『サザエさん』の波平は54歳!身体と言葉の専門家・齋藤孝が教える、老いの概念が変わった今、もはや「老人」ではない60代に「必要なもの」

2025年4月1日(火)12時30分 婦人公論.jp


まだまだ若い!現代の60、70代(写真提供:Photo AC)

現代の60、70代は、まだまだ若い一方、「老い」をどう受け入れていくかについて、考え始める世代でもあります。そんな時助けになるのが「知力」です。「インプットした情報はアウトプット」、「できないことには鈍感力を発揮」など日々の習慣が、60代からの自分を作り直してくれます。「身体」と同様に「知力」にも鍛え方や保ち方のコツがあると語る、身体と言葉の専門家・齋藤孝さんの著書『60代からの知力の保ち方』より一部を抜粋して紹介します。

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「老い」が変わった!


最近の感覚からすると、60、70代を老人と呼ぶのはまだ早い気がするという方が多いのではないでしょうか。

素直に老人と思えるのは、80代以上という認識を持つ方が一般的かもしれません。

将来的には、老人という言葉自体、死語になりそうです。見た目も一昔前に比べたら、ずいぶん若々しくなっています。

聞いて驚いたのですが、『サザエさん』一家の父親の磯野波平は、54歳の設定です。

その年齢で、老いの貫禄(かんろく)十分でした。掲載紙を替えながら『サザエさん』が新聞連載されていたのは1974年まで。

定年が60歳に義務化されたのは1998年のことで、それ以前は55歳が定年でした。

急速に平均寿命を延ばした日本人


それからまだ30年もたっていませんが、日本人は急速に平均寿命を延ばし、2022年には男性81.05歳、女性87.09歳になりました。

1955年には男性63.60歳、女性67.75歳と男女ともに60歳代だったことを思うと、現在がいかに長寿かがわかります。

日本は2007年に、65歳以上の割合が全人口の21%を超えて、超高齢社会になりました(日本医師会生命倫理懇談会「超高齢社会と終末期医療」)。

海外の研究によると、この年に日本で生まれた子どもの約半数が107歳より長く生きると推計されており、「人生100年時代」に突入しました。

2025年には団塊の世代の人々すべてが75歳に達します。この時、全人口の約5人に1人が後期高齢者(75歳以上)、約3人に1人が65歳以上となります。

雇用や医療、福祉などさまざまな分野に広い影響を及ぼす2025年問題を控え、老いが新しい領域に入ってきたのです。

60、70代をなんと呼ぶ?


この新しい枠組みの中で、私たちは前人たちが経験したことのない「老い」に直面しています。老後だからと隠居している場合ではありません。

順天堂大学医学部の小林弘幸教授は、人生100年時代の生き方について、「老後をやめる」ことを提案しています。

そのものずばりのタイトルの著書、『老後をやめる』(朝日新書)によると、お金や健康への心配や、孤独への怯えといった「老後不安」は、「老後をやめる」ことによって、おおむね解決できると言うのです。

その方法として、生涯現役で働くことに加えて、趣味や勉強、創作、ボランティアなどに、生き生きと励むことも挙げています。

そうなりますと、現代の60、70代を指すのにしっくりくる呼び方がないことに気づきます。

40代以降を指す「中高年」という呼び方もありますが、「高年」という言葉にはなじみがありません。

しかも行政が使う言葉というイメージもあり、自分たちの世代を表す言葉としてはフィットしません。

現代に合う「老い」の新しい呼び方


「初老」はもともと40歳くらいを指す言葉。

「熟年」という言葉もありますが、「熟年離婚」という形で「離婚」とセットになって定着している感があり、寂しい気がします。

かつては「少壮老」という言い方もありました。

江戸時代の儒学者、佐藤一斎(さとういっさい)は、『言志四録(げんしろく)』で「少(しょう)にして学べば、即(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず」と記していて、少壮老の三区分を説いています。

この区分で言うと「老年」は50歳以降あたりですが、いずれにしろ古い時代の区分で、「老」の字が入ると、今や80代をイメージしてしまいます。

従来の呼称との乖離は、寿命の延びと社会構造の変化によって、老いの枠組みが変わっていることの証左です。

新しい枠組みに合う、新たな呼び方はまだ確立されていません。ひとまず、「プレ老い世代」と呼びましょうか。


知的関心や、好奇心が「知力」の向上に(写真提供:stock.adobe.com)

知力も身体と同様、鍛え方・保ち方がある


「プレ老い世代」に必要なのは、「知力」です。知力が衰えなければ、自信と尊厳を保つことができます。

運動能力に置き換えて考えてみれば、わかりやすいでしょう。例えば山登りを続けている人は、60、70代になっても、富士山にだって登ろうと思えば登れるでしょうが、まったく登山経験がなかったら、登ろうと思っても無理があります。

知力もそれと同じことで、鍛え方があるのです。人生100年時代に生きる私たちは、60歳以降、まだ10年、20年、あるいは30年という時間があります。

その土台作りとして、脳を活性化状態に置くトレーニングが必要です。インターネットもない30年前でしたら、本を読むに如(し)くことはなかったでしょう。

現代はそれにとどまらず、情報総量が格段に増えていますから、インターネット、テレビ、書籍と、さまざまにアンテナを張りながら、自分をフレッシュな知と触れ合える状態に置いておくことが大切です。

知力の向上に当たって、まず問題となるのが、どうやって刺激を得るかです。ポイントは、「こんな世界があるんだ」という知的関心、「この世界をもっと知ってみたい」というワクワクした好奇心です。

みなさん小学生の頃は、そんな関心や好奇心を持っていたのではないでしょうか。

※本稿は『60代からの知力の保ち方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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