【水野誠一 連載】竹中直純(上)IT創成期に見えていた“ローカリゼーション”と“検索エンジン”の可能性

2025年4月20日(日)7時0分 ソトコト


西武百貨店の社長から米国のIT企業の顧問へ。水野誠一の世代を超えた交流から、今回は実業家でプログラマーの竹中直純がゲストとして招かれた。二人は出会いはwindows95が発表された1995年前後だという。
インターネットが日本に普及していく過程で、二人が大事にしたものとは。



出会いはインターネット革命の1995年頃


水野 竹中さんとはどこで知り合ったんでしょうね?


竹中 もはやわからないですね。坂本龍一さんを通じてではなかったですか。
水野 坂本さんとはね、ダライラマ法王がダラムサラで作ったノルブリンカという財団があって、そこの日本支部をつくってほしいと言うので、坂本龍一さんと、亡くなった僕の妻の木内みどりと、僕との3人でつくったのが出会いだったんですよ。


でも竹中さんとはそこでは出会ってない。でもその頃だとは思いますね。僕がITというものを出会ったのは1995年だから。
だって当時まだ竹中さんは20代でしょう。
竹中 27歳ぐらいかな。


水野 すでにITの世界では大活躍されていましたよね。


竹中 そうですね、活躍はしていたと思います。


1995年といえば、10月の終わりぐらいにInternet World Expo ’96の前夜祭的なイベントで坂本龍一さんのD&Lツアーのライブをネット中継しました。当時は世界でも先進的な試みでした。その後、Windows95の発売イベントがあったときですね。


水野 坂本さんのネットライブのサポートをしていたんですね。


竹中 はい、技術ディレクターという役目だったのですが、ライブが終わったあとだったかな、全然ライブと関係ないWindows95イベントの時にも坂本さんに「ステージ袖に居て」と言われまして。
ステージ下にいたんですけれど、後半の方は坂本さんもインターネットやWindowsの操作についてあやふやな部分がいっぱいあるので、いちいち僕に聞くっていう謎のイベントになっていました(笑)。


「ね、タケピー」と、ずっと聞かれていたんです。イベントの写真にはその様子が写ってますよ。舞台袖の僕は写っていないんですが、坂本さんと古川サム(注:古川享・元マイクロソフト会長)さんがしゃべっている写真です。
坂本さんがしょっちゅうステージ下に話しかける、「あれは誰がいるんだ?」って、1000人以上集まっててる人たちが、ざわついていました。


水野 僕はその古川サムさんに入ってもらって、2000年頃に「think the earth」というプロジェクトをつくりました。だから、竹中さんとは結局、坂本さんにしろ古川さんにしろ、共通の知り合いがたくさんいるなかで、出会ったということかな。
当時の僕の非常に印象的なことは、竹中さんには2人のお子さんがいて、そのお兄ちゃんと妹の2人ともがすごく可愛いく闊達だったということです。
竹中 今はすっかり大きくなってしまいました。
水野 みどりが2人と仲良しになって、僕も仲良しになって、うちでお料理教室をしたり、そんなことをやって、お付き合いをしてきたんですよね。
竹中 みどりさんは子どもにも「私たちは親友だから」と付き合っていただいて。僕はみどりさんに「保護者が必要な間は来ていいけど、二人が自分たちで来れるようになったら、あなたは水野と酒でも飲んでいて」と言われました(笑)。そこから、水野さんにはいろんな方を紹介していただきました。


西武を辞めた水野に米国のIT企業から誘いが


水野 それで、竹中さんに日本文化デザインフォーラムに入ってもらって、いきなり幹事を頼んでしまいました。あなたがいたおかげで、少し時代から取り残されそうになっていたメンバーの意識を現代に引き寄せてもらいました。
竹中 僕の年ではもう若者代表とは言えないのですが、ありがとうございます(笑)。
水野 実はね、僕自身もあんまりちゃんとお話したことなかったかもしれないんだけど。
1995年というのは、私が西武百貨店を辞めた年なんですよ。
これが結構面白い年で。


竹中 Windows95の発表が年末でしたからね。


水野 そうなんですよ。僕はそれまで西武の社長時代にはITにはまったく無関係だった。パソコンに触ったこともなかったんです。


ところが、辞めた途端にネットスケープコミュニケーションズから声がかかったんです。
竹中 ジム・クラークですか。
水野 ジム・クラークとマーク・アンドリーセンが2人で起業したタイミングだったようです。


たまたまIBMにいたタックさんという知り合いがいて、彼は日本人で本名は山本雄洋なんですけどね。彼が紹介してきたんですよ。
シリコンバレーでこういう会社を作ったので、日本上陸をしたいと。
だから作ったと同時に日本を狙ったんですね。それでタックさんが「水野さん、あんた西武辞めたんだから、これのコンサルティングをやってよ」と。
竹中 西武を辞めたんだからっていう理由がちょっと面白いですね。
水野 それでジム・クラークがすぐにやって来て「これ面白い世界だから手伝ってよ」と。でも僕はPCに触ったこともないんだから、これは間違った人選だと思った。「Another  Mizunoじゃないか?」と言いました。
竹中 違う水野さんがいたんですか。
水野 いたんです。その頃、パナソニックにも水野さんという副社長がいて、NECにも水野さんがいたんですよ。そのどちらかじゃないかと聞くと「いや、ITが分かる人間は知り合いにごまんといる。だけどそういうことじゃなくて、普通の生活の中にITというものを浸透させていくのが大事なんだと言うんです。技術的なことを知っていなくていいんだと。
そんなことは我々がすぐあなたに教えるからと。
それで、実際彼は自分の作ったそのネットスケープ社に、CEOとしてジム・バークスデールという、全く関係のない人を連れてきていたんです。


竹中 そうなんですか。へー。その当時の幹部たちもいっぱしにITの専門家のようなことを言ってましたけどね。
水野 僕も『インターネットマガジン』誌にインタビューされて、いっぱしなこと言ったりもしていました(笑)。
面白いと思ったんですね。そうしたらなんと半年ぐらいで上場しちゃったんです。
竹中 そうですね。当時のIT企業は上場がすごく早かったですね。
水野 それですごい株価がついて。
できたばかりの会社で「現金は払えないからストックオプションにしてくれ」と。僕はその言葉の意味すらわからなくて。


竹中 え、そうなんですか。西武の社長だったのに(笑)
水野 うん。それほど百貨店業界って古いかったんですよ。進んでるといっても古い。
それでなんかくれるんだったらもらおうと。


というのは、西武百貨店の退職金はあまりにも少なかったわけ(笑)。
嫌になったからやめるといって辞めちゃったものだから、会社も「勝手にしろ」って感じだったんでしょう。
それで妻に「退職金が、思ったより少ないから、うち、2年ぐらいしか持たないかもよ」と言っていたんですよ。そうしたら「私があなたを食べさせてあげるわよ」と、男前な話をしていました。
でもその世話にならないで済んだのは、ネットスケープの顧問になって、ストックオプションをもらって、半年後にそれが西武に26年居た退職金の数倍になったからだったんです。


その時、あー、時代は変わったんだと痛感しました。


竹中 結構生々しい額が推察できる感じの話ですね(笑)。


ローカリゼーションとサーチエンジンの提言を


水野 それで、僕はネットスケープ社で何をやったかっていうと、パナソニックであったり、それからソフトバンクの孫さんであったり、アスキーの西さんであったり、NTTの社長だったりの10人くらいを紹介して、ベンダーをやってくれっていうことを言って歩いたんです。


だんだん面白くなってきて、シリコンバレーにも行って、マーク・アンドリーセンにも会いました。
その頃、彼はTシャツに半ズボン姿。チョコバーをかじりながら出てきました。これが副社長かよ、と思いましたね。
竹中 でも実質、主要なプログラムは彼が作ったようなもんですからね。
水野 そのときに、僕は二つだけいいアドバイスをしました。


ローカリゼーションが必要だということ。日本人は英語がほとんどわからないから、それは絶対必要だと。もうひとつは、サーチエンジンをやった方がいいと。
ウェブっていうのは、本当にどこへ行っていいのかわからない世界だから、サーチエンジはすごく重要な技術だからと。ちょうどYahoo!が出て、買うとか、買わないとか言っていた。
その時に「上場して、金があるんだから、競合に負けずにYahoo!を買うべきだ!」と言ったら「いや、そのコンペティターがすごい金額を提示してて無理だ」と言ってた。そのコンペティターが孫正義さんだったんですよ。


竹中 なるほどね。ローカリゼーションについては彼らはどんな考えだったんですか。
水野 「うちは今、日本語ができる中国人にやらせてる」っていうんですよね。
それで、見てみたらもう日本語になっていない。


それで僕は、ジョーイこと伊藤 穰一さんを紹介しようとした。そうしたら、マークが「あいつはハッカーだからやめとこう」と。


竹中 ハッカーでもあるかもしれませんが僕の知る彼は基本的にはゲーマーですよ。その文脈だとハッカーは悪い意味ですね。悪い意味のハッカーは正しくはクラッカーと言います。どちらにしてもマークの方がよっぽどハッカーじゃないかな(笑)


水野 それでちょっと気まずい雰囲気になったりした。
竹中 でもジョーイはその後、Infoseekという検索エンジンで成功しますから


水野 もしジョーイがいたら、ネットスケープは今日みたいになくなっちゃうってことはなかったかもしれないね。
竹中 そうかもしれませんね。


脳とインターネットをつなぐ検索エンジンの重要性



水野 竹中さんもいろんなことをやってこられてますが、僕が面白いなと思ったのは、有限会社未来検索ブラジルですね。初代大統領でしたよね。
竹中 「2ちゃんねる」を創設したひろゆき(西村博之)と話しているときに、何に困っているかというと、検索だというんですね。それで2003年にその会社を立ち上げました。
水野 ネーミングの発想力が面白い。『未来世紀ブラジル』っていう映画があったじゃない?
竹中 テリー・ギリアムの。そうです、はい。
水野 パロディですよね。あれに触発されたんですか。
竹中 はい。あの映画のテーマは情報で全てが統制された世界のアイロニーだというのもありました。


 僕は水野さんと同じように検索エンジンの重要性をわかっていたわけです。
それがきっかけだったんで。なので、検索エンジンを僕らがどうするのかなって考えると、当時のインターネットっていうのは爆発的にGoogleが良くなっていて。でもこのままGoogleが独占すると良くないと思ったんですよ。
だから、Googleがその『未来世紀ブラジル』の中に出てくるような、インフォメーションリトリーバルっていう、字幕では情報剥奪省と訳出されているのですが、リトリーバルは剥奪ってほど強くなくて単に情報を「取る」ってことなんですね。
その取得者がGoogleになってしまうと。
だからそうじゃないものを作りたい。逆説的に、国名としてはポルトガルとかアルゼンチンとかつければよかったんですけども、結局、名前を決める会議が深夜のファミレスで、もうどうでもよくなっちゃった(笑)。
ブラジルでいいやみたいな。由来を聞かれたら情報統制の逆というふうに説明すればいいか、みたいな感じでつけました。
水野 モンティ・パイソンぽい面白い映画でした。ブラジルが完全統制下のブラジリアという都市を作って、大失敗だったみたいな。


竹中 監督とキャストを考えると実質モンティ・パイソン映画でしたね。ディストピア感がすごい。


検索エンジンの話に戻すと、検索エンジンが重要なのは水野さんのおっしゃった通りで。国産検索エンジンに関して、当時日本では「もうGoogleでいいんじゃない?」と打ち捨てられつつあった。当時人気があったのはInktomiっていうこれもアメリカの会社なんですけど、そういうエンジンの技術を持った会社に全部アウトソースすれば、もうそれでこと足りるじゃんみたいな風な雰囲気になったんですよ。日本のネット産業が。
でも、検索エンジンはインターネットが広がれば広がるほど、我々の脳とインターネットの空間をつなぐために絶対に必要なツールなんですよ。
で、そのキーテクノロジーを全部外国に任せるみたいなことは、僕は許せないと思ったんですね。そして僕と同じように許せないと思ってる人がNTTの中にもいたんです。当時、NTTはgooというサービスの中で使っていたNTTのローカル検索テクノロジーをGoogleのエンジンに置き換えるアホな決断を当時の幹部がしたんですよ。
それで、このままだと閑職に追いやられてしまうその人を救わなきゃと思って。
だったら、ちゃんと一から作ろうよっていうので、実際作りました。それが初期のブラジル社のとても大きな仕事だったんです。


人によって求める答えが違うから、恣意的な検索エンジンがいい



水野 今はブラジル社のソフトはどうなっているんですか。


竹中 世界一のシェアをもっていたMySQLというデータベースの無料のソフトウェアがあって、それがOracle社に買われて、同じ開発者がMariaDBという無料のソフトウェアを継続して作り続けています。MyもMariaのフィンランドの名前で、開発者の娘の名前がMyだったりMariaちゃんなんです。
そのMariaDBに、我々のつくった「Groonga」という検索エンジンが標準で入っています。
だから、インストールベースで言うと、世界で何百万もあって、でも、それがフルにその検索機能を使っているかどうかはわからないんですけど、とにかく、標準の多言語対応の検索エンジンだから、そのMariaDBに、検索の命令を出すと、その「Groonga」というソフトウェアが検索するような仕組みになっています。
一旦開発が落ち着いたので、現在はブラジルの事業ではなく、オープンコミュニティに全部まるごと委ねています。ブラジル社から過去の経緯は「Groonga」のウェブページに経緯が書いてあります。 https://groonga.org/ja/docs/origin.html
水野 世界的なソフトウエアにインストールされているんですね。
竹中 そうですね。でも、今でもずっとバージョンアップしてますし、速度が上がったり、機能が上がったり、バグが潰れたりとかはしてます。
水野 検索エンジンっていうのは、その人の目的によって本当は求める答えが違うじゃないですか。
竹中 まさにそうですね。当時はGoogleでさえ、バッチ処理といって、時間を決めて更新された情報を少しずつ足していくみたいな処理をしないと、最新の情報を持ち続けることができなかったんですね。
Groongaは、初期バージョンでさえ、更新された情報がいくら細かくても逐次追加ができるというすごい技術を持ってるんですよ。
さすがにGoogleなんかははもう同様のことができますが、当時は逐次追加は最先端の機能でした。他のオープンの検索エンジンも「Groonga」以降がんばって追随した、みたいな感じで技術が進みました。今の生成AIもこのバージョンはX年Y月までの知識しかない、ということが起こっていますよね。元となるモデルに随時学習させていくという技術はまさに今最先端の挑戦なんですよね。DeepSeekはそれができる内部構造を持っているようです。このAIの状況は2000年代初めの検索エンジンの状況にとても似ています。



水野 そういう恣意的な検索エンジンが必要だなと、ずっと思ってたんだけど。
まさにそれを実現できるようになってきているんですね。

ソトコト

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