「令和」初頭に高確率でくる日本の苦境を乗り切る道

4月25日(木)6時6分 JBpress

首相官邸で新元号を発表する菅義偉官房長官(2019年4月1日撮影)。(c)AFP / Kazuhiro NOGI 〔AFPBB News〕

 間もなく「平成」が終わり、新元号「令和」の時代を迎えます。

 新しい時代は、われわれ日本人にとって、より希望の持てる時代になってほしいものです。果たして令和はどのような時代になっていくのでしょうか?

 私はこれまでの歴史の変動と照らし合わせ、来るべき近未来を予測してみました。すると令和の初頭は、残念ながら、日本人にとって相当厳しい時代になるのではないかと思われてくるのです。


10年周期でやってきた経済ショックと政治改革

 私は「令和」の時代を占うにあたって、景気や経済、国力が変動する3つの周期を過去に当てはめて考察してみました。こうした周期論にはさまざまなタームのものがありますが、私が注目したのが「10年周期」、「40年周期」、そして「1000年単位での見方」です。

 1つ目の10年周期ですが、これを最近の日本に当てはめて分析してみると、80年代、90年代、2000年代は非常に似たパターンを示していることが分かります。各年代の末期に経済ショックと政治変革がセットで来るのです。

 80年代終盤、バブル景気が崩壊しました。大きな経済的ショックに襲われると、人々の心に「政治的にこのままでいいのか」という疑念が強まってきます。それはこの時も同様で、バブル崩壊の少し後、熊本県知事だった細川護熙さんが作った日本新党のブームが日本中を席巻します。そして、あれよあれよという間に、1993年、非自民の連立政権である細川内閣が成立します。国民は38年ぶりの非自民党政権に、「抜本的な政治改革をしてくれるのではないか」と期待しましたが、結局、細川内閣にしても、続く羽田内閣にしても、本質的な改革はさほど進められずに幕を閉じました。

 それから約10年後、90年代の終わりになると、山一證券、日本長期信用銀行、北海道拓殖銀行といった大手金融機関がバタバタと経営破たんに追い込まれる事態に私たちは直面しました。危機の高まりに合わせて、いわゆるメガバンクの再編が始まったのもこの頃からです。このときに政界で巻き起こったのが、小泉純一郎さんを主役とする「小泉ブーム」です。

 小泉さんはそれまでにも総裁選に何度か名乗りを上げていましたが、いわば「泡沫候補」で、この時も小泉さんが総理大臣になると本気で思っていた人は少数派でした。その小泉さんが「自民党をぶっ壊す」と宣言して総裁選を戦ううちに、ぐんぐん支持を集め、総理経験があり、最大派閥の平成研究会(旧経世会)会長だった橋本龍太郎さんに勝利するという信じられない大番狂わせを起こし、2001年に総理大臣の座をつかんだのです。

 ただ、その小泉さんでも、最優先課題だった「郵政民営化」こそ実現しましたが、日本の本質的、構造的な改革が出来たかと言えば、出来なかったように思います。

 そして2000年代後半。この時は07年末から08年にかけアメリカでサブプライムローン危機が発生、その影響で2008年9月15日にリーマン・ブラザーズが経営破たん、いわゆる「リーマン・ショック」が世界中を襲います。

 この頃、日本では発足したばかりの麻生内閣が景気対策を実施するなどして不況に対応しますが、「漢字の読み違い」が揶揄されるなど、支持率は急落。結局、政権発足から約1年後に麻生首相は解散・総選挙に打って出たものの大敗します。選挙で国民の大きな支持を集めたのは、民主党でした。55年体制が出来て以来、初めて選挙による政権交代が実現したのです。

「脱官僚」を掲げて政権を握った民主党に、国民は期待しました。しかし、やはり政治改革は中途半端に終わり、国民の中には落胆だけが残りました。

 こうして振り返ると、見事に10年ほどの周期で経済的ショックと政治的動乱が繰り返されてきたのが分かります。

 その流れで言うと、今年はリーマン・ショックから11年目。2010年代も間もなく終わります。そろそろ何か経済的な衝撃が起こり得るのではないかと考えられるのです。あるいはオリンピック後がそのタイミングになるかもしれません。いずれにせよ、「令和ひとケタ」時代に、経済的なショックが起こり、抜本的なガバナンスの改革がまた求められる時代になるのではないかという予感がするのです。


「かつては世界に冠たる経済大国だったのに・・・」

 2つ目に上げた「40年周期」も、日本の歴史に当てはめてみると、時代のうねりをうまく説明することができます。

 明治維新(1868年)から37年後の1905年、日本は日露戦争に勝利し世界中を驚かせ、経済的にも好景気に沸き立ちます。明治維新からおよそ40年をかけ、日本は世界に一流国に向かってまっしぐらに階段を駆け上ったわけです。

 好景気は、第一次世界大戦(1914〜1918年)時まで続きますが、1920年代、30年代は恐慌続きとなり、政界では軍部が台頭、次第に日本を取り巻く環境は悪化の一途を辿るようになります。そして日露戦争の勝利からちょうど40年目の1945年、行き着いたのは、第二次世界大戦での敗戦というどん底でした。明治維新から40年かけて登った山を、今度は40年かけて谷底まで転がり落ちていったというわけです。

 その焼け野原から日本は再び立ち上がり、高度成長期を驀進します。そして敗戦から40年後の1985年、気づいたら日本は輸出を中心に稼ぎまくっていました。ちょうどこの年は、プラザ合意によって日本企業が円高不況に直面する年ですが、国際的に円高ドル安に誘導せざるを得ないほど、日本の輸出競争力が高まっていたと言えます。実際、日本経済は円高不況をあっという間に克服し、80年代後半はバブル経済が絶頂期を迎えます。

 もちろんそのバブルは派手に弾け、日本は長い不況を経験したわけですが、1985年を一つのピークとして、そこからまた40年かけて谷底に向かっているとしたら、実はまだ「大底」には至っていないことになります。40年周期説に従うなら、大底は2025年ごろ。2020年の東京オリンピックが終わり、2025年の大阪万博の後ということになるのでしょうか。2つの巨大プロジェクトの後、日本はあの敗戦に匹敵する厳しい状況に置かれるのかもしれません。

 私は経産省の官僚だった時代、中南米向けの経済援助の担当になったことがあります。当時、仕事でペルーに行ったとき、インカ帝国の遺跡を見学する機会がありました。14〜15世紀に作られた遺跡は、きれいに切断された巨石同士が、隙間なくピタッと組み合わされて作られています。その見事さに感嘆していると、現地の案内係の人が教えてくれました。「現在のペルーにはこれほど高度な技術はありません」と。この例を引くまでもなく、「かつてあれほど繁栄していたのに・・・」といった文明や国家が歴史の中にはたくさん存在します。

 もしかすると日本も、「かつては世界に冠たる経済大国だったのに・・・」と言われる命運を辿るのかも知れません。あるいは、ここから見事に復活していくのか。その分岐点は、10年周期で考えても、40年周期で考えても、「令和」前半の数年間にやってきそうなのです。


紀元後ずっと世界経済をけん引してきたのは中国とインド

 3つ目として、もっと大きなトレンドに触れておきましょう。実は、紀元後すぐから19世紀前半まで、ほぼ一貫して世界のGDPの半分以上は中国とインドの2カ国で叩きだしていました。ヨーロッパが数字的に存在感を出してくるのは、イギリスがビクトリア朝後半に突入した時代くらいからです。そのころからヨーロッパ各国の経済力が伸長し、さらにその後、アメリカのプレゼンスが高まっていきます。そして20世紀に入ると、中国とインドの割合は合わせて2割にも満たないくらいにまで低下してしまうのです。かつての比率から見ると、嘘みたいな落ち込み方です。

 ところが2010年代に入ってから、中国とインドのGDPは合計で全世界の3割程度にまで高まってきました。

 つまり、人類の歴史が始まって以来、世界経済を一貫してリードしてきた中国とインドは、たまたまこの200年くらいの間だけ落ち込んでいただけで、再び世界をリードするポジションに戻りつつある、と捉えることもできるのです。

 いま、アメリカと中国との間の貿易摩擦が過熱していますが、これも「アジア回帰」という大きな流れの中で当然生じるコンフリクトと言えるのかも知れません。そして、中国の台頭は、アメリカと共同歩調をとっている日本にとっても難しい選択を迫られる時代と言えます。

 このように、10年、40年、1000年単位で見た場合、「令和」の初頭は私たちにとって極めて厳しい時期になるのではないかと思われるのです。

 そういう中でも、日本を希望にあふれた国にしていくためにどんな手を打っていけばよいのか。その方策を考えることが急務になっています。


偏差値教育の外側で育った人材

 私が特に必要と感じている「打ち手」は3つあります。

 当たり前ですが、1つは経済を再活性化させることです。ただ、製造業に過度に依存するモデルでは日本はもう世界の中で勝てません。総じて、かつて世界を席巻した自動車や家電業界に勢いがないのは明白です。日本には、個別に見れば、製造業の中でも素材産業や工作機械といった分野でまだまだ競争力を発揮できますが、中国を筆頭とするアジア勢のキャッチアップには目を見張るものがありますので、製造業をメインとした産業構造のまま日本全体が世界の中で伍していくのは難しいでしょう。

 そこで私は、日本はクリエイティブ産業をこれからの成長ドライバーとしなければならないと思っています。

 こんなことを言うと、「クリエイティブ産業なんて、日本人が最も苦手な分野じゃないか」と思う人もいるかもしれません。しかし、海外の人々はそうは思っていません。

 少し前になりますが、2012年、ソフトウエアメーカーのアドビシステムズが日米英仏独の5カ国で行ったアンケート調査があります。この調査では上記の5カ国で「一番クリエイティブな国はどこか」という質問をしています。すると、イギリス、ドイツ、フランスでは「日本」と回答した人が最も多く、自分の国を挙げた人数を上回っているのです。

(参考:https://www.adobe.com/aboutadobe/pressroom/pdfs/Adobe_State_of_Create_Global_Benchmark_Study.pdf)

 この調査は、「最もクリエイティブな都市は?」という質問もしています。ここでもイギリス、フランス、ドイツは、「東京」と答える人が最も多く、2位がそれぞれ自国の都市を挙げています。

 ちなみにアメリカと日本は、最もクリエイティブな国では「アメリカ」、都市では「ニューヨーク」と回答した人が最も多いのですが、2位はそれぞれ「日本」と「東京」でした。

 このように、ヨーロッパの人々は日本や東京を世界一クリエイティブな場所だと思っていて、アメリカだって高評価をしてくれています。

 ではクリエイティブな産業というのは具体的にはどういうものか。私が特に「日本に競争力がある」と思って注目しているのは、美容や理容、ネイルアートのような「美」に関わる産業、あるいは建築、映画・小説・アニメーション、そして「食」の分野です。

 六本木に、メイ牛山さんが学長をしていた「ハリウッド美容専門学校」があります。前身のハリウッド美容講習所は大正時代の創設という老舗の美容専門学校で、現在、中国などからの多数の留学生が勉強をしにやってきています。そうした留学経験者の中には、中国に帰って、巨大美容室チェーンを展開している人もいるそうです。それくらい、海外でも「高度な技術・ノウハウが学べる学校」として名が通っているのです。

 ハーバードと東大の両方に合格した外国人が、わざわざ東大に留学するかと言えば、その可能性は低いかもしれませんが、ニューヨークの美容学校と東京の美容学校の両方に合格した人ならば、東京の学校を選ぶ人も相当な割合になると思います。美容の世界で、日本の国際競争力は高いのです。

 建築の世界でも日本人の才能が世界的に注目されています。昨年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)を訪ねたところ、館内のショップで日本人建築家やデザイナーに関する土産や書籍を多数見かけました。その数は、大げさではなく、店内の4分の1とか5分の1もの割合です。それほど日本の建築家やデザイナーが注目されているのです。

 あるいは小説の世界では、中国や韓国で村上春樹さんや東野圭吾さんの作品がトップクラスの人気になっています。昨年、中国・成都の人気書店(方所書店。代官山の蔦屋書店のようなつくり)に入った際には、小説部門の売れ筋ランキングで1〜5位までが全て日本の小説の翻訳本で占められている光景を目の当たりにしました。

 食の分野でも日本人の活躍は目覚ましいものがあります。先ほど触れたニューヨークをはじめ、世界各地に日本食レストランが激増していますし、日本流のラーメンもニューヨークの一風堂をはじめ、大ブームです。

 日本食だけではありません。例えば松嶋啓介さんという日本人シェフは、専門学校を卒業して20歳で渡仏。25歳で独立し、ニースにフレンチのレストランを出すと、外国人として最年少でミシュランの星を獲得しました。現在はフランスと東京に店を構え、世界を股にかけて大活躍しています。

 こうしたクリエイティブな分野で活躍している人に共通しているのは、ほとんどの人が、これまで日本人が「成功の王道」と思い込んでいた「いい大学を出て、大企業へ」といった偏差値教育の枠の外側で生きてきているということです。もっと言えば、これからの日本の命運がかかっている産業をリードしていくのは、偏差値教育の外側で育った人たちだと思うのです。

 茨の道になりそうな令和の時代に、日本が世界で存在感を発揮していくためには、このような人たちが活躍できる環境、そして「こうした分野に秀でた日本で学びたい」という留学生をしっかり受け入れられる環境を整えるべきなのです。


きびだんごが欲しいから鬼退治についていったのか?

 同時にもう1つ大切なのは、それらは中央政府が全国一律の施策で行うのではなく、地域が独自色を生かしながら、自律的に成長戦略を策定して実行するべきだということです。日本は明治維新で中央集権体制を整備し、東京で官僚がコントロールを利かせる一極集中体制で成功してきました。

 しかし、これからの時代は、中央集権を脱して、各地域が自律的に動いていくことが必要です。経産省にいたので自信を持って断言しますが、国は各市町村はおろか、各都道府県の成長戦略を考える能力も体制も持っていません。そうした中、明治維新と逆方向の維新、いわば「逆維新」が求められると思うのです。各地域がそれぞれ「俺たちは何でこれから食っていくか」を真剣に考え、アイデアに磨きをかけていかなければなりません。

 外国では「音楽の街=ウィーン」や「美食の街=サン・セバスチャン」といった、強烈な特色をもった都市があります。そうした特色を発揮することによって、大企業の工場などに頼らなくても地域の雇用を創出し、多くの観光客を呼び込むことに成功しているのです。日本の地方にも、そうしたポテンシャルを秘めた場所が無数にあります。中央政府の補助金や大企業の工場進出に頼るのではなく、自らの強みに磨きをかけて、各地域がもっと輝く方策を考えていかなければならないと思うのです。

 3つ目として大切な打ち手は、リーダー教育です。先ほど述べたように、偏差値教育至上主義の下、子どもたちをいわゆる一流大学に押し込むのではなく、本物の「始動者(≠指導者)教育」の実現がとてつもなく重要な時代になってきています。

 私はリーダーとは「桃太郎」でなくてはならないと思っています。その意味は、「集団をまとめて指揮する人材」ではなく、たとえ村人全員が反対しても鬼退治に出ていくような「自ら行動を始める人材」、いうなれば「指導者」ではなく「始動者」です。

 イヌ、サル、キジを引き連れて鬼退治に向かった桃太郎。「お腰に付けたきびだんご〜♪」の歌が誤解を招いていると思うのですが、イヌたちはきびだんごにつられて桃太郎に付いていったわけではありません。初めは一人で鬼退治に向かっていた桃太郎の理念に共鳴したからこそ、イヌ、サル、キジは行動を共にしたのです。命の危険を伴う鬼退治に、いくらなんでも、きびだんごだけで付いていくはずがありませんから。

 これからの時代は、有能なテクノクラートを育てるのではなく、自ら考えて行動できるリーダーを育てていかなければなりません。私自身、意欲ある若者に向けたリーダー塾を開いていますが、こうした動きが数多く出てくることが、「令和」の時代を明るい時代にするために必要なことだと思います。

筆者:朝比奈 一郎

JBpress

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