陸上界を大きく変える挑戦なるか?女子の最強中距離ランナーが挑む、ナイキが仕掛ける特別レース『Breaking4』とは
2025年4月28日(月)6時0分 JBpress
(スポーツライター:酒井 政人)
『Breaking2』の衝撃
8年前の出来事だが、強烈な記憶として残っている。2017年5月にイタリアのモンツァ・サーキットで行われた『Breaking2』だ。
前年のリオ五輪で男子マラソンの金メダルに輝いたエリウド・キプチョゲ(ケニア)ら3人のランナーがフルマラソンの「2時間切り」に挑戦。そしてキプチョゲが世界中を熱狂させたのだ。
筆者はライブストリーミングで観戦したが、凄まじいレースだった。複数のペースメーカーが交代で引っ張り、5km14分07〜17秒という安定したペースで進み、中間点を59分57秒で通過する。30〜35kmは5km14分27秒まで落ちたものの、ラスト2.195kmを6分21秒でカバー。当時の世界記録(2時間02分57秒)を2分32秒も上回る2時間00分25秒で走破したのだ。
そしてナイキが仕掛けたイベントがマラソンという競技を一変させる。
『Breaking2』に向けて開発された“厚底シューズ”が超高速化を実現。翌年(18年)の5月にキプチョゲを直接取材する機会があり、実際のレースでも「2時間1分は出せるかな」と話していたが、その通りになったのだ。
キプチョゲは2018年9月のベルリンで従来の世界記録を1分以上も短縮する2時間01分39秒をマーク。2021年東京五輪で連覇を果たすと、翌年のベルリンで世界記録を2時間01分09秒に塗り替えた。
現在の世界記録は2023年10月のシカゴでケルビン・キプタム(ケニア)が打ち立てた2時間00分35秒になる。厚底シューズが登場して、男子の日本記録が4度も塗り替えられたように、マラソンのタイムが大幅に向上している。そのキッカケとなったのが『Breaking2』なのだ。
そして今年の6月下旬、新たな伝説が生まれるかもしれない。
『Breaking4』の主役は女子の最強中距離ランナー
ナイキが新たに起こすムーブメント。今回の主人公は女子の中長距離ランナー、フェイス・キピエゴン(ケニア)だ。1500mで史上初となる五輪3連覇を成し遂げて、同種目で3分49秒04の世界記録を持つ。“史上最強の女子中距離ランナー”と呼べる人物だ。
これまで多くの栄光を手にしてきたキピエゴン。今回、ナイキとともに挑むのが『Breaking4』になる。1マイル(1609.344m)の“4分切り”だ。
1マイル走は日本人には馴染がない種目だが、北米では人気が高く、1950年代前半に男子選手が1マイル“4分の壁”に挑戦したことが注目を浴びた。
グローバル ウィメンズ ランニング VPのシーマ・シモンズ はこう補足する。
「約70年前にロジャー・バニスター(英国)が1マイル4分の壁を初めて破りましたが、女性は4分を切っていません。そしてフェイスがその壁を破る一番近い存在だと思います。彼女はエリートアスリートであるだけでなく、母親でもあり、コミュニティのリーダー。複数の側面を持っており、さまざまな人にインスピレーションを与えています。今回のBreaking4はフェイスが次のチャレンジとしてナイキに話があったことを受け、その夢に応える形で実現しました。このムーンショット(大きな夢)は、ブランドとしてのレガシーを築くだけでなく、次世代に向けた勇気と自由の象徴になると思います」
キピエゴンは1マイルでも2023年に4分07秒64の世界記録を樹立しているが、今回目指すのは4分切り。世界記録を一気に7.65秒も塗り替えなければいけない。トラック1周ごとに平均1.9秒のタイムを短縮させる必要がある。これがどれほど難しいことなのか。
グローバル スポーツ マーケティング VPのタニヤ・ヴィスダックはこう説明する。
「1989年にポーラ・イヴァン(ルーマニア)が4分15秒61の世界記録を作ってから、フェイスが2023年に4分07秒64の世界記録を樹立するまで、約8秒削るのに実に34年もかかりました。常にトップを走り続けてきたフェイスが勇敢さを示すスポーツの進化への大きな取り組みになります。これは女性だけではなく、すべてのアスリートに影響を与えることができるでしょう」
今回のプロジェクトは極めて壮大で、記録のうえでは約30年後に“タイムトラベル”するようなものだ。果たしてどのようにタイムを短縮していくのか。
約8秒を削るポイントは?
キピエゴンはどのように“パーフェクトマイル”を成し遂げるのか。ナイキスポーツ研究所 VPのエイミー・ジョーンズ・ヴァテラルスはこう考えている。
「この挑戦には多くの人が関わり、酸素状態・無酸素状態でのデータ分析、シューズやアパレルの試作とフィードバックを繰り返していき、全方位からのサポートが行われます。10年〜30年かかると言われる挑戦をイノベーションの力でどこまで短縮できるのか。この挑戦が成功するには、場所、天候、空力、身体の動き、ウェアやフットウェアの効率、人間の感情や自信までも含めあらゆる要素が重なり合う必要があります。限界に挑戦するフェイスを多くの方に見てもらうことができれば、それだけでも成功だと思います」
最先端の科学的なサポートに加えて、『Breaking2』のときのような世界を変える“スーパーシューズ”が登場するかもしれない。どんなチャレンジになるのだろうか。
2018年6月に第1子となる女児を出産して、さらにパワーアップしたキピエゴン。最後に彼女の言葉を紹介したい。
「私はオリンピックで3度優勝し、世界選手権のタイトルも獲得しました。そこで、他に何ができるだろう? 並外れた夢を見るのも良いのでは?と考えたのです。『自分を信じて、チームも私を信じてくれるなら、きっとできる』と自分に語りかけました。この挑戦を通じて女性たちに『夢を持って、その夢を実現しよう』と伝えたいです。限界に挑戦し、大きな夢を見る。それが女性のあるべき姿です」
開催期間は2025年6月26日〜28日。最適な条件になる日を選んで調整するという。場所はパリのスタッド・シャルレティスタジアム。キピエゴンが過去に1500mと5000mで世界記録をマークした会場だ。わずか4分間の“伝説のレース”を見逃すわけにはいかない。
筆者:酒井 政人