ドバイでの日本馬活躍のきっかけに…震災直後の日本を勇気づけたヴィクトワールピサのドバイワールドカップ初制覇

2025年4月17日(木)6時0分 JBpress

(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)


この4月、ドバイを舞台に日本馬が躍動

 この原稿を書き始める直前の4月6日に、アラブ首長国連邦のドバイ(メイダン競馬場)で行われたビッグレースに出走した日本馬の結果が入ってきました。すでにご存知の競馬ファンの方も多いかと思いますが、日本馬が出走した全7レースのうち、G1が続くなかの第7レース「ドバイターフ」(芝、1800メートル)でソウルラッシュ(牡、7歳)が勝利すると、第8レースの「ドバイシーマクラシック」(芝、2400メートル)ではダノンデサイル(牡、4歳)が優勝、騎乗した戸崎圭太騎手のおぼつかない英語での喜びの声が、満面の笑みとともに伝わってきました。

 最も注目されていたメインの第9レース「ドバイワールドカップ」(ダート、2000メートル)には世界ランク1位(4月6日現在)のフォーエバーヤング(牡、4歳。坂井瑠星騎乗)が登場。単勝馬券は1.1倍。日本中の競馬ファンの期待を背負っての出走でしたが、残念ながら、圧倒的一番人気に応えられず3着。勝利を半ば確信していた矢作芳人調教師は声を落としながら「またやり直します。申し訳ない」と詫びていました。

「競馬に絶対はない」からこそ飽くことなく楽しめるのですが、日本から熱い声援を送ったファンのみなさんにとって、それまで10戦8勝3着2回の成績を誇るフォーエバーヤングには「絶対」に近い存在であってほしかったでしょうね。

 フォーエバーヤングは2月の「サウジカップ」に次ぐアラブの地での連勝とはならず、1着賞金のビッグマネー獲得(696万米国ドル=約10億4000万円)は逃しましたが、それでも3着賞金を加算、生涯獲得賞金がおよそ23億8000万円となり、イクイノックスを抜き歴代2位となりました。

 歴代1位は2023年にこの「ドバイワールドカップ」を制覇したウシュバテソーロで、8歳になった今年もこのレースに出走、フォーエバーヤングとしのぎを削り6着に入っています。

 両馬の獲得賞金にはまだ約2億円の差がありますが、ウシュバテソーロはこのレースで引退が決まっているので、今後フォーエバーヤングに故障が発生しなければ日本歴代1位になる可能性は濃厚です。

 ちなみにこのレース、1、2着は出走11頭中の9番人気と8番人気の米国馬で、馬番単勝の馬券は約1500倍、100円の馬券が15万730円に化けるという大波乱の結末でした。


東日本大震災直後のヴィクトワールピサの歴史的勝利

 現地時間4月5日にドバイで行われたレースのうち今回は7レースに日本馬が出走していますが、その数は26頭に及びます。特に令和の時代、2020年代に入ってから遠征馬の頭数が増え、わずか十数年前の状況を思い起こせば隔世の感があります。

 今から14年前、「日本馬大挙ドバイ行き」のきっかけとなったとも思われるレースがありました。2011年3月26日に行われた「ドバイワールドカップ」です。このレースには、日本からヴィクトワールピサ(牡、4歳)、トランセンド(牡、5歳)、ブエナビスタ(牝、5歳)の実力馬3頭が参戦、結果はなんと1、2着をヴィクトワールピサとトランセンドが占め、日本馬によるワンツーフィニッシュを決めてくれました(ブエナビスタは8着)。

 この勝利は国際的に評価の高いレースに日本馬が初めて勝利したことの意義とともに、大きな感動と喜びをもたらしました。なぜならレース開催の15日前に日本列島を揺るがせた東日本大震災という背景があったからです。

 大谷翔平のいなかった当時、報道されるニュースといえば暗い話題ばかりで日本全体が消沈している中、それは私たちに元気と笑顔を与えてくれる輝かしいニュースだったのです。

 勝利した瞬間、ミルコ・デムーロ騎手は喪章をつけた右手を掲げ、全身で喜びを爆発させます。半馬身の激戦だったとはいえ、レース直後、騎乗したままインタビューに応えたデムーロ騎手の声は震えていました。それは世界の頂点になった喜びとともに、「第二の故郷」と慕う大好きな日本に思いを馳せたことで流れ出た涙だったのだと思います。

「日本のために祈っていました。信じられない。ありがとう、ありがとう。日本を愛しています」と英語で応えるデムーロの姿には競馬ファンのみならず、多くの日本人の胸を熱くさせてくれました。

 のちにデムーロ騎手は自著の中で「忘れられないレースはたくさんあるけど、なんといっても印象深いのはヴィクトワールピサで優勝したドバイワールドカップだね」と述べています。日の丸を掲げたデムーロ騎手を背にしたヴィクトワールピサの雄姿は今でも忘れることができません。


第二の人生は種牡馬として海を越え異国の地へ

 ドバイワールドカップ以後、ヴィクトワールピサは8か月の休養期間を経てジャパンカップに参戦しますが13着と惨敗、ドバイでの勝利後、異国の地で身も心も使い果たしたのか、続く翌月の有馬記念も8着に終わり、引退が決まります。

 全15戦8勝(うちG13勝)という戦績は起伏の多い内容でしたが、ドバイワールドカップを制覇した事実は揺るぎません。まして、2011年という日本にとって歴史に残る年に勝利した馬としての印象は、デムーロ騎手の涙とともにファンの胸に刻まれています。

 引退後の2012年1月から北海道の社台スタリオンステーションで種牡馬生活をスタートさせ、初年度産駒から桜花賞(G1、牝馬クラシック)に優勝したジュエラーが誕生、鞍上はヴィクトワールピサでドバイワールドカップを獲得した盟友、ミルコ・デムーロでした。

 その後ヴィクトワールピサは2021年にトルコジョッキークラブ(民間の非営利団体)に購入され、異国の地へわたり種牡馬生活を続けているようで、そのうちの1頭は今年(2025年)トルコのG3レースに優勝しています。トルコの年間生産頭数は3400頭(2023年)ほどで日本の4割程度の規模ですが、ドバイなどで開催される大きなレースにヴィクトワールピサの子供たちが出走してくる日を心待ちにしています。

 皐月賞が近づくと思い出される往年の名馬は何頭もいますが、ヴィクトワールピサの場合、レースとともに震災のことが連想され、競馬もまた社会背景とは無関係なスポーツではないことをあらためて認識した次第です。

 ヴィクトワールピサという馬名はフランス語で「勝利」を意味する「ヴィクトワール」と馬主の経営する高級時計・宝石販売の社名「ピサ・ダイヤモンド」の冠名「ピサ」を組み合わせたものでした。

 ドバイワールドカップの勝利後、ジャパンカップと有馬記念での惨敗の印象が強く、評価が低く見られがちですが、世界最高峰とされるレースに日本馬として初めて勝利したという輝きは宝石以上に目に見えない光を放っている、と私は評価しています。

 なお、冒頭で記した今年の「ドバイターフ」優勝馬・ソウルラッシュに騎乗していたのは、ミルコ・デムーロ騎手の実弟、クリスチャン・デムーロ騎手でした。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

筆者:堀井 六郎

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