政治の世界にはびこる性差別 女性が「本当の人間」になって70年、いつ「女性議員」という言葉はなくなるのか

4月19日(火)1時0分 messy

『女たちの情熱政治――女性参政権獲得から70年の荒野に立つ』(明石書店)

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 小さい頃、本当に幼稚園生ぐらいの時、私は「日本初の女性総理大臣になる」と親に宣言したことがある。今思うと凄まじいことを言っていたものだ。でも、当時の私は、幼心に不思議でならなかった。なぜテレビに映る政治家はみんな男の人なのか。疑問の根底は「自分が女だから無条件に女性を応援したい」という幼児の論理でしかなかったけれど、きっといつか女の人が一番偉い人になる日が来るんだろうな、と、ぼんやり考えていたことは覚えている。

 で、私は20歳になった。まだこの国で女性の総理大臣は生まれていない。

 今年3月に明石書店から出版された『女たちの情熱政治 女性参政権獲得から70年の荒野に立つ』(東京新聞・北陸中日新聞取材班編)は、政治の場で立ち上がってきた「女性」たちの物語を描いている。この本に書かれているのは、今起こっている問題だ。女性の政治参加を妨げていること——例えば議会が異常なまでに男性社会であることや、出産や育児などのライフイベントに対する無理解、根強い女性蔑視について。また、女性によるデモや政治的活動について。「女性」が政治の場で立ち上がっていることは確かに喜ばしい。喜ばしいのだが、「女性」という主語は、とにかく、つらい。

39人の女性議員が生まれる

 1946年、女性参政権が認められてから初の衆院選では39人の女性議員が生まれた。これは2005年に43人の女性議員が当選を果たすまで破られなかった記録であり、当時の「女性と政治」問題の盛り上がりが感じられる。この盛り上がりというのは、実際に女性の政治に対する関心の表れでもあったが、一方でGHQのテコ入れがあったのではないかという疑惑もある。票の底上げがいかに図られたかは不明であるが、女性参政権は軍国主義の歯止めの1つとしてGHQに重要視されていた。興味深い話である。

 「餓死防衛同盟」から出馬した女性代議士・松谷天光光氏の選挙ポスターには、名前の横にはっきり「女性」と書かれていた。「廿八歳の我がいのち 民族死活の危機に捧げん!!」という力強いキャッチコピーとともに、筆致は胸を張っているかのような誇らしげな印象だ。そこには、「女性も政治に参加できる」という喜びと覚悟が溢れていた。

 最初の女性議員の中で唯一存命である佐藤きよ子氏も、女性参政権が認められた時「本当の人間と認められた」と感動し、二日間眠れなかったという。「本当の人間」。凄まじい言葉ではないか。それまで女性は「本当の人間」として扱われていないという感覚の中で生きていたのである。

 そう、女性が「本当の人間」になってから、もう70年経った。それなのに、いまだに政治の世界は性別で人間を抑圧し続ける。

問題意識は怒りから生まれる

 2014年10月から2015年2月に、都内の女性市町村議を対象に行われた調査によると、セクハラを受けた経験のある都内の女性議員は全体の31.8%に及ぶ。「早く結婚しろと何度も言われた」「足やお尻を触られる」「産休を取ったら選挙ポスターに『びっち』と書かれた」など、目も当てられないような行為が例に挙がっていた。それでも被害者は有権者との関係や評判について気にしてしまい、声を上げづらいという。

 問題はセクハラだけではない。出産や育児などのライフイベントと政治活動との両立は、非常に大きな問題として女性議員の前に立ちはだかっていた。議員は雇用された労働者ではないため、労働基準法の対象外である。すなわち議会で定めない限りは産休も育休も制度自体がない。子育てによって出馬を断念せざるを得なかった人もいる。育児の都合で地域の会合を欠席すれば「子供が生まれたら顔も見せない」と言われ、出席すれば「母親が夜に出歩いていいのか」「旦那のご飯はちゃんと作っているのか」などと口を挟まれる。冗談じゃない。

 まず、現状を知らねばなるまい。仕組みがおかしい、意識がおかしい、そういう問題提起をひとつひとつしなければならない。この政治には、怒っていいのだ。知らなければ怒れない。怒らなければ問題意識が生まれない。興味を持って政治参加できなくても良い。大事なのは、「政治を他人任せにする」ことに危機感を持つことである。

「女性議員」という言葉がなくなるまで

 ここまで書きながら、ジレンマに襲われている。「男性」「女性」という言葉の区別について。私は男女という区別を精神に関して使用することを嫌っている。しかし男女という体の形の違いは人間の社会的なあり方に着実に影響し、政治というごく社会的な場所では、その壁がめきめきとそそり立っている。ぐえー。

 前述の東京都内女性議員アンケートで、「女性議員がいて良かったと思う点はなんですか?」という質問があった。女性の方が意思決定が早いとか、男性は気にもとめない内容を取り上げられるとか、あまりにも巨大な主語で人をくくった言葉が並んでいた。多様性を考えない意見に顔をしかめたくなる中で、最後にこんな回答が取り上げられている。引用しよう。

「『女性ならではの目線で』などと言いますが、細やかな視点を持つ男性は、世の中に大勢います。日常生活の中の細い問題を取り上げることができる点を女性の特徴ととらえ、それを女性議員を増やす理由にしているのなら、それは逆差別だと思います。天下国家について男性を相手に対等に議論するような時代が来なければ、状況は何も進展しないと考えています。」

 ……言いたいことは分かる。女性議員に「女性」議員という役割を期待してしまったら、政治の世界のジェンダー差別は全く解消されない。一方で男性に対抗するために「立ち上がれ女よ!」と女性のみで団結しようとする呼びかけは、間違っていると思う。ジェンダーによる差別をなくすためにジェンダーごとで団結したら、ジェンダーを越えた理解は得られにくいからだ。男に対する女、という図式自体を、もう塗り替えないといけない。

 これまでの流れを批判する気はない。実際社会は男女二元論で動いてきたし、そんな中で男性ばかりに偏った政治の世界を変えるためにたくさんの人々が戦ってきたことを本書で学んだ。他にやりようがあったとも言えない。でも、これから先もずっとこの発想を引きずっていくのは健全ではないはずだ。

 まだこの国は変わらないだろう。でもいつか、この差別にまみれた抑圧の政治史が、「昔は『女性議員』なんて言い方があったんだよ」と冗談めかして語られる世の中が来ることを私は願う。国のあり方を考える時、体の形は関係ない。私は女性である前に私だと言いたい。あなただって性別以前にたった一人のあなたなのだ。すべての人がそう思えるようになったなら、この国の政治は一つ上のステージへ上がれる。「女たちの情熱政治」は、そんな美しい未来のための踏み台として、必読の一冊である。
(正しい倫理子)

messy

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