どんな人も残忍に変えてしまうテレビの恐ろしい力

4月22日(土)6時0分 JBpress

フランスのテレビ局が行った実験は驚くべき結果に(写真はイメージ)

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 冒頭から、問題を出そうと思う。以下は、2009年にフランスのテレビ局が実際に行った実験である。

【架空のクイズ番組のパイロット版(その番組企画が成立するかを試すためのテスト)の収録に一般参加者を集め、彼らに出題者になってもらう。彼らは問題を読み、解答者(実は演技をする実験協力者)が答を間違えると電気ショックを与えるよう指示される。
 電気ショックの電圧は、解答者が間違いを続けるごとに上がっていく。解答者が間違えて電気ショックを受けると、苦痛を感じている音声(事前に収録したテープ)がスタジオに流れるようになっている。出題者から解答者の姿は見えないが、電圧が上がるにつれ死んでしまうのではないかと思われる反応が出題者に伝わるようになっている。
 さて、その状況の中で、果たして参加者の何%の人が最高電圧の460ボルトまで、つまり解答者が死んでもおかしくない電圧まで電気ショックを与えただろうか。】

 この問題の答えを考えるのと同時に、あなただったらどうだろうか、という想像もしてみてほしい。あなたがこの出題者で、自分が電気ショックを与える立場に立ったら、460ボルトまで電気ショックを与えるかどうか。どうだろうか?

 信じがたい現実を明らかにする3冊を紹介しようと思う。


「権威」に人はあらがえない

 1960年代に、ミルグラムという心理学者が行った有名な「アイヒマン実験」と呼ばれる実験がある。「アイヒマン」という名前は、ナチス・ドイツで上司の命令に従い、数百万人のユダヤ人を収容所に送り殺したアドルフ・アイヒマンの名前に由来している。

 この「アイヒマン実験」は、本質的には冒頭で提示した問題と同じものだ。白衣を着た科学者が実験と称して、答えを間違えた場合電気ショックを与えるよう被験者に指示する。間違えるたびに電圧が上がり、最終的には死んでもおかしくない電圧まで設定されている、というものだ。

「アイヒマン実験」では、実に60%もの被験者が、最高電圧まで電気ショックを与え続けた。この実験は、ユダヤ人を収容所に送り込んだアドルフ・アイヒマンがとてつもなく冷酷非道な人間であるのか、それとも人間は誰しもその立場に置かれれば同じことをしてしまうのか、ということを検証するために行われた。「アイヒマン実験」はその後も何度も繰り返し様々な心理学者によって実験され、同じような結果が出ている信頼できる実験だ。

 さて、冒頭の問題に戻ろう。架空のクイズ番組のパイロット版に呼ばれた被験者の内、実に81%もの人が、460ボルトの電圧まで電気ショックを与え続けたのである。

 あなたはどうだろう? 自分なら、絶対に460ボルトまで電気ショックを与えることはない、と思ったことだろう。しかし、その自信は捨てた方が賢明だ。あなたもきっと、同じ立場に立たされれば、460ボルトの電気ショックを与えることだろう。そして、アドルフ・アイヒマンと同じ立場に立たされれば、同じように数百万人のユダヤ人を収容所で殺したに違いない。

 この実験が示唆しているのは、人間がいかに「権威」に弱いか、ということだ。「アイヒマン実験」では白衣の科学者が、冒頭の実験ではテレビという環境が「権威」として働いている。

『死のテレビ実験 人はそこまで服従するのか』(河出書房新社)の著者らは、「アイヒマン実験」をテレビを舞台にして行うことで、「テレビは<権威>を持つかどうか」を明らかにしようとする。現代ではまた少し違うだろうが、それでもいまだにテレビというのは僕らの生活の中で大きな影響力を持っている。当たり前の日常的な存在であるがゆえに、僕らはテレビという存在を「権威」として認識することはない。しかしこの実験によって、人がいかにテレビを「権威」と感じているかが明らかになるのだ。

 僕らは「権威」に弱い。そして「権威」は思ったほど身近に存在する。そのことを意識しておかなければ、僕らは思いがけず酷い振る舞いをしてしまう可能性がある。その事実を、本書を読んで実感してほしいと思う。


ソニーのリストラ部屋の実態

 創業当時のソニーは、日本が世界に打って出ることができる革新的で魅力的な製品を生み出す会社だった。家電製品の歴史を作り、誰も見たことがないもの、誰にも実現できなかったことを次々と成し遂げてきた。ソニーの設立趣意書には、『真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設』と書かれており、共に技術者だった井深大と盛田昭夫の手によって、ソニーという圧倒的なブランドが作り上げられていった。

 しかし今、ソニーは、往時の見る影もない。革新的な製品を生み出せていない。社内にアイデアはあってもトップが決断できない。創業者たちが求めていた「生意気な奴」や「出る杭」が社内で排除されるようになっていく。

 そして、それが原因なのか、あるいは結果なのかはまだ分からないが、ソニーでは17年間で計8万人という、とてつもないリストラが繰り返されてきた。盛田昭夫は「ソニーはレイオフしない」と国内外で言い続けていたにもかかわらずである。

 ソニーに何が起こっているのか。

 本書『奪われざるもの SONY「リストラ部屋」で見た夢』(清武英利著、講談社)は、「能力開発室」「セカンドキャリア支援室」「キャリアデザイン室」「キャリア開発室」など様々に名前が変遷し、社員からは「追い出し部屋」や「ガス室」と呼ばれている場所を中心に、ソニーのリストラの実態と凋落を描き出すノンフィクションだ。

『そこに送り込まれた社員は自らのコネで社内の受け入れ先を探すか、早期退職して転職先をみつけるか、あるいは何と言われても居座り続けるかの3つの道しかない』

『だが、キャリアデザインと呼ぼうが、人材開発と言おうが、実際のところは社内失業に追い込まれた社員が集められるところだ。人事部員自身がそれを認めている』

『大半が終日、語学を勉強したり、ネットサーフィンをしたり、新聞や雑誌を読んだりしていた。』

「追い出し部屋」に送られた者が全員無能だった、などということはありえない。もちろんそういう人物もいただろうが、「追い出し部屋」には、かつてソニーらしさを体現していた存在である奇人変人が多く送られたという。

『ソニーは奇人変人を抱えることのできた、自信満々の企業だった』

『ソニーにはアウトローをかくまうという成功ストーリーがありました。ワンマン社長だった大賀典雄が傍若無人と言われた久夛良木健さん(のちに副社長)を囲って、プレイステーションをやらせて成功に導いています。あんな風に、組織の中で「なんだこいつ」という人にチャンスを与え続けてきた。それで新たなビジネスを創ってきた面白さがあるから、出井さんも近藤さんを支えていた』

 奇人変人は、上司からすれば扱いづらい存在だ。普通の会社ではまず存在し続けられないだろうが、ソニーだからこそ抱えることができる稀有な人材だった。かつては、そんな社員を扱えることが有能な管理職の証だった。そういう奇人変人が、社会を変えるイノベーションを生み出してきたにもかかわらず、今のソニーは彼らを手放そうとしている。

 本書には、様々な形で「リストラ部屋」と関わった人物が多数登場する。リストラ部屋から生還した者。リストラ部屋に自ら志願して行った者。多くの人にリストラを勧告した人事部員。反旗を翻し研究所に立て籠もった者。部下にリストラを勧告した9カ月後に自らもリストラされた者。リストラを実行しながら、「こんなことをして罰あたらねえのか」と言って辞めた役員。定年までリストラ部屋に居座り続けた者。

 どの人にもソニーの中での歴史があり、家族や仲間があり、ソニーを愛する気持ちがある。ソニーを愛するがゆえに苦言を呈し、ソニーの復活を信じて厳しいことを言う人がいる。著者はそれらの物語を丁寧に掬い上げる。ソニーというブランドを蹂躙し、赤字を垂れ流しながら高額の報酬をもらっているトップたちには絶対に理解できない痛みを背負った者たちが、実名でその体験を語る。

 世界的企業であり、一時は家電業界を制覇したと言ってもいいほど隆盛した企業が、たった十数年で凋落していく。その悪夢のような光景は、日本中、いや世界中どんな企業でも起こりうるものだろう。いつか自分の身にも降りかかるかもしれない。そう思いながら読むべき一冊だと思う。


戦争は人間をどう変えてしまうのか

『しかし別れ際に小野さんはこんな言葉を口にしたのである。

「取材協力はしますけど、本当に放送なんてできるんですかね。これまでもNHKなどは、東京や福島の放送局から何度も来ましたけど、みな一度きりでしたよ。これを報じようとして新聞社で飛ばされた記者も知っています。難しいですよ南京事件は・・・」』

 そんな難しい「南京事件」に、著者はテレビ局の記者として挑む。その取材は、NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」という番組として結実した。このドキュメンタリーは「平和・協同ジャーナリスト基金賞『奨励賞』」「ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞」「メディア・アンビシャス賞」「放送人の会・準グランプリ」など様々な賞を受賞し、『大手メディアのほとんどがなぜかこの事件から目を逸らす』と言われている「南京事件」を真正面から扱ったものとして大いに話題になった。

『「事実」に一歩でも近づくことが最大の目標だ』

 本書『「南京事件」を調査せよ』(清水潔著、文藝春秋)でそう語る著者は、「複数の一次資料を突き合わせる」という、著者の取材スタイルの大原則を今回も踏襲し、著者が手に入れることができた元兵士たちの日記と、彼らを聴取した映像や音声テープの内容が事実であるかどうかを検証する、という形で「南京事件」に迫っていく。

 しかし、「南京事件」が実在したかどうか、というのは、本書の目的の半分に過ぎない。

『真相を求める人々が多いにもかかわらず、大手メディアのほとんどがなぜこの事件から目を逸らすのか。そして現代に生きる人たちは、本当に戦争と無関係なのか、そもそも私自身はどうなのか・・・。そんなことについて書き残したくなったのだ。』

 著者は、なぜ「南京事件」だけがこれほどまでタブーとされているのか、という、「南京事件」を取り巻く状況をも捉えようとする。1つの歴史認識が、現在の政治にも影響を与えているのではないか。「南京事件」をどう捉えるかは、今の僕らの現実の生活にも、何らかの影響を与えているのではないか。著者は、「南京事件」だけが持つ特異な性質を捉えようと取材を進める中で、そんな風に感じるようになっていく。

『極論を言ってしまえば、虐殺があろうとなかろうと私には無関係である』

 取材を始める前にそう思っていたという著者だが、取材を続けていく中でその考え方は変化していく。戦争を体験した者がどんどんと減っていく中で、戦争というものがどんどんリアルさを失っていく。「南京事件」の取材を通じて、戦争が人間をどう変えうるのかを知った著者は、改めて歴史を知ることの意味を捉え直し、国を破滅の危機に追い込まない決断ができる国民であるべきだというメッセージを、この作品に込めるのだ。

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筆者:長江 貴士

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