科学者・ニュートンが財産の大半を損失…世界に衝撃を与えた投機バブル「南海泡沫事件」「チューリップ危機」はなぜ起きたのか【2025マネー記事セレクション】
2025年4月21日(月)12時30分 婦人公論.jp
(写真提供:Photo AC)
2024年に『婦人公論.jp』で反響を得た「マネー」に関する記事から、今あらためて読み直したい1本をお届けします。(初公開日:2024年11月21日)
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金融庁が公表した「NISA口座の利用状況調査」によると、2024年6月末時点のNISA口座数は2427万6789口座で、2024年3月末から約105万口座増加しました。そのようななか、記者や金融ジャーナリストとして活動する、カナダ出身のニコラ・ベルベさんは「投資にリスクはつきもの。だが、投資しないのはもっとリスクだ」と語っています。そこで今回は、ニコラさんのベストセラー『年1時間で億になる投資の正解』から、一部を抜粋してご紹介します。
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ニュートンの大損失
アイザック・ニュートン卿は一生に一度あるかないかの大チャンスを見送るような人間ではなかった。
1720年の初夏、ロンドン市街の気温が20度を超えたころ、万有引力の法則を生み出した人類史上最高の科学者の一人であるニュートンは、財産の大部分を南海会社の株式に突っ込もうとしていた。
その9年前にロンドンの知識階層が立ち上げた南海会社は、アメリカ大陸のスペイン植民地から奴隷や黄金を輸送する貿易ルートの独占権をイギリス政府に認められていた。
当時のイギリス国王ジョージ一世が役員の一人に名を連ねたことも投資家の信頼を高めた。ほとんど利益は出ていなかったが、それでも国際貿易の拡大とともに確実に成長するであろう会社に投資したいと考える国民は多かった。ロンドンの街はこの胸躍る投資案件の話題でもちきりだった。
ニュートンが最初に南海会社の株式を買ったのは1720年2月のことだ。それからわずか2カ月で持ち株の価値は2倍になった。会社が投機熱に巻き込まれたと見たニュートンは早々に利益を確定しようと考え、同年4月19日に株を売却している。
だが株価はその後も下落するどころか上昇しつづけた。友人知人の財産は日々増えていくのに、ニュートンはもはやその恩恵に与(あずか)れなかった。
南海泡沫事件
株式売却から2カ月後、ニュートンは慎重さをかなぐり捨てた。6月14日、財産のほとんどを南海会社の株式に再び投じることを決意する。
9月に南海会社で詐欺スキャンダルが勃発し、株価はあっという間に90%下落した。国会議員を含む同社幹部の多くはロンドン塔に収監され、財産を没収された。
「南海泡沫事件」と呼ばれるこのスキャンダルの余波は大きく、イギリスの金融市場は大打撃を受け、数十年にわたって企業形成の足をひっぱった(1)。
一説では南海会社の破綻によってニュートンが被った損失は2万ポンド、今日の価値にして2000万ドルとされる(2)。
「天体の動きは予測できても群衆の狂気は予測できない」と偉大な物理学者は嘆いたという。
この大失敗にニュートンは深く傷つき、生涯人々が自分の前で南海会社の名を口にするのを許さなかったとされる。
どれほど合理的で聡明な人であっても、後から振り返れば明らかに投機とわかるものに巻き込まれてしまうことを物語るエピソードだ。
南海会社をめぐる投機熱は当時としては最悪の部類に入るが、その100年ほど前にもヨーロッパでは別のバブルが起きていた。チューリップ危機だ。
球根バブル
多くの歴史家が史上初の投機バブルと見る17世紀のチューリップ危機は、オランダ人のガーデニング熱の高まりに端を発している。
当時最も注目され、人気を集めた植物が(中央アジア原産の)チューリップで、コンスタンティノープルから運ばれてくる球根は北ヨーロッパの寒い冬にも耐えられるというメリットがあった。
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徐々にアムステルダムをはじめ各地の上流階級の庭にチューリップが植えられるようになった。庭師はチューリップ同士を掛け合わせて、新たに色鮮やかな縞模様の花を生み出した。商人は品種ごとの球根の価格リストを作成した。
フランスを中心に需要が拡大し、価格が高騰したことから、1636年にはアムステルダムにチューリップ取引所が設立された。翌年にはとりわけ評価の高かった球根の価格が控えめな家を一軒買えるほどになった。事態がおかしくなったのはそこからだ。
スコットランドのジャーナリスト、チャールズ・マッケイは1841年に出版された著書『狂気とバブル──なぜ人は集団になると愚行に走るのか』(3)のなかで、当時の逸話をいくつか報告している。
ある水夫は船長の机の上にあった「センパー・アウグストゥス」という珍種の球根を小さな玉ねぎと思い込み、うっかり食べてしまった。「球根の値段は乗組員全員の1年分の食費を賄えるほどだっただろう」とマッケイは書いている。うっかり者の水夫は刑務所に送られた。
1637年には天文学的価格になった球根の新たな買い手を取引業者が見つけられなくなり、球根の価格が下落しはじめた。在庫を抱えていた投機家は一文無しになった。それまで安全な投資先だった球根の価格暴落はオランダ国民に衝撃を与えた。
ウォール街大暴落
過去数世紀の金融本のページを繰(く)れば、鉄道から鉱山会社、不動産、ビール、果ては19世紀末の自転車メーカーまで、何十という投機バブルの事例が出てくる。
そのなかでも最も重要なのは、1929年のウォール街大暴落につながった数年におよぶ信用投機だ。
それはアメリカ経済への不信につながり、ドミノ倒しのように数百万人の身を滅ぼし、大恐慌の呼び水となった。
ニューヨーク証券取引所に上場していた企業の価値は4年で56%下落した。
それから100年近くたった今でも、このバブル崩壊の事例は世界の金融関係者を惹きつけてやまない。
・参考文献
(1)Andrew Odlyzko, “Newton’ s financial misadventures in the South Sea Bubble,” Notes and Records, August 29, 2018.
(2)同上。
(3)Independent publication, 2021.(『狂気とバブル──なぜ人は集団になると愚行に走るのか』チャールズ・マッケイ著、塩野未佳、宮口尚子訳、パンローリング、2004年)
※本稿は、『年1時間で億になる投資の正解』(新潮社)の一部を再編集したものです。