寝たきりの父親を挟んで息子たちが相続バトル。親の地獄は現世にあり。唯一の救いは…

2025年4月17日(木)12時30分 婦人公論.jp


イメージ(写真提供:Photo AC)

連載『相撲こそわが人生〜スー女の観戦記』でおなじみのライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間勤務しながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります。

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意識がないと思われた父親


「父親は背中でものを教える」と昭和の頃は良く聞いた。私の父は、まわりの人たちに仕事の景気が良いとか格好をつけた話ばかりして、実は愛人のために借金があるという嘘の多い人物だった。しかし、70代で重度の難病になり、自宅での寝たきりの生活や入院先での出来事で、家族、人間、介護、看護とは何かを、口に出さなくても私に教えてくれた。

私は、認知症の母と統合失調症の兄の世話を、会社に勤めながらよくできたと、友人たちに言われるが、父の病から得た体験が役立った。ひとりになった今も教訓として活きている。

父が2年間いた病院は、長い闘病生活のため、家族、親戚、友人、もちろん会社にも見放された孤独な患者が多かった。父がその病院で亡くなったのは平成10年の春なので、医療体制は今とずいぶん違っていた。家族がどれだけ病院に来て介護を出来るかと聞かれ、母と私は何でもやると言ったので、経管栄養の管の確認、痰の吸引、口腔洗浄、オムツの取り換えなどをしていた。母は介護のために毎日、病院に通い、私は日曜日に病院へ行った。

母は私に、同室の70代の患者である野上(仮名)さんの家族には困ったものだと言っていた。この病院は、野上さんと私の父と同じく、ベッドから自力では起きられない患者ばかりなので、看護師がすぐに安全を確認できるように、カーテンでの仕切りがなかった。

野上夫人は土曜日と日曜日に来て、反応のない夫の傍らにいた。土曜日の午前中は長男、午後は次男が面会に来て、それぞれ母親に、財産は自分に欲しいと、法定相続分を無視して主張。長男には子どもがおらず、孫は次男の息子ひとりだけで、海外に留学中。野上夫人は私の母に「主人は孫のタケル(仮名)だけが好きなのだ」と話していた。

息子たちの争いを黙って聞くしかない


ついに、母の堪忍袋の緒が切れた。母はその日の出来事を私に話した。その日は、野上夫人と長男と次男が病室に揃い、大声ではないが、言い争いになったのである。

「兄さん、俺に親父の車だけなんてひどい。タケルのことを親父はすごく可愛がっていた。親父が遺言状を書けたり、話せたりしたら、『全部タケルにやる』となるはずだ。タケルの親は俺だぞ」

「弟のくせに息子まで出して、ずうずうしい。お母さんはお前の嫁より、うちの嫁と気が合う。俺が家も金ももらって、お母さんの面倒をみる。お母さん、それでいいだろう?」

「お父さんが死んだら私は1人で暮らす。家もお金もあげない。車は売って2人で分けてよ」

母は病室を出て、医師と看護師がいる部屋に向かった。運よく担当医師が座っていた。母が争いの内容を話すと、医師は速足で病室に向かった。3人は医師が入ってきたのに気づかず、相続バトルを続けていた。

医師は言った。「あなた方は、何を話しているのですか!野上さんは全部聞こえているんですよ。話の内容も分かっています」


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3人は驚愕の表情になり、医師を見た。長男が言った。「父は意識不明で、なにも分からないのでは…」

医師は、「奥さんにはちゃんと説明しましたよ。聞いていなかったのですか?筋肉が動かしづらく、声も出しづらいだけ。耳は聞こえるし、理解もできる」

息子2人は、気まずい顔をして、すぐに出て行った。野上夫人は医師に、「『難病』と聞いて気持ちが動転して、先生の説明が頭に入らなかった」と弁解をした。そして、医師に謝ったが、医師は、「ご主人に謝るべきですよ」と静かに言った。

孫にしがみつき救いを求める


それから2週間後の日曜日のことだ。母と私は父の傍にいて、野上夫人はご主人の傍に坐っていた。息子たちは、来なくなった。

入口に、背の高い、若い男性が現れた。野上夫人が椅子から立ち上がって叫んだ。「タケル、どうしたの!」。野上さんの孫が、急に登場したのだ。タケルさんは、野上夫人には目もくれず、祖父の野上さんのベッドに向かい、布団の上から肩を抱いた。

「おじいちゃん。会いたかったよ。ごめんね。ごめんね。来られなくって」

すると、野上さんは、布団から腕を震わせながら出し、タケルさんの腕をつかんだ。そして上半身を起こそうとして、腕にしがみついたのである。

野上夫人が再び叫んだ。「お父さんが動いた!」

動いただけではなかった。野上さんは、声をしぼり出したのである。

「ウ、ウォー、ウォー、ウォー!」

私は、野上さんの足の方にいたので、2人の状態を見ることができた。

感動の光景というよりは、すさまじい光景。孫が来て嬉しいというのではなく、「この地獄から救い出してくれ!」という叫びが、その姿からも伝わってきた。


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タケルさんは、緊張した顔で野上夫人を見た。

「おばあちゃん!おじいちゃんはどうしたの?すぐ治るから帰って来なくていいと、お父さんもお母さんも言っていたよ。先生に会わせてよ!」

タケルさんは、そう言いながら、体をかがめて、野上さんを抱きしめた。

「おじいちゃん、病気に負けないで、元気になってよ。僕はおじいちゃんと、いっぱい、いっぱい、話がしたいよ。卒業したら、2人で旅行をすると約束したよね」

野上夫人は、立ち尽くしたまま、すすり泣いていた。

それから10日後、野上さんはこの世から旅立った。

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