覚え違いタイトル集と間取り図と匂い...プロフェッショナルの技に惚れ惚れ

2025年4月30日(水)11時0分 大手小町(読売新聞)

昔から、福井県立図書館の公式サイトにある「覚え違いタイトル集」というページをブックマークしている。原稿を書く手が止まったとき、いつでもひらいて読み返せるようにするためだ。これは図書館のカウンターで司書さんが実際に尋ねられた本のなかから、その名のとおり「覚え違い」があった本のタイトルを集めて一覧にしたもので、SNSなどでも定期的に話題になる。

古いサイトなのだけれど現在も更新は続いていて、私はこのページ内に新たな「覚え違い」が増えているのを見るたびにうっとりする。そのおもしろさ以上に、人の曖昧な記憶をもとに正確な情報を手際よく引き出す、司書という仕事のプロフェッショナル性に感動を覚えてしまうからだ。

たとえば最近更新された覚え違いのなかには、「サタンさんの料理の本」とか『白い馬のホース』といったものがあった(それぞれ「タサン志麻」さんの料理本と『スーホの白い馬』です)。このあたりはまだ素人でも想像がつくけれど、「バルーンの本」が実際にはドローンについての書籍だったり、『リンタロウとマンタロウ』として覚えられていた本の正体が『忍たま乱太郎』だったときは、笑うのも忘れてハア〜と感心してしまった。「失礼ですが、もしかしてリンタロウではなく忍たまじゃありませんか?」と尋ねられるようになるまで、司書さんたちはどれほどの経験を積んできたのだろう、と思いを()せてしまう。

写真はイメージです

日常のなかでそういった、ある種の特殊技能ともいえる専門性が遺憾なく発揮されているシーンを見るのが好きだ。

たとえば、数年前に友人と旅行をしたとき。宿泊予定だった旅館の予約にちょっとした手違いがあり、運よく空いていたハイグレードな部屋に泊まらせてもらえたことがある。

その部屋はちょっと戸惑ってしまうくらいに広くて、方向音痴の私は、部屋のなかを行き来するだけで四苦八苦していた。お手洗いから居間のスペースに戻ろうとするだけで、どの扉をあければいいのかわからなくなってしまうのだ。

そんな様子を見ていた友人が、「紙とペン持ってる?」と尋ねてきた。私が(かばん)から筆記用具を出すと、彼女はさらさらと部屋の間取り図を描きはじめた。

「ここがいまいるスペースで、この扉が洗面所。で、この空間の奥が露天風呂につながってて……」とペンを走らせながら流暢(りゅうちょう)に説明してくれる。友人は不動産業界の人だったから、空間の把握と説明に驚くほど()けていたのだ。描きあがった図は家探しの際に店頭で見る資料と比べても遜色がないほどの出来で、私は1泊2日の旅行のあいだ、常にテーブルの上に貼られたその間取り図を見ながら部屋を移動することになった。あれはいま振り返っても、本当にプロフェッショナルの仕事だったよなと()()れしてしまう。

また別のときは、香水の調香師をしている知人のひと言に感激したこともある。その知人は仕事柄、鼻が非常によく、自他ともに認める“動物並みの嗅覚”の持ち主だった。あるとき、数年ぶりにお茶でもしようという話になって駅で待ち合わせをしたところ、正面から歩いてきた知人が私に近寄るなり「あれ、引っ越しました?」と聞いてきたのだ。

私は驚愕(きょうがく)した。たしかにそのすこし前、長年住んでいたエリアから引っ越しをしたばかりだった。なんでわかるんですか、と尋ねると、「いままでと違う匂いがしたので……」と知人。でもルームフレグランスを変えたりはしてないんですよ、と私が言うと、知人は「これ、人に言ってもなかなか伝わらないんですけど、部屋の匂いってけっこうバラバラなんですよ」と微笑(ほほえ)んだ。それ以降、どんな話をしたかさっぱり思い出せないほどのインパクトだった。

そんな驚くべき特殊技能を日常のなかで目にしたり味わったりするたびに、私がひそかに夢想することがある。もし、これまで私が出会ってきたプロフェッショナルたちが一堂に会するミステリ作品があったなら……という想像だ。

舞台は王道だけれど、森の奥深くに建つ閑静な屋敷だ。謎の人物からの招待に応じて集まった人々は、その晩、屋敷で起きた凄惨(せいさん)な事件の謎を解かなければいけない状況になる。

そうなったとき、最初に活躍するのは不動産業界の友人だ。「この屋敷は13LDKで、ここに大広間があって、ここにゲストルームAからEがあるんだけど……」とスラスラと間取り図を描き、空間の全貌を見やすくしてくれる。すると次に調香師の知人がおもむろに手を挙げ、「実はずっと思っていたんですが、この書斎の匂いだけ、どこかほかの部屋と異質なんです」と事件の鍵になりそうな発言をする。

詳細は省くけれど、この美しい推理リレーには私がかつて出会った植物学者と似顔絵捜査官の知人などにもご登場いただく予定だ。なんやかんやあり、最終的には(福井県立図書館の)司書さんが書斎に走っていき、膨大な屋敷の蔵書のなかから然るべき本を探し出して、屋敷に隠された謎を解き明かしてくれる。

すばらしい専門性を持った人に出会うたびに、私は脳内でこのミステリの登場人物の数を着々と増やし、彼ら・彼女らが活躍するシーンをわくわくと想像している。できれば私もぜひなにかで活躍したいところなのだけれど、いまのところ私にはなんの特殊技能もないので、明るい歌でも歌って場の空気を和ませようかなと思っている。あるいは私が犯人になり、「みなさんのその力が見たかった」と捨て台詞(ぜりふ)を吐きながら情けなく追放されるルートしかないのかもしれない。(エッセイスト 生湯葉シホ)

大手小町(読売新聞)

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