86歳のVtuber・メタばあちゃんひろこ「孫に頼まれ、仮想アイドルに。3回だけのはずがもう2年。プロジェクトの仲間とおしゃべりやオフ会も楽しく」

2025年4月1日(火)12時30分 婦人公論.jp


メタばあちゃんとして活躍するひろこさんと、孫の竜二さん(撮影:大西理江子)

ピンク色の髪に可愛い制服を着た、アニメの女の子。でも声は広島の方言でダミ声のおばあちゃん——。そんな動画で人気を集めているひろこさんは、活動を通して人の輪が広がったと言います(構成:山田真理 撮影:大西理江子)

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お悩み相談が若者に大人気


チャンネル名:メタばあちゃん_MetaGrandma

2年前、ユーチューブで「アイドル」としてデビューいたしました、「ひろこ」と申します。と言っても普段の私はスマホも使わない、86歳の普通のおばあちゃんなんですけど。

ユーチューブを始めたきっかけは、コロナ禍です。東京で起業した孫息子が、広島の実家へ戻ってきましてね。「リモートワークをするんだ」と言われてもようわからんでしょう。2階の部屋に閉じこもって一日中、ケータイやらパソコンやら見ているものだから、「引きこもりになったんかなあ」と心配してたんですよ。(笑)

そうしたらある日、「おばあちゃん、これ読んで」と台本を渡されて。「声に合わせて、おばあちゃんの分身としてアニメが動くんだよ」と説明されたけど、何が何やら。ただ、私が孫のためにひと肌脱げるのならと、声の出演を引き受けたんです。

私の声に合わせて動いてくれるアニメを「アバター」と言うんだそう。孫が選んだのは、ピンク色の髪と可愛い制服。そんな姿なのに、広島の方言まる出しのダミ声で棒読みのセリフを喋るのが面白かったんかね。大勢の人が見てくださったそうで。

なんでも、「メタばあちゃんプロジェクト」という、75歳以上の女性が顔を出さずにアイドル活動をするグループを孫が作るんだと。私の動画は、メンバーを集めるための見本だったようなんです。だから収録も3回で終わる予定が、「次も」と言われるまま、もう2年も続けさせてもらってます。


声に合わせて「アバター」が動く映像を孫の会社が作成する

続けるうち、視聴者から感想をいただくようになって。同居する長男の妻が「今日はこんなコメントがきたよ」と読み上げてくれるのが、どんどん楽しみになっていきました。

台本は、孫や長男の妻と相談しながら一緒に考えます。それを私が読み、録音データを東京の孫の会社のスタッフさんに送ると、動画を作ってくれるのです。内容は、私が作るお雑煮のレシピだったり、食レポだったり。意外なほど人気になったのが、「お悩み相談」でした。

相談といっても、私は偉い先生でも占い師でもありません。「将来が不安だ」というお便りに、「人生は長い。くよくよしたって仕方がない」と答えるなど、当たり前のことしか言わないのだけど、若い人には新鮮だったんかなあ。「圧倒的説得力」とか、「泣きそうになった」など大きな反響があったんです。

ある時若い女性の働き方を考えるという取材を受けて、私は「座って仕事ができるだけいいじゃないですか」と答えました。私はずっと重い荷物を背負うなど、体を使って仕事をしてきたからです。

《ダメ夫》の代わりに家計を支えた


4歳の時に母が亡くなり、父は再婚しましたが、その義母も私が8歳の時に亡くなりました。残されたのは2歳の弟と生まれて半年の妹。弟は私にずっとついて来るし、赤ちゃんのいる知人の家へ妹のお乳をもらいに山を越えるのも大変で、学校にはろくに通えませんでした。

中学校に上がる頃に父ががんになり、私はその看病と、きょうだいの世話、畑仕事の全部を一人でやることに。先生は「来られる時には顔を出せ」と言ってくれたけど、たまに行ってもついていけません。そんな私の過去を知った孫が、「おばあちゃん、こんな格好したかったんと違うか」と言って、制服姿のアバターを作ってくれたんです。

学校を出る年になっても、体を動かす仕事しか見つかりません。工事現場の仕事先で出会った男性と、20歳で結婚。父が7年の闘病の末に亡くなり、弟や妹も自分たちでなんとか生活できる年齢になった頃でした。「実家を出ないと一生きょうだいの世話で終わってしまう」と思っていた時、ちょうど「結婚しよう」と言われたんです。(笑)

いい人だったし惚れてもいたけど、人に奢ってばかりで家にお金を入れない《ダメ夫》。22歳で長男、24歳で次男が生まれましたが、私が食品の卸問屋で働いて家計を支えました。

お菓子屋さんやうどん屋さんに、砂糖やメリケン粉を配達する仕事でした。途中からは免許を取って車で運んだけど、最初は担いで持って行ったんですよ。多い時は1日100俵くらいになります。そんな仕事を56歳まで続けたおかげか、今でも足腰は丈夫。定年退職後は、ラムネやサイダーを作る工場で70歳手前まで働きました。

息子たちも中学生からは新聞配達で家計を助けてくれて。次男が配達の仕事を辞める時、職場の人から「お母さん、代わりにどうですか」と誘われ、卸問屋の仕事の前後に1日30軒の配達を始めました。10年続けたら、今度は「集金を手伝ってくれ」と言うので、それも始めて。月に400軒は回りましたよ。

「ひろこ」であれば本音で喋れる


自分の昔話なんて、家族に詳しく話したことはありませんでした。ユーチューブを始めて嬉しかったのは、私の話を皆さんが「もっと聞きたい」と言ってくれたことです。

プロジェクトには現在、0期生の私に続いて3人の1期生、3人の2期生、1人の3期生が参加。その方たちも、活動をきっかけに「みんなが自分の話に興味を持ってくれる」「家族で話す機会が増えた」と喜んでいるそうなのです。

私も、活動を知った妹から「姉さんが私たちのためにこんな苦労をしていたとは知らなかった」と電話があって、1時間以上も昔話に花を咲かせました。

もう一つ嬉しかったのは、新しいお友だちができたこと。ユーチューブの企画で、プロジェクトの仲間たちとオンラインでお喋りやお芝居をしたのですが、これがまあ楽しくてね(笑)。孫には「みんな乙女に戻ってる」と笑われました。

「ひろこ」という架空のキャラクターだからか、仲間同士では本音で喋れるのも楽しみの一つ。

たとえばご近所の人に嬉しかったことなどを話したら、「あの人はいつも自慢話ばかり」と思われるかもしれませんが、彼女たちになら、「登録者数が増えた」「テレビの取材で有名人と話した」なんて話もできるんです。(笑)

こんな素敵な方たちと、死ぬまでに一度、会ってお話ししてみたい。そう思って私、13年ぶりに東京へ行きました。「かおるさん」という仲間がカラオケ喫茶で開いたコンサートに「ハマコさん」と一緒に参加。

その後のオフ会(オンラインで知り合った人同士が実際に集う会)は大変盛り上がりました。オフ会の後、新メンバーの「おことさん」にもお会いできましたし、孫に案内してもらった東京観光も、とても楽しかったです。

息子2人は家庭を持ち、孫たちも、まあ1人はようわからん仕事ですが(笑)、立派に働いています。夫は30年ほど前に亡くなり、家族は「おばあちゃんは好きなことをして、ゆっくりすればいい」と言ってくれて。週6日、近所のプールへ自転車で通える元気もあります。

若い頃は、とにかく生きるのに精いっぱいでした。連続テレビ小説『おしん』が流行った頃、「おしんちゃんはまだ楽なほうや」と言ってたくらい(笑)。

それがこんな極楽みたいな生活をさせてもらっているうえ、ユーチューブで面白いこともできて、本当に私は幸せ者。一日でも長生きして、これからもメタばあちゃんの活動を仲間たちと続けていけたらと思っています。

婦人公論.jp

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