吉川晃司と布袋寅泰によるスーパーユニット、COMPLEXが再びステージへ…彼らの稀有な音楽性とシーンに与えた影響

2024年4月3日(水)6時0分 JBpress

(冬将軍:音楽ライター)

90年代から現在までの、さまざまなヴィジュアル系アーティストにスポットを当て、その魅力やそこに纏わるエピソードを紹介していくコラム。今回は吉川晃司布袋寅泰によるスーパーユニット「COMPLEX」。2024年5月15日、16日、東京ドームのステージに立つ彼らが音楽シーンにもたらした衝撃とは?(JBpress)


『日本一心』再び

 吉川晃司と布袋寅泰によるスーパーユニット、COMPLEXが再び『日本一心』を掲げて2024年5月15日、16日、東京ドームのステージに立つ。2024年1月1日に起きた能登半島地震に対してのもので、公演の利益すべては被災地の復旧、復興のために寄付される。

 COMPLEXは1988年12月に結成が発表され、1989年4月にデビュー。そして1990年11月、人気絶頂の中、わずか2年弱という短い期間で活動休止した。そして2011年、東日本大震災の復興支援として、同年7月30日、31日に東京ドームにてチャリティーライブを行った。

 21年ぶりのライブは当時のファンはもちろん、活動休止以降にファンになった多くの者を沸かせた。アーティストとしてはもちろんのこと、役者としても大成した吉川と、自らボーカルを取るスタイルでソロアーティストとして大成功を収めた布袋がギタリストに徹するステージは圧巻だった。

「BE MY BABY」のリフレインに合わせてステージの両サイドから登場した2人が、がっちりと握手を交わしたオープニング。そこから布袋が右手を大きくあげイントロのコードを思いっきりかき鳴らした瞬間は多くのロックファンが興奮し、涙した日本のロックシーンに残る名シーンである。1990年11月8日、東京ドームにてラストライブとして開催した『ROMANTIC EXTRA』と同じセットリストをほぼ同じバンドメンバー(ドラマーのみ異なる)で演奏するという粋な計らいもファンを喜ばせた。

 1990年の活動休止の原因はそれぞれが「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友人を失うことはなかった」と語るほど、方向性の相違によって不仲になってしまったことだ。『ROMANTIC EXTRA』に関しても、ドームでライブをやりたい吉川と最初はそれを拒否した布袋、というほどに2人には温度差がある中で行われたものだった。

 故に2011年『日本一心』の最初の握手は、当時を知っているファンほど涙したものだ。同ライブはアーティストとして大きくなった2人の21年ぶりのライブである同時に、2人のひとつになった気持ちも含め完成度の高いライブであったのである。


時代を変えたスーパーユニット

 先日、Xにて女子高生が「BE MY BABY」のミュージックビデオを真似た動画がバズり、それに対して布袋本人が「可愛いね」とコメントしたことが話題になった。セットなしの真っ白な空間で、吉川と布袋2人だけのアクションのみ、定点カメラ1台のワンカットと思われるあのミュージックビデオの衝撃たるや、バンドマンはもちろん、多くの中高生たちが箒をギターに見立て真似したものだ。あの平成元年のセンセーショナルは令和になっても変わらないのである。

 私がヴィジュアル系シーン史を語るとき、よくCOMPLEXとX JAPANを比較に出す。COMPLEX「BE MY BABY」のリリースが1989年4月8日、X JAPANのアルバム『BLUE BLOOD』のリリースが同月21日と、ほぼ同時にメジャーデビューをしているのである。

 ジャパメタの深化というべき猟奇的なメタルとド派手な出立ちでメジャーに殴り込みをかけたX JAPANと、“都会派”という言葉も持て囃された世にスタイリッシュな装いで新たなロックを切り拓こうとした長身2人組のCOMPLEX。音楽性もビジュアルも正反対ながら、この2グループが音楽シーンに与えた影響は計り知れない。

 1988年5月に日本武道館公演を最後に所属事務所であった渡辺プロダクションから独立することになっていた吉川と、BOØWY解散後にソロデビューを果たしていた布袋は、同年12月10日にCOMPLEXの結成を発表する。布袋のソロデビューアルバム『GUITARHYTHM』のリリースが同年10月5日であり、10月26日に国立代々木競技場第一体育館、11月15日に大阪城ホールにて初のソロコンサートを行っていることを考えると、COMPLEXの結成は急に持ち上がったのだろう。


吉川晃司と布袋寅泰

 2人の邂逅は1985年頃に遡る。吉川の友人、ギタリストの鈴木賢司が六本木のレコーディングスタジオに布袋を連れてきたのが初顔合わせとなった。その後、BOØWYのアルバム『JUST A HERO』(1986年)に吉川がゲスト参加。また吉川のアルバム『MODERN TIME』(1986年)、『A-LA-BA・LA-M-BA』(1987年)、『GLAMOROUS JUMP』(1987年)にギタリストとして布袋が参加している。

 2人は一時期同じマンションに住んでいたりと、プライベートでの交流もあった。吉川サイドのアイドルからの脱却と布袋サイドのボーカリストとしての未熟さ、という双方の思惑が合致したことから結成に至っている。

 吉川は1984年2月に「モニカ」で鮮烈デビュー。渡辺プロきっての逸材と謳われた。当時はいうなればアイドルであり、小泉今日子らと共に、異性同性関係なく好まれる“ニューアイドル”とも言われた。「ラ・ヴィアンローズ」(1984年)、「にくまれそうなNEWフェイス」(1985年)といったヒットを生み、不動の人気を確立。しかしながら吉川本人はアイドルや歌謡曲、ニューミュージック枠に括られることを良しとしていなかった。1985年の『第35回紅白歌合戦』にトップバッターとして登場した吉川は、ステージ上で手にしていたギターに火をつけるという、ロックな反骨精神に溢れた伝説も残している。

 元々アーティスト志向であった吉川は、先述のアルバム『MODERN TIME』より自身の手掛けた楽曲が収録。本格的にアーティスト色を強めていく。布袋が参加したこともその傾向に拍車をかけた。一聴してわかる布袋のギタープレイはスタジオミュージシャンという枠を超えた共同制作者としての存在を強めている。『MODERN TIME』から『GLAMOROUS JUMP』の3枚で、COMPLEXの原型が出来上がったといっていいほどだ。

 吉川といえば、メイクをする男性アーティストの代表でもあり、DCブランドのスーツを着てロックを歌うシンガーのパイオニアともいえる存在であった。また、言葉の頭に“っ”や、語尾に“ぅ”などを挟み込んだ1つの音符に2音分の発音を入れ英語発音的な日本語の崩し方は、吉川が確立させたと言われるほどである。その昔、インタビューで「ハ行をカ行に置き換えることでスピード感が出る」と発言していたことを覚えている。

 確かに「サヨナラは八月のララバイ」(1984年)では明らかに《サヨナラは “カッチガツ(八月)”のララバイ〜》と歌っているし、COMPLEX「恋をとめないで」(1989年)では《とびっきりの“こほえみ(微笑み)”を〜》と歌っている。現在にも通ずる吉川歌唱のスタイルはCOMPLEXで確立されたと言っていいだろう。

・語尾あげ強調

恋なんても“おぉぉ” するもんじゃな“ひぃー”
お嬢さんのつもりが臆病になってるだ“けぇ”
“へぃやぁ(部屋)”にこもって“てぇ”

・ビブラート強調(伸ばしをシャープ気味にする)

守ってあげるから“ぁあぁあぁあ“
恋をしようよ“ぉおぉおぉお“

——COMPLEX「恋をとめないで」より

 そして、日本で水球の存在を広く知らしめたのも吉川ではないだろうか。水球で鍛えた肉体によるバク転や、垂直ではなく体の捻りを加えた横回転のシンバルキックのステージパフォーマンスは吉川の代名詞にもなっている。「足が折れるか、シンバルが折れるか」とは本人談。実際シンバルキックによる骨折は数知れず。

 一方で布袋はBOØWY解散後、コンピューターテクノロジーとギターの融合という『GUITARHYTHM』(1988年)を作り上げた。のちのデジロック(デジタルロック)の先駆けというべきもので、打ち込み主体でギターアンプを使用しないレコーディングという、のちにDTMや宅録と呼ばれるものに近い手法でアルバムを作り上げている。

 こうしたキザなボーカリストと、最先端のテクノロジーを駆使したギタリストによるユニット結成発表への期待値はどれほどのことであったか。BOØWYの補完的存在として見ていたリスナーも多かった。しかし、そうした期待は良い方向へ大きく裏切られることになる。


ジャパニーズロック史に輝く名盤『COMPLEX』『ROMANTIC1990』

「BE MY BABY」の衝撃。2人だから成立するキメキメのアクションで攻めに攻めたミュージックビデオはもちろん、ミディアムテンポのダーティでワイルドなオーラに見舞われた重厚感のあるロックナンバーは、BOØWYはおろか、これまでのバンドブームに見られた8ビートロックとは明らかに異なるものだった。さらには1stアルバム『COMPLEX』の隙なき完成度に撃ち抜かれる。

 オープニングナンバー「PRETTY DOLL」。デジタルビートが駆け抜けていく様相はバンドの疾走感とは一味違う、ロックの新たな息吹。吉川のキャッチーな詞曲に布袋が『GUITARHYTHM』で得た最新鋭サウンドが融合した新しいロックの幕開けである。

 ポップメロディ冴え渡る「恋をとめないで」はイントロの中華風ギターメロが歌謡ロックとも一線を画す世界観へと導き、「RAMBLING MAN」はCOMPLEXのビートを支えた立役者、池畑潤二(Dr)だからこそ生まれたグルーヴが冴え渡る。

『COMPLEX』でドラムがクレジットされているのはM3「恋をとめないで」、M10「RAMBLING MAN」、M12「CRY FOR LOVE」の3曲のみであり(3曲とも池畑)、デジタル色の強い作風で、硬質なビートに乗せてダンサブルに暴れまくる布袋のギターと、色気たっぷりにまどろむ吉川のボーカルがスリリングに絡み合うロック史上に燦々と輝く名盤だ。

 カリスマ2人が織りなす重厚さは2ndアルバム『ROMANTIC 1990』で更なる進化を遂げる。リリース前には歌番組『夜のヒットスタジオ』に出演し、日本中のロックファンを熱狂させた。

 披露された「1990」のシンセサウンドに乗せた抑揚の少ないメロディを艶っぽく表現する吉川の表現力とソリッドな布袋のギターのセクシーな絡み。そして「MAJESTIC BABY」のはてなしなく突き抜ける開放感はブラウン管越しに多くのロックファンを熱狂させた。結果的には『ROMANTIC 1990』の制作において2人の方向性の違いが明確となり、活動休止となるわけだが、作品の完成度は前作を大きく上回るものとなっている。

 近未来を感じさせるインストゥルメンタルM1「ROMANTICA」からのM2「PROPAGANDA」。一気に引き込まれるドラムのフィルから高らかに鳴り響くホーンのシンセ、裏打ちのビートに絡むギターのカッティングとスラップベースが絡み合うイントロ、そして徐々に積み上がっていくようなメロディライン、トリッキーなギターソロまで、これまでの日本のロックでは耳にしたことない荘厳なナンバーであった。

 それはM7「THE WALL」のダークさ然り、M11「DRAGON CRIME」の高貴な香りもそうだ、「ワン、ツー、スリー」でドーンと攻めるロックバンドのそれとは全く異なるロックの在り方である。前作から続くM3「LOVE CHARADE」の中華な雰囲気を感じる音使いも異国情緒を漂わせるCOMPLEXの色を大きく彩っている。

 今年5月に行われる『日本一心』はどんなステージを見せてくれるのだろうか。前回から13年である。布袋は還暦を越えた62歳、吉川は58歳である。アラカン男のロックスター2人が魅せてくれるであろうダンディズムなステージは今から楽しみで仕方ない。

筆者:冬将軍

JBpress

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