伊集院静「身近な人の死」は残された人に何を教えてくれるのか。前妻・夏目雅子と見た花火の<苦い記憶>【2025編集部セレクション】

2025年4月10日(木)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:講談社)

2024年上半期(1月〜6月)に『婦人公論.jp』で大きな反響を得た記事から、今あらためて読み直したい1本をお届けします。(初公開日:2024年05月29日)
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2023年11月24日に作家の伊集院静さんが永眠されました。『機関車先生』『受け月』などの数々の名小説を残した作家でありながら、『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などの名曲を手掛け、作詞家としても活躍しました。今回は、伊集院さんの名言が多数収録された『風の中に立て —伊集院静のことば— 大人の流儀名言集』から、ユーモアがありながらも人間を見つめる深い眼差しが秘められたエッセイを、一部紹介します。

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ふしあわせのかたち、情景は同じものがひとつとしてない


しあわせのかたちは、どれも一様に似かよっていることがあるが、哀切、苦悩と言った、一見ふしあわせに映る人々のかたちは、どれひとつ同じものがない。

私は花火を見るのが苦手である。

それは、前妻と、最後に見たものが、花火だったからである。

彼女を抱きかかえて病室の窓辺に行き、二人してしばらく花火を眺めた。

「ありがとう、もういいわ」

と彼女は言い、私はベッドに移した。

彼女が目を閉じたので、病室の電気を暗くした。

それでも病院のすぐ近くで花火が打ち上げられていたので、その爆音と、夜空を焦がす光彩は、容赦なしに病室に飛び込んでいた。

彼女の耳にそれが届いていないはずはなかった。

—あんなに花火が好きだったのに……。

沈黙した病室、花火の音


私は外カーテンを閉じ、ベッドサイドの椅子に座った。

沈黙した部屋に花火の音だけが聞こえていた。


『風の中に立て —伊集院静のことば— 大人の流儀名言集』(著:伊集院静/講談社)

—早く終ってくれないか。

その時、私の脳裡に花火を見上げて、嬉しそうに笑っている若い男女の姿など想像もできなかった。

圧倒的な数の花火の見物客。

彼等にとってその夏は忘れ得ぬしあわせのメモリーかもしれなかったろう。

しかしそのすぐそばで、沈黙している男女が存在するのを知る人はいない。

それが世の中というものである。

近しい人の死の意味


弟を、前妻を亡くした時、同じような立場の人が世間に数多くいるのを知った。

それでもこの頃、私の拙いエッセイを読んでラクになったと言われる。


(写真提供:Photo AC)

そういうつもりで書いた文章はひとつもないのだが、もしかして私の文章のそこかしこに、別離への思いが見え隠れしているのかもしれない。

「近しい人の死の意味は、残った人がしあわせに生きること以外、何もない」

二十数年かけて、私が出した結論である。

—そうでなければ、亡くなったことがあまりに哀れではないか。

人の死は、残った人に、ひとりで生きることを教えてくれる


一人の人間の死は、残されたものに何事かをしてくれている。親の他界はその代表であろう。

家人と彼女の両親の在り方を見ているとそれがよくよくわかる。

「時間が来ればすべてが解決します。時間がクスリです。それまでは、踏ん張り過ぎなくてもいいから、ちいさな、ごくちいさな踏ん張りで何とか生きなさい。踏ん張る力は、去って行った人がくれます。大丈夫です」

まるで宗教家か、詐欺師のような文章だが、他に言いようがない。

人の死は、残った人に、ひとりで生きることを教えてくれる。

それを通過すると、その人は少しだけ強くなり、以前より美しくなっているはずだ。

※本稿は、『風の中に立て —伊集院静のことば— 大人の流儀名言集』(講談社)の一部を再編集したものです。

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