「こうあるべき」でイライラしない。真言宗の僧侶、名取芳彦さんが教える<ベキベキ星人>からの卒業方法。負の感情に気づき目標を立てると行動も変わる
2025年4月22日(火)12時30分 婦人公論.jp
(イラスト:いだりえ)
できなくなることが増えると、過去を思い返して「昔はよかった」とくよくよしてしまうもの。僧侶の名取芳彦さんは、日々のちょっとした練習で少しずつ執着から「解脱」することができると説きます(構成:野本由起 イラスト:いだりえ)
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《ベキベキ星人》を卒業する
仏教の目指すところは、心おだやかに生きることです。とはいえ、その境地に至るのは簡単ではありません。
なぜなら人は、すぐに負の感情に支配されてしまうからです。ネガティブな感情にとらわれることを、仏教では「執着(しゅうじゃく)」と言います。「執着」は、言い換えれば「こだわり」です。
「こうあるべき」「こうすべき」と固執し、自分が決めたルールにがんじがらめになっている人のことを、私は《ベキベキ星人》と呼んでいます。こういう人は、ルールから外れた人を見ると心おだやかでいられません。
たとえば、「掃除は常に完璧にするべき」と考える人は、散らかった場所を見ると心が乱れ、「どうして片づけないんだろう」とイライラします。ですが、他者を思い通りにすることなんてできませんし、自分だっていつまでも完璧でいられるとは限りません。
《ベキベキ星人》でいると、まわりまわって自分のことまで許せなくなるという最悪のシナリオが待っているのです。
では、どうすれば執着を手放せるのでしょうか。それには、ものの見方を変えることが重要です。お寺を訪ねてくるシニアの檀家さんは、よく「年を取っていいことなんて何もない」と私に訴えます。
けれど、本当にそうでしょうか。確かに年を重ねれば、気力、体力、記憶力は衰えるかもしれませんが、経験を積むことで得られる心の豊かさもあるはずです。
私は30代の頃、自分の悪口を耳にするたびに、悶々として眠れない夜を過ごしていました。けれど66歳になった今では、悪口を耳にしても「またあの人? 悪口が服を着て歩いているような人だからね、気にすることはない」と流せるようになりました。これこそ年の功。人生の経験値が増えたことで心が広くなったのでしょう。
また、仏教には「嘘偽りのないことは素晴らしい」という考え方もあります。その視点で考えると、「人は誰しも年を取る。それは嘘偽りのない真実であり、素晴らしいことだ」と解釈することもできるのです。
このように、「老い」を「衰え」と決めつけるのではなく、「経験を重ねたことで寛容になった」「老いには嘘偽りがない」と違った側面からとらえれば、「年を取るのも悪くない」と思えてくるのではないでしょうか。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがありますが、頭の中につねに3人分の考えを持つことができれば、ネガティブな感情が湧いても、「待てよ、違う見方をすればプラスに考えられるぞ」とポジティブに転換できます。
雪が降った時、「道路が滑って嫌だな」で終わらず、「犬は喜ぶだろうな」「長靴やスコップを買う人が増えて、ホームセンターが繁盛しそう」と見方を変える。すると、「そう思えば腹も立たないな」と心の許容範囲が広がります。これが、仏教で言う「観自在(かんじざい)」、つまり物事を自由自在に見ることです。
こうしたものの見方を体得することで、「そう考える人もいるよね」「自分の都合にこだわっても仕方がないね」と《ベキベキ星人》を卒業し、おだやかな気持ちを手に入れられます。
目標があれば練習は苦にならない
ものの見方を変え、「文殊の知恵」を定着させるためにしてほしい最初のステップは、自分の内側にある負の感情に気づき、どうなりたいか目標を立てることです。
「今日も愚痴ばかり言ってしまったな」「またイライラしている」と自覚したうえで、「なぜそんな自分のことが嫌なのか」と考える。そして、「毎日笑顔で過ごしたいから」「自分の人生、つまらなかったと思ったまま一生を終えたくない」などと、目標をはっきりさせる癖をつけることが大切です。すると、ものの見方や考え方が変わり、行動にも変化が表れます。
私の場合、負の感情が生まれた時に、「なぜ自分はそれにイライラしているのか」を突き詰めて考え、解消されるまで諦めない癖をつけたので、今では心の乱れをスムーズに整えられるようになりました。
なぜなら僧侶である私の目標は、悟りの境地に近づく=心おだやかでいることですから、そのための努力は苦にならないのです。
私はよく「お坊さんの修行は大変でしょう」と言われますが、これも目標が明確なのでつらくはありません。逆に、目標のない人が私と同じ修行をしたら、修行の苦しさにばかりにとらわれ、それこそ三日坊主で終わるでしょう。
皆さんも「健康でありたい」と思えば、日々の散歩や軽い運動も楽しめると思います。同じように「心おだやかになる」という目標を定めたなら、そのための練習も難なくできるはずです。
感性を育てる「おかげさま」の心
次のステップは、周囲の人やものに興味を持ち、感性を磨くこと。おそらく、『婦人公論』世代の皆さんは「おかげさま」の精神を自然と持てている方が多いと思います。「おかげ」とは「縁」のことです。
仏教には、「すべての物事は、世の中の縁が寄り集まった結果として生じる」という考え方があります。自分の力で成し遂げたと思っていることも、そこには多くの縁がある。ご飯をおいしく食べられるのも、健康に過ごせるのも、たくさんの人のおかげ。
そういった感謝の気持ちを忘れない方は、物事のいい点を見つけるのもきっと得意なはずです。ほんの少し訓練するだけで、ポジティブなものの見方を身につけられるでしょう。
ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハンの言葉に、「1枚の紙の中に雲を見る」というものがあります。雲があるから雨が降り、雨が降るから木が育ち、木があるから紙が作られる。
このように、1枚の紙、1粒の米、1着の服に「縁」を見出して思いを馳せれば、感性が豊かになり、ものの見方も大きく広がっていくでしょう。
感性を磨き、自分なりの目標を持つための具体的な3つの練習法を後編でご紹介していますので、ぜひ挑戦してみてください。
<後編につづく>
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