こんなにも面白い江戸城の5つの櫓、富士見櫓、富士見多聞櫓、巽櫓、伏見二重櫓、続多聞櫓の見所を徹底紹介
2025年4月18日(金)6時0分 JBpress
(歴史ライター:西股 総生)
5つの櫓の見所
「江戸城を知る」シリーズ、今回からはテーマ別に江戸城の見所を紹介してゆこう。手始めに櫓である。
江戸城には3棟の隅櫓(三重櫓1棟、二重櫓2棟)と、2棟の多聞櫓が残っている。いずれも重要文化財クラスのすぐれた建物だが、指定は受けていない。皇居の敷地内にあって、皇室財産の扱いだからである。
しかも、隅櫓・多聞櫓合わせて計5棟というのはけっこうな残存数なのだが、それらが異常に広大な城地のあちこちに、ぽつんぽつんと建っているので、なんとなく建物があまり残っていない印象になってしまう。そんなパッと見の印象に惑わされていてはもったいないので、じっくり鑑賞してみよう。
富士見櫓
まずは何といっても富士見櫓。江戸城を代表する堂々たる三重櫓で、ちょっとした天守くらいのボリュームがある。最初にこの場所にあった櫓は明暦の大火(明暦3年・1657)で焼失し、万治2年(1659)に再建されたものと伝わる。大火で天守が失われた後は、将軍がこの櫓から富士山や両国の花火などを眺めたという。
隅櫓とは本来は鉄炮を配備する戦闘拠点、軍事用語でいうなら「強化火点」なので、外側に面する2面にのみ窓を開き、内側には排煙用に最小限の窓しか設けないのが普通だ。破風などの装飾も外面のみとするものだが、江戸城の富士見櫓は4面それぞれに意匠を凝らしている。これは、本丸の南端という目立つ位置に建っているためで、おかげて眺める角度によって印象が変わって面白い。
普段は見るアングルが限られるものの、年に2度(春と秋)行われる乾門通り抜けの時には、西の丸側から間近に見上げることができる(写真2)。また、本丸の内側からならいつでも見られるので、それぞれの機会に違うアングルを楽しむとよい。
なお、現在江戸城に残る三重櫓はこれ1棟だけだが、本当は本丸・二の丸の要所要所に三重櫓が聳えていた。大河ドラマでは、その威容をCG再現したシーンが出てくるので、気を付けて見ているとよいだろう。
富士見多聞櫓(御休息所前多聞)
本丸の石垣上にずらりと並んでいた多聞櫓のうち、1基だけ生き残っているのが富士見多聞櫓。本来は御休息所前多聞と呼ばれていたようだが、これは本丸御殿の「御休息所」という建物の近くにあったことによる。富士見櫓と同じ時期に建てられたようだ。
皇居東御苑に入って本丸の中を散策していると、この多聞櫓は木立の奥にあるので目立たない。気づかずにスルーしてしまう人も多いが、城好きなら見落とすのは恥である。なぜなら、江戸城の現存建物の中で唯一、内部が一般公開されている櫓だからだ。
内部に入ってみると、万治年間の建物だけあって木組みは整然としていて、江戸初期の櫓のような荒々しさはない。とはいえ、多聞櫓はやはり多聞櫓。窓から外を眺めてみると、この櫓がずいぶんと高い石垣の上に載っていることがわかる。直下は蓮池堀と呼ばれる水堀だ。仮に戦闘となったら、西の丸を制圧して本丸に向かってくる敵を、蓮池堀で足止めして、ここから鉄炮で仕留める……そんな妄想が立ち上ってしまう場所である。
写真4は、妄想シーンにおける攻城兵の視点で眺めた富士見多聞櫓。春と秋の乾門通り抜けの時には、このアングルを楽しむことができる。しかも、この多聞櫓が単体で建っていたのではなく、石垣の上には何棟もの多聞櫓や三重櫓がずらっと並んでいたのだから、さぞ鉄壁の防禦ラインだったことだろう。
巽櫓(桜田二重櫓)
和田倉公園前から皇居外苑あたりのお濠端を歩いていると、いやでも目立つ巽櫓は、「皇居」として皆さんにもおなじみの光景だろう。「あ、あの櫓ね」で片付けられてしまいそうな、一見ありふれた櫓だし、見学も堀端から外観のみ。
でもこの巽(たつみ)櫓、実は何かと面白いのだ。もしあなたが関東か近県の在住で、城郭建築に興味があるなら、まずは巽櫓をじっくり観察しなさい、勉強になるから、といいたいくらいである。
まず、富士見櫓の項で説明したように、隅櫓とは防護壁に囲まれて鉄炮を撃ちまくる「強化火点」である。巽櫓の場合も、一重目の西側中央が出窓になっていのは別にオシャレ装備ではなく、石落としだ。石落としは、その名前ゆえに石を落とす場所と思われがちで、まあ別に石を落としてもよいのだけれど、実際は櫓に取り付こうとする敵を鉄炮で撃ち払うための銃座である。その証拠に、石落としの側面にも、ちゃんと狭間が開いている。
石落としというと、櫓や天守の角に袋状に張り出したタイプを思い浮かべる人が多いが、江戸城や大坂城・二条城などでは出窓タイプを採用している。天下普請で築いた名古屋城も出窓タイプだから、徳川軍は出窓タイプの方が俯射用銃座としては有効、と考えていたのだろう。
よく見ると、出窓部分の窓のレイアウトが「中央揃え」ではなく、「左寄せ」になっている。これは一つには、柱の位置を避けて窓を開口したためでもあるが、柱を避けるだけなら中央揃えでも右寄せでもよいはずだ。そこをあえて左寄せにしたのは、南東側=城外から城に向かってくる動線を意識して、美観を整えるためであろう。
また、ほとんどの人は気付かずに通り過ぎるが、櫓側面(堀側)の窓も、一重目は1−2−2、二重目は2−2のフォーメーションで、一重目とは互い違いになる位置にレイアウトしている。全体として、「斜め45度から見てね」というデザインなのだ。
石落とし上に付けられた切妻破風の軒回りや、側面上部の破風板に銅板を用いている点も見逃せない。しかも破風板には、凝った文様まで施されている。こんな金のかかるオシャレをしている城は、他にない。
伏見二重櫓と続多聞櫓
西の丸の西端に位置する二重の隅櫓と続多聞櫓は、眼鏡橋(俗称二重橋)の手前からよく見えるので、皇居を象徴する景観としてよく知られている。実際は伏見櫓の向こう側にもう一棟の続多聞櫓があって、全体でL字型をなしているのだが、皇居敷地内なので見ることはできない。
あらためて伏見櫓を見ると、基本デザインは巽櫓と共通していることがわかる。ただ、正面の石落としの上が、巽櫓では切妻破風なのに対して、伏見櫓では千鳥破風となっている。柱を避けた窓のレイアウトも違っている。基本デザインは統一感を持たせながら、細部に変化を付けることで一棟一棟の個性をちゃんと演出しているのだ。
なお、正面に出窓タイプの石落としを設けた端正な二重櫓は、大坂城や二条城とも共通する。いわば、徳川軍標準仕様であるが、中でも江戸城は軒回りに銅板を用い、破風板にも凝った文様を施すなど差別化を図っている。さすがは、将軍様の御城である。
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筆者:西股 総生