つい自分が非難されていると受け取ってしまう人の残念な共通点。劣等感は過剰な自意識の裏返し

2025年4月21日(月)12時30分 婦人公論.jp


非難されている?(写真提供:Photo AC)

「忙しい自慢をしてしまう」「自分の正義を押し付ける」「教えたがる」「長々と言い訳をする」など、認めてもらいたいという人ならだれでもある欲求が高じると、頭が悪い人に見えてしまう危険性があります。ベストセラー『頭がいい人、悪い人の話し方』の著者・樋口裕一さんが、考察するそのような言動をとる理由、そして知的習慣が身につくヒントを綴った著書『頭のいい人が人前でやらないこと』より、一部を抜粋して紹介します。

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自分が非難されていると受け取る


誰かがオフィスを訪れて、「ここにキャビネットを置くと便利になりそうだね」と言ったとする。

その場合、ほとんどの人は、「なるほど、そうかもしれない」と思う。あるいは、「むしろ、それは不便になるかもしれない」「実は事情があって置いていないのだけどなあ」などと思うだろう。

ところが、中には、そのような言葉を自分への非難だと思う人がいる。そんな人は、「あんたは、ここにキャビネットを置いていない私をけなしているのか」と考える。

時にはそれを心の中にとどめずに、口に出して言うこともある。主婦の場合、夫や子どもが「今日出されたイチゴはあまりおいしくない」と言う。すると、まるで自分がけなされたかのように怒り出す。

イチゴのまずさを指摘した人は、単にそれを食べた感想を言っているにすぎないし、そもそも果物屋さんやスーパーを批判するつもりもない。

それなのに、その主婦は、そのイチゴを購入したことで自分が非難されたと思い込んで、「仕方がないじゃないの。スーパーでおいしいって言ってたんだから。そんなことを言うんなら、私はもう買わないから、これから自分で買ってきてよ」などと的外れなことを言って怒り出す。

第三者が対象になっている場合にも、このタイプの人は攻撃的になる。このタイプの人の耳にはすべてが非難に聞こえるらしい。

常に劣等感を抱いている…


誰かがほかの人の服装を「あら、かわいいわね」とほめる。ほかの人の仕事を、「手際がいいねえ。すごいねえ」などとほめる。

すると、このタイプの人は「私の服装がみっともないと言いたいわけ?」「俺の手際が悪いと言いたいのか?」と食ってかかる。

もちろん、そのような場合もあるだろう。その人を遠回しに批判したくて別の人をほめる場合もないとはいえない。

だが、むしろそのようなことはまれなはずだ。話し手がかなり皮肉な人間でないとそのようなことにはならない。

ところが、このタイプの人は、人間のみんなが自分を批判するつもりでいると思い込んでいる。劣等感がよほど強いのだろう。劣等感は自意識過剰の裏返しでもある。

常に劣等感を抱いているから、他人の言葉が自分を攻撃しているように思える。しかも、自分が攻撃的だから、ほかの人も攻撃的だと思い込んでいる。


『頭のいい人が人前でやらないこと』(著:樋口裕一/青春出版社)

ネット情報をうのみにする


ネットの中にはありそうもない情報が飛び交っている。

心霊現象を見た話、有名人のありそうもない情報、よほど経済力のある人でないとできそうもないような豪華絢爛な体験談、「トンデモ都市伝説」など。

ネット以外にも、詐欺だということがあからさまな儲け話、ホラ話に決まっているような自慢話が転がっている。

このようなありそうもないことをやすやすと信じてしまう人がいる。このタイプには2種類の人間がいる。

1つのタイプは、あらゆる情報を信じてしまう善良な人間だ。自分自身が一切ウソをつかず、人の裏をかこうなどとしない。だから誰もが自分と同じように善良だと信じている。どんなウソでも信じてしまう。

誰かが「私は政府の補佐官をしている。有名女性キャスターと同棲しており、世界のスター歌手の何人とも親友だ」と言うと、普通の人間であれば、それが本当かどうかを確かめようとする。

その人物の名前がネットに出ているかどうか。その話に信憑性があるかどうか。いくつかの話と話の間に矛盾はないか。その話とその人物の性格、生活、経済状態に矛盾はないか。

利害が絡んでいるときには、いくつか質問をして、確かめるための作業も行うだろう。いくつもの証拠を見て初めて納得する。

信じやすい人


ところが、信じやすい人は、言葉をそのまま信じる。確かめるにしても、1つだけの裏付けで十分だと思う。

初めから信じてかかっているので、そもそも疑問が浮かばない。それどころか、疑うことを悪いこと、信義にもとることと考えている。

疑いたくなる自分を抑えて、なんとか信じようとする。信じるに足る証拠ばかりを見ようとする。

このタイプの人は、ウソが1つ露見しても、まだほかの点は真実であると信じようとする。

たとえば、先ほどのホラを吹く人物が有名女性キャスターと同棲していないことがわかったら、ほとんどの人は、「政府の補佐官で、世界のスター歌手と親友」という点も疑うだろう。だが、このタイプの人は、それについてはまだ信じようとする。

ただし、このタイプの人は、別の信頼している人が別のことを言うと、今度はまたそれを信じる。

だから、別の信頼している人が「政府の補佐官」を名乗る人物はウソをついているに違いないと言えば、今度はそれを信じるようになる。


ネットの噂を信じてしまう(写真提供:Photo AC)

心のゆがんだ人


第2のタイプは、むしろ心のゆがんだ人だ。これらの人はすべての情報を信じるわけではない。自分に都合のよい情報だけを真実だと思い込む。

どんなに裏付けが脆弱でも気にしない。そして、一度信じると、どんなに裏付けのある反証を示しても受け付けなくなる。

あるお笑い芸人がかつての「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人の一人だという根拠のない噂がネット上で流れ、それを真に受けた人々が執拗に中傷を繰り返して逮捕された事件があった。一部の人間の愚かさ、浅ましさ、卑劣さを象徴する出来事といってよいだろう。

同じようなことがネット上で日々起こっていることだろう。誰かがおもしろ半分に書いたエピソードを、愚かな人々がまったく検証しないまま真実と信じてしまい、冷静な人がいくら反証しても耳を傾けなくなる。

実は私自身もネット上に事実に反する出来事を書かれ、それを真に受けた数人から何度か中傷を受けたことがある。

いわゆるヘイトスピーチも同じ類のタイプの人たちが流しているといえるだろう。事実の重要な部分を見ないで一部だけをゆがめて取り上げ、それを声高に喧伝し、それだけでなく、差別し他者を攻撃する。

もちろん、このタイプの人全員が、ここに示したような卑劣な人間だとは限らない。だが、情報を的確に判断できない点において知性を疑われるのだ。

※本稿は『頭のいい人が人前でやらないこと』(青春出版社)の一部を再編集したものです。

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