麻薬密輸で14年間タイ刑務所で暮らした元・日本人死刑囚! “地獄の刑務所暮らし”を赤裸々暴露

4月4日(火)7時30分 tocana

竹澤の刑務所仲間のロシア人が描いてくれたという独居房の様子。(写真提供:竹澤恒男)

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 小遣い稼ぎのつもりで覚醒剤の密輸に手を染めた日本人の男——。タイに遊びに行ったついでに毎回数千錠を買い込み、日本で売る。そんなことを幾度となく繰り返したのち、2002年にタイの空港で逮捕された。その時点ではすぐに日本に帰されると思っていたが、裁判での求刑は、なんと死刑。最終的に懲役30年まで減刑され、2016年8月に釈放された。そんな日本人男性から話を聞いた。


■強制送還だと思っていたら死刑!

 現在、栃木県小山市に暮らす元受刑者・竹澤恒男(64歳)は、14年間に及ぶタイの刑務所暮らしを経て、生きて日本への帰還を果たした。2017年になって何度かテレビや雑誌でも取り上げられていたので、名前をなんとなく聞き覚えている人もいるかもしれない。

【その他の画像と動画はコチラ→http://tocana.jp/2017/04/post_12760.html】

 かつて竹澤は、タイの国際空港で「ヤーバー」と呼ばれるアンフェタミン系の覚醒剤を大量所持しているところを発見され、裁判では密輸目的と判断されて死刑が求刑された。2年にも及ぶ裁判の結果、下された判決は懲役30年にまで減刑されたものの、その時点で50歳を超えていた本人は「もう生きて帰れる可能性は薄い」と感じていたという。

 竹澤は神戸出身だが、当時まだ結婚したばかりのタイ人妻と、小山市内でアジアン雑貨店を営んでいた。近所にも日本在住のタイ人が多く、知り合いもたくさんいたが、ある日その中の1人が不法滞在でタイに強制送還された。その後、竹澤は1人でタイへと旅行に出かけ、強制送還された男の故郷を訪ねた。友人との久しぶりの再会——。そして男は、「喘息に効くのだ」と言って竹澤にヤーバーをくれた。この経験こそ、そもそもの間違いの始まりだった。

 幸か不幸か、竹澤の体質にヤーバーは合わなかった。その代わり、「これを売れば小遣い稼ぎになる」と考えた彼は、日本に持ち帰ったのだ。このようにして味を占め、とうとう7度目か8度目に逮捕された。

 裁判での求刑「死刑」を耳にするまで、強制送還ぐらいの処分で済むと思っていた竹澤。判決は懲役30年にまで減刑されたものの、現実は甘くはないことを思い知り、年齢と喘息の持病を考えればもう日本に帰れないという絶望に打ちひしがれた。タイでは拘置所と刑務所が同じ施設だが、ある日、竹澤が死への恐怖をさらに募らせる出来事が起きたという。

「深夜、隣の房がバタバタ騒がしいなと思っていたら、囚人のひとりが心臓発作を起こしていたようでした。しかし、医師が駆けつけることはなく、朝の解鍵まで放置されて死亡しました。しばくして、袋に詰められて搬送されるところも見てしまいましたよ」


■自分で金を稼がなければならない過酷な刑務所暮らし

 そもそもタイの刑務所は、更生施設というよりも懲罰施設としての側面が強いとされる。そのためか、囚人は非常に乱暴に扱われ、刑務官の気分次第では殴られることもあるし、持病の薬は囚人自らが購入しなければならない。

 喘息持ちだった竹澤には薬が必要だった。彼が入所した長期刑専門刑務所では、外国人に労働が科されない一方、日銭を稼ぐこともできない。幸いにも、売店で食材を買うことができたため、菓子作りやタバコ・切手・日本からの差し入れなどの転売で金を稼いだ。アニメキャラのシールなどは、子どものいる囚人が手紙に貼ることができるため、よく売れたという。

 また、金さえあれば快適に過ごせるのもタイの刑務所の特徴だった。家電や携帯電話まで買えたという。もちろん市価の数十倍という高値ではあるが。当時の竹澤の唯一の楽しみは、MDプレイヤーで音楽を聴くことと、たまに日本人から差し入れられる日本語書籍を読むことだった。

 しかし、本来そのような行為は不正。また、差し入れられる食べ物に麻薬が仕込まれているケースもあり、ある時を境に厳しい持ち物検査が行われるようになる。外部からの差し入れは完全禁止、調理器具もなくなり、商売ができなくなった。

 そして、竹澤のムショ暮らしはますます厳しくなった。タイ国内でさえ高額な喘息薬。刑務所での価格は、市価よりもはるかに高くなる。収監されていたバンクワン刑務所で竹澤は、自分と似た境遇にある囚人たちが次々と死んでいく様を目の当たりにした。

「私が結核で刑務所内の病院に入院していた時、末期のエイズ患者で寝たきりの囚人が明け方に死亡しました。すると、ほかの入院患者が、寝たきりで動けないはずのその囚人が夜中に歩いている姿を見た、と言い出したのです。エイズ患者は、息を引き取る前に一時的に元気を取り戻すという話を聞いたことがあるんですが、真偽はわかりません。空いたベッドの上に、蓮の花が置かれていたのが哀れでした」


■判決の半分で済んだ、しかし14年の月日が流れていた

 次は自分の番になるのだろうか——。死が間近に迫っているという恐怖もあったが、2015年ごろから光が見えてきた。もともとタイでは、薬物事犯にはほとんど恩赦が出ない。殺人の場合、死刑判決を受けても大体12〜15年で釈放されるが、麻薬の場合はそうはいかないのだ。それでも10年以上にわたり刑に服したことで、残された刑期を考えると、恩赦があと1度か2度あれば、自分も釈放される可能性があると知ったのだ。

 そして、2016年8月。恩赦が発表され、ついに竹澤の釈放が決まった。ただ、外国人の場合は即座に強制送還となるため、出所後すぐさま移民警察の留置場で拘束される。その後、自費で航空券を買わされ、空港へと連れていかれた。出国時に「99年間の再入国禁止」を言い渡されると、飛行機に乗る直前に手錠を外され、竹澤は本当に自由の身になった。

 しかし、飛行機が日本に近づくにつれて「生きて帰って来られた」という感慨は不安へと変わったという。竹澤に所持金はほとんどなく、帰る場所も働く先もない。現在、彼は生活保護を受けながら暮らし、間もなくかつて働いていた時に納めていた年金が受給できそうだということで手続きを進めている。

 結局、竹澤は自らの手で潰してしまった14年間の代償を今、そして、これからも払い続けなければならない。竹澤の厳しい生活はこれからも続くが、テレビに出演している竹澤と、かつて刑務所の面会室でガラス越しに見た彼の面影を比較すると、まだ日本にいる竹澤の方が肌つやはいいように見えた。それほど、外国の刑務所は厳しい場所だということだ。
(文=高田胤臣)


※画像は、竹澤の刑務所仲間のロシア人が描いてくれたという独居房の様子。(写真提供:竹澤恒男)

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