越した。彼女も会社員なので、あまりにひどい夜は、父のいるアパートに行って眠った。

母親は一人で罵声に耐えて、介護を続けていたのである。

罵声をあびせる患者と母は同室に


私の母は認知症だが、罵声はなかった。意識不明になり一般の病院に入院したが、嚥下機能が低下してゼリー状のものしか食べられなくなり、それに対応できる介護施設を探すことになった。母は、心臓の機能が低下していたが、ベッドの柵をガタガタと揺する元気さがあり、介護施設の長期入居を断られたりした。

ようやく母は、認知症と身体の病気もある人を受け入れる療養型の病院に入院できた。

母は4人部屋に入った。母は90代、ほかの3人は80代のようである。私が面会に行くと、3人は私を自分の娘だと思った。3人のうちの1人は自力でベッドから起き上がり、「いいのよ。そんなに来なくても」と笑顔で言い、もう1人は寝たまま「あなたは元気なの?外は寒いでしょ」と季節に関係なく言った。


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ところが母の隣のベッドにいる女性は、「この売女(ばいた)!何しに来た!おまえなんかくたばれ!近寄るな!バカヤロー!」などと、ののしるのである。

私は父も兄も江戸言葉丸出し(べらんめえ)で、短気で怒鳴るタイプだったので、慣れていた。「はいはい、売女でございます」と言って彼女の横を通り抜け、母の寝ているベッドにたどり着いた。すると母は「妹が来た」と言った。母だけが私を娘だと思っていなかったのである。コロナ禍で面会が制限される少し前のことで、面会に制限はなかった。罵声をあびせる患者に面会に来る人を、私は見たことがなかった。将来の孤独な自分の入院の姿を見ている気がして、温厚な老人になろうと決めた。

面会に来る家族たちは、罵声の患者を怖がり、「部屋を変えてもらおうか」と相談していることもあった。ところが、母も含めて患者たちは、罵声の患者のことは全く気にせずに、それぞれの世界で生きていたのである。

罵声を見事に止める介護職員のキャリアは…


この病院には看護師と介護職員がいた。洗濯物をたたむ、患者の身の回りを整える、着替えをさせるなどは、介護職員が行い、年配の人も活躍していた。

その介護職員の中に、60代に見える不思議な人がいた。罵声の患者が、その介護職員だと静かになり、昔から親しかったように話しているのである。彼女は罵声の患者と話しながら、着替えをさせたりしていた。

ある時、私は母のパジャマに食事のシミを見つけ、着替えさせようとした。すると、その彼女が、「明日、私がお母さんの担当だから、着替えさせるわ。お母さんは穏やかね。いろいろ耐えて、苦労してきたのね」と言われた。

「私の兄は統合失調症で、父は難病でした。父の難病と借金が分かると、父の愛人は逃げ、母は父の介護をしていました。母は忍耐の人です」と、私は告げた。

「いろいろな人を見てきたから、分かるわ。若い時から、ずっと違う仕事をしてきたから、人を見る目はあるのよ」と、彼女は言うのだ。

「何の仕事をしてきたのですか?」と、私は聞いた。

「ずっとクラブでホステスをしてきたわ。それから、自分で小さな居酒屋やスナックをやってきた。夜の仕事が体にきつくなって、この病院で昼間の勤めを始めたの」と言うではないか。「ホステスさんですか。すごいじゃないですか」と、私は驚いた。


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「良いお客さんもいたけど、嫌なお客さんも多かった。有名な会社にいることや役職を自慢して威張る人、部下を皆の前で罵倒して偉さを見せつける人、泥酔して絡む人、ホステスはお金を払えば何でも言うことをきくと思っている人、そんなお客さんに比べれば、ここにいる認知症の患者さんのお世話は、私には楽なのよ」と、彼女は答えた。何人かで来店した時は、一瞬にして一番地位が上の人は誰かを見極める能力も、身につけなければならなかった。それに失敗すると、嫌味を言われたり、辛く当たられたりした。

スナックや居酒屋の経営をしている時は、お客同士の喧嘩の仲裁、お金を踏み倒されるなど、様々な事件があったそうだ。

彼女は、「患者さんたちは、いろいろな人生を経て、ここにいる。私は患者さんたちを人生の先輩として尊敬しているわ。実の親だったらそうは思わないかもしれないけどね」と言った。

罵声をあびせる患者は、笑顔で彼女の話を聞いていた。私がはじめて見たその笑顔は、可愛らしかった。

婦人公論.jp

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