大島光翔「自分が主役になれる瞬間が絶対にある」”スタァ”と呼ばれる選手のさめないスケート熱と原動力

2024年4月11日(木)12時0分 JBpress

文=松原孝臣 撮影=積紫乃


どうやったらお客さんに楽しんでもらえるか

 いつも観客席を沸かせる。愛称は「スタァ」。大島光翔はみせたいという意欲にあふれる演技を披露する。

 でも大島は言う。

「みせる意識が出てきたのはここ最近です」

 独自の存在感とともに氷上に立つスケーターの、今日に至る過程をたどりたい。

 初めて氷の上に乗ったのは2歳の頃だという。父に連れられてのことだった。その父であり現在もコーチである大島淳氏はNHK杯出場など活躍、プロスケーターとして「プリンスアイスワールド」などで長年活躍したことで知られる。

「遊びではなく、本格的にやりたいと思ったのは小学2年生のときでした。4年生からノービスの全国大会がある中で、父親に『ちゃんとやるならやりなさい、やらないなら違うことをやってもいい』と質問をされたのがきっかけです。やれとは一回も言われたことはないと思います」

 全国大会では早々に結果を残した。

「小学生の頃は全日本ノービスでも3番にならせてもらったり、比較的全国の上位に食い込むような成績を収めることができて、本当に戦えていましたし、楽しい一心でやってましたね。そのあとはやっぱりまだまだ上にいることに気づかされて、中学、高校はけっこうつまずいたシーズンが多かったです」

 当時を振り返りながら、こう語る。

「僕だけじゃなくどの選手も成長期で、急にジャンプが跳べるようになったり、急にスケーティングが上手になったり、そういう選手がほんとうに毎シーズン現れる中で、去年までこの子に勝ててたのに今年は勝てなかったとか落ち込む部分もありました」

 でも、と続ける。

「それよりも、ずっと小さい頃から同じ仲間でスケートの試合も合宿もしてきたので、負けたくないという気持ちだったり高め合う部分が多かったと思います。ネガティブな気持ちというより常に前を向いて、上を向いてという感じで練習していました」

 その成果が表れたのは2020−2021シーズンだ。 全日本ジュニア選手権で5位となり、全日本選手権にも初めて出ることができた。

「結果を出せた理由は、明確には思いつかないですけど、成長期があって身長も一気に伸びて力がついたので、ジャンプも跳べるようになったのかな、と思います。あのシーズンは、また全国の上の方を目指したい、上位で戦っていきたいって思ったきっかけのシーズンだったなと思います」

 さらに意識を変化させたのはあるプログラムにあった。

「(佐藤)操先生に初めて振り付けしてもらったプログラム、(2021−2022、2022−2023シーズンのショートプログラム)MIYAVIの『Real?』です。今までやろうと思ったことのなかったジャンルで、衣装も奇抜なものにチャレンジしました。そうしたらほんとうに自分の世界が広がったというか、なんでもできるなっていう表現の可能性を感じて、そこからどうやったらお客さんに楽しんでもらえるか、そういうことを自分なりに考えるようになりました」

 その変化をより具体的に説明する。

「僕は父親を見て育ちました。父親が明るくて周りにみせるスケーターだったので、何も考えず必然的に自分からそこに寄せていった部分はあると思います。お客さんのことを考えるより自分が一番楽しんで滑るということだけしか考えていなかったと思います」


シーズン前のアクシデント

 2023−2024シーズンも変化した思いに裏打ちされていた。

「コンセプトとしては、ショートはキャッチーで楽しい、誰が見ても分かる明るいプログラム、フリーはショートとのギャップを自分なりにつけたくて、あえて王道にチャレンジしてみました」

 ショートプログラムでは『スーパーマリオブラザーズ』をコミカルに演じ、衣装の工夫もあいまって反響を呼んだ。

 フリーは世界有数の振付師シェイリーン・ボーンに初めて依頼した。

「スケートをやっている身としては憧れの振付師さんでした。運動量やプログラムの密度という部分では今までにないぐらい濃いプログラムになったと思います。彼女自身が目の前でお手本を見せてくれるんですけど、曲がかかっていないときでも音楽が聴こえてくるような表現のすごさや可能性を感じました」

 満を持したシーズンだったが、開幕にあたって、アクシデントもあった。

 昨夏、中野園子コーチのチームの合宿に参加した。

「小学1、2年生の頃から毎年お世話になっていて、ずっとみていただいています」

 その合宿の練習中にジャンプで転倒、脳震盪を起こした。

「4回転の練習中でした」

 気づいたときには病院にいたという。2週間ほど静にするよう医者に言われた。

「どうしても潜在的な恐怖心というのはあって、踏み切る直前だったり、ふとしたときに恐怖心が出てくることはまだあります」

 シーズンを通し、考えていた計画なりに対して影響はあっただろう。

 それでも昨年末の全日本選手権では久しぶりに4回転ルッツに挑んだ。成功しなかったが、果敢に挑んだ。

「競技である以上ジャンプが絶対的に必要になってくる要素の1つですし、ジャンプもプログラムの一部と捉えています」

 ショートプログラムでジャンプのミスが出て20位スタート、総合22位に終わったが「ショートでほんとうに情けない結果だった分、切り替えるしかなかったので割り切ってフリーを滑ることはできたんじゃないかと思います」

 シーズンは終わり、通学している明治大学の4年生となった。これからについて大島は言う。

「自分の中でまだ決心はついていないんですけど」

 スケート人生をどう進んでいくのか……考えつつも、判断するための「きっかけ」となる出来事もあった。


最も憧れるスケーター

 大島は「誰よりもたくさんアイスショーを見てきたという自覚があります」と言う。出演者となったのは一昨年の「プリンスアイスワールド」だ。

「見てきたからこそ自分なりに思いきりできる部分もありましたし、見ている分には楽しそうでも滑る側となると簡単ではなかったり、ギャップや難しさも実感しました」

 昨年も「プリンスアイスワールド」に出演した大島は今年2月、「滑走屋」に出演する。

「本番の3日間だけじゃなくてリハーサルからの計10日間、ほんとうに合宿みたいな感じでスケーター全員で1つのものを目指して頑張っていく、今まで経験したことのない濃い10日間でした」

 高橋大輔がプロデュースする公演であることにも大きな意味があった。大島にとって最も憧れるスケーターであるからだ。

「いちばん自分に影響を与えてくれたのがバンクーバーオリンピックです」

 高橋が銅メダルを獲得した2010年の大会だ。

「ほんとうに『道』を観て憧れて、スケートを頑張ってきました。自分の使いたい曲の1つでしたし、絶対にやりたい曲でした」

 実現したのは2021−2022シーズンのフリーだった。

 濃密な時間を過ごしたことは影響をもたらした。

「自分の中でまだ決心はついていないんですけど、でもスケートの道に進んでもいいかな、と前向きに思うきっかけの1つになりました。ほんとうにまだ決めていないんですけど、あらためてスケートの楽しさだったり、スケートに対しての熱意だったり、自分でも再認識したショーになりました」

 長年打ち込んできたスケートへの思いはかわらない。原動力は「スケートがほんとうに好き、というのがいちばん」だと言う。

「やめたいと思ったことは今まで一度もないです。ここまでお客さん全員に注目していただける競技はないですし、自分が主役になれる瞬間が絶対にある。他の競技と比べて表現できる部分の幅も広いので、それが好きな理由の1つですね」

 自分自身を表すとしたら、「スケートバカって言葉が合うんじゃないですかね」と笑顔を見せる。

「『滑走屋』でまた実感したように、表現については掘れば掘るほど深い魅力があって、やっぱりそこの面ではほんとうに誰にも負けたくないという気持ちがあります。そういった部分はもっともっと伸ばしていきたいなと思っていますし、もちろんエレメント、技術面でも自分のレベルアップをしたいです。

 やっぱり海外の試合にも出て海外のお客さんにも見ていただく機会があればいいなと思いますし、成績を残さないと見てもらう場所は限られてくるので、その場所を勝ち取るという思いでやっていかないといけないと思います」

 6月に行われる「氷艶2024 -十字星のキセキ-」の出演も決定している。

 ——きっとスケートへの熱はきっとさめることはない。

筆者:松原 孝臣

JBpress

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