今、明かされるラグビーW杯招致の舞台裏。キーマン徳増浩司が語る「前例のないプロジェクト」を成功させる方法

5月1日(金)20時0分 FINDERS

2019年12月20日、慶應義塾大学日吉キャンパスにて、同大学院システムデザイン・マネジメント研究科の開設10年記念公開講座「ラグビーW杯日本招致のフロンティアプロジェクトマネジメント」が開催された。

この講座は、前例のないプロジェクトをどのようにマネジメントすべきか、さまざまなケースから学ぶという内容。講師は、FINDERSで「Road to 2020 スポーツ×テックがもたらす未来」を連載する神武直彦氏(システムデザイン・マネジメント研究科教授)および、JAXAで「はやぶさ」「はやぶさ2」の開発に携わった矢野創氏(同研究科特別招聘准教授/JAXA(宇宙科学研究所)助教)の2名。

今回は、さらにゲスト講師としてラグビーW杯の日本招致に携わった、徳増浩司氏(元ラグビーワールドカップ2019組織委員会 事務総長特別補佐)を迎え、まさしく前例のないプロジェクトをいかに成功に導いたかという内幕が明かされた。

大学院の講義ではあるが、この講演は堅苦しい話は一切出てこない。長く苦しい招致活動は6年にも及んだ(うち一度は落選も経験した)が、徳増氏のユーモア溢れる語り口でスイスイと読み進められるだろうし、なおかつ多数の示唆に富む教訓が語られている。

構成:神保勇揮 写真:多田圭佑

徳増浩司

1952年生まれ。国際基督教大(ICU)卒、新聞記者を経てカーディフ教育大へ留学。帰国後、茗渓学園高ラグビー部を率いて1989年に全国優勝。1994年から日本ラグビーフットボール協会勤務し、ラグビーワールドカップ2019の招致に成功。2015年にアジアラグビー会長に着任。2018年からアジアラグビー名誉会長として同地域でのラグビー普及活動に従事。2017年には都内に渋谷インターナショナルラグビークラブを設立し、スポーツを通じた国際交流を進める。これまで100回を超える国際会議にも出席し、JOC国際人養成アカデミーなどで、グローバルコミュニケーション人材の育成に努める。著書に『ラグビー もっとも受けたいコーチングの授業』(2018年・ベースボール・マガジン社)

ウェールズ渡航、中学高校ラグビー部の指導を経て日本ラグビーフットボール協会へ

冒頭の45分では、徳増氏による講演が行われ、同氏のプレーヤーとしてのラグビー人生の紹介から始まった。アルバイトに明け暮れながら大学紛争の余波で壊滅状態になってしまったICU(国際基督教大学)のラグビー部を再建。卒業後は新聞記者になるものの、来日試合で観たウェールズ代表チームの個性あふれるプレーが忘れられず記者を辞め、自費でウェールズに渡航。カーディフ教育大学に聴講生として潜り込み、同時にラグビー部にも入部して日本とは異なるスポーツ文化を学んだ。

徳増氏は、ウェールズ時代に学んだこととして

①まず「個人」を大切にする
②個性とは「人と違う」こと
③自分の考えをしっかり伝えること
④エンジョイとは「力を出し切る」「夢中になる」こと

の4点を挙げており、まさしくこの経験が、のちのラグビーワールドカップ招致活動で文化・価値観の異なる国際的な交渉の場で、成果を上げるための大きな糧になったと語った。また、帰国後、茨城の茗渓学園中学高校ラグビー部を指導した際にも、「個性を活かしたチーム作り」で、それまで我が国では見られなかった新しいタイプのコーチングを実践した。

本稿では、いよいよ同氏が日本ラグビー協会の一員となり、ワールドカップ招致に向けて動き出したところからの模様をお届けする。

* * *

私は1994年に日本ラグビーフットボール協会事務局に入りました。ラグビーという素晴らしいスポーツを普及させる活動に参加したかったからです。協会では、広報部長や国際部長を務めていましたが、16年前の2003年に日本協会がラグビーワールドカップの招致活動を始めることになり、私も国際部長として招致活動に携わることになりました。招致活動といっても、ラグビーの世界には独特の歴史と伝統の厚い壁があり、国際大会招致の手引書があるわけでもないし、全く未知の世界で手探りで始めた活動でした。

伝統国が有利すぎる、W杯招致国決定のカラクリ

ワールドカップの開催国は、世界のラグビー協会を統括する国際統括団体である「インターナショナルラグビー

ボード(IRB)」の理事会での投票で決まるのですが、理事国が限定され、しかも協会の票数が平等でないという不公平な制度の中での招致活動となりました。

各2票:イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランス、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ
各1票:日本、カナダ、イタリア、アルゼンチン
各1票(大陸別の地域協会):アジア、北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニア

全部で26票あるうち、1国で2票を持つ伝統国(8国)が合計16票を持っていました。つまり全部、伝統国のいうとおりに決まってしますわけです。こういう中で、伝統国の外にいる日本がラグビーワールドカップの招致をやりたいと手を挙げるところから招致活動が始まりました。

活動を始めてみると、いろいろな国々が複数のブロック単位で動くことがわかりました。たとえば、ニュージーランドとオーストラリアと南アフリカは以前より、SANZAR(サンザー:ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカによる同盟)に属していてすぐに6票が集まるし、英国も4か国で8票が集まる。しかし、我々は日本はどうかといえば、国際的なネットワークや友達がいないんです。しいて言えばアジアですけど、そのアジア大陸にも1票しか与えられていない。

ワールドカップは1987年始まりましたが、これまでの開催国を見ていくと、第1回大会のオーストラリア・ニュージーランド共催から始まって、イングランド、北半球に行って、次に第3回大会が南アフリカに行って、

それからウェールズ、オーストラリア、フランス、ニュージーランド・・・つまり、北と南の2票ずつを持つ伝統国をずっと規則的に行ったり来たりしています。ワールドカップを最初に考案した人は、「ラグビーワールドカップは北半球と南半球の伝統国で4年ごとに開催される大会」と考えていたことが後になって分かってきました。それが当時の国際ラグビーの伝統であり、まだ5回しか開催されていない2003年の時点で日本へ招致するということ自体、時代を先行していたと言えますが、ある意味では無謀な挑戦でもありました。

このスライドを見てください。2019年に日本が入っているのが、いかに突然変異的なことかということが分かると思うんですね。しかも、2023年はまたフランスに行ってしまいますから、元のルーティンに戻ってしまうわけですね。だから、今年のワールドカップは日本に来ること自体が奇跡的な大会であると言えると思います。

壮絶なる深夜の招致合戦

最初は2011年大会の招致活動に取り組みました。日本にとって対抗馬は南アフリカとニュージーランドでした。開催国は理事会での投票で決まるわけですが、実際には理事会の場ではなくて、事実上、投票前夜のホテルのバーで決まると言われていました。このバートークが大事で、各国の理事たち一人一人に、「ぜひお願いします」と最後のお願いにいく。隣ではニュージーランドの理事がいて、「いいですか、私の目をちゃんと見て『投票する』と言ってください」と迫っているぐらい熱のこもった場でした。

「ライバル協会の人たちが帰ってくれないと話ができないなあ」と思いつつ順番を待っていると、話した後に今度は南アフリカの理事がやって来る。そして説得されるたびに票が変わっていく、オセロゲームみたいになっていて、なかなか帰れないわけですよ。絶対に取るためにはと、全員がいなくなるまで粘って時計を見たら、午前3時半でした。でも次の日の朝、朝食会場に行ったら、またみんな各テーブルで最後の説得をやっているんです。「招致するにはここまでやらなきゃいけないんだ…」と圧倒されました。

しかし日本はなかなかこれといった強力なアピールポイントがない。唯一できたのは「伝統国以外で開催してラグビーを世界に広めましょう」「ラグビーのグローバル化」とアピールすることだけでした。

そんな中でいよいよプレゼンテーションの時間が来ました。この写真では当時日本ラグビーフットボール協会会長でもあった森喜朗さんがボールを持っています。森さんの向かってすぐ左は元駐英日本大使の野上義二さんで、ご自身も日比谷高校時代にでラグビーをやっていて、全国大会でもベスト8まで行っています。森さんの右は真下専務理事です。

さあ、いよいよこれからプレゼンテーションが始まるというので、みんな悲壮な顔をしていますね。

私たちは日本開催のメリット、日本が安全な国であることや、過去にオリンピックなど大規模な国際スポーツイベントをすべて成功させた実績、インフラの整備などをアピールし、日本には独自のラグビーの伝統があり、自分たちもラグビーを愛する国であるということも強調しました。

プレゼンのラストは「A Fresh Horizon」というキャッチコピーで、「ラグビーを新しい地平線に持っていこう!」と訴えました。そして「私たち日本のラグビーには、まだ皆さんほどの伝統はないかもしれない、皆さんほど強くないかもしれない。でも、ラグビーにおける情熱は決して皆さんに負けていない。「A vote for Japan is a vote for the future(日本に投票するということは、未来に投票することでもあります)」というと、場内がシーンとなりました。私たちは「もしかしたらこれで決まったかもしれないぞ」と思ったほどでした。

まさかの日本落選

プレゼンテーションの後に行われる投票では、まずはじめに得票数が最も少ない国が落ちて、残った2か国の間で決選投票をするんです。南アフリカとニュージーランドと日本が競い合う中で、実は、最有力候補はテレビの放映権収入の関係などで南アフリカでした。日本が2番手、ニュージーランドは3番手でした。ニュージーランドはスタジアムや国の経済規模が小さいという指摘を受けていました。

しかし、蓋を開けてみると、なんと最初に南アフリカが落ちてしまいました。後で分かったんですが、ニュージーランドはプレゼンで「これがニュージーランドでできる最後の大会になります」と訴えて同情票を狙っていました。それを聞いた理事の中には「ニュージーランドも、あまり票が少ないのも気の毒だし、みんなが南アに入れると言ってるから、自分がぐらいはニュージーランドに入れてあげよう」というわずかな意識が働き出した。しかし、そのひとりが、二人になり、三人になりという感じで増えてしまったようなのです。

日本とニュージーランドでの決選投票になって、発表の直前には報道関係のカメラが全部日本の招致団の方を向いていました。「Next World Cup will be…」と言い始めたIRBのミラー会長の口からおそらく日本の「J」という発音が出るかと思ったら、「New Zealand」。カメラが一斉にニュージーランドの招致団の方向に向かいました。

私たちは敗れ去ったんです。森さんがカンカンになって怒って、「こんな不公平な投票の仕方はない。これでは世界のラグビーはいつまで経っても変わらない!」と言って、翌日、IRBのシド・ミラー会長に怒鳴り込んだのです。私はその横で通訳をやっていたんですけど、ミラー会長の顔がみるみるうちに赤くなってきて、緊張の走る場面となりました。

これも後になってわかったことですけど、ニュージーランドは、何か国かに「もしニュージーランドに投票してくれたら来年オールブラックスがおたくの国に行きますよ」と約束していたとのことでした。1回オールブラックスが行くとホスト国には5億円ぐらいの収入が入りますので。森会長らも「これじゃあ日本が何回やっても無理だな、もうやめようか」という話になりかかっていたのですが、12月に入り、アジアの理事会で招致がかなわなかったことを報告したところ、アジアの仲間たちから「ぜひもう一度、日本がリーダーになって招致をやってほしい」ということを言われ、その後、日本協会も、次のラグビーワールドカップ(2015年大会、2019年大会)への招致をやることになりました。

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背水の陣の2回目招致活動

その後、IRBは2009年に、「15年大会・19年大会の開催地を同時に決める」という案を出してきました。今回立候補したのは日本とイングランドと南アフリカとイタリアの4か国。ただし、イングランドは2015年だけに絞っての立候補でした。またも4か国の間で激しい招致合戦が繰り広げられたのですが、IRBは、ラグビーをオリンピックの参加種目に入れたいという構想もあり、ラグビーをオリンピックに入れるためには伝統国以外でもラグビーワールドカップが開催されるという実績がほしい。その決定が、同じ年の10月に予定されていたことになっていたこともあり、突然「15年イングランド、19年日本」という推薦案を出してきたのです。つまりオリンピックの種目決定の2か月半前に、ラグビーワールドカップの開催国が決められることになっていました。

IRBでは、この推薦案を理事会で承認するかを、1カ月後に投票することになりました。

今回こそ誘致を成功させたく、専務理事の真下さんと私とで各国をもう1回回ることになりました。最初にスコットランド協会を訪問したら、「いや、この案には賛成できないよ」と言われ、どうしてですかと聞いたら、「イングランドが2015年に推薦されているのが気に食わないんだ」と言われましてね(笑)。スコットランド、アイルランドとウェールズというケルト圏はイングランドに対してのライバル意識がとても強いのです。

「これは大変だ、もし今回も取れなかったらどうしよう」と思い、イングランド協会と提携し、先方が朝を迎える毎日17時ごろに国際電話をして、「イングランドはこの協会の票を押さえてくれ、日本はこっちの票を押さえる」とターゲットを分担するやり取りをして、2009年の7月28日のIRB理事会で、ようやく2019年の日本招致が正式に決定しました。

結果は賛成が16、反対が10と言われています。南アフリカとイタリアが招致合戦を繰り広げて、この推薦案を反対したことは言うまでもありません。鍵になったのは、ニュージーランド協会でした。ニュージーランド協会は基本的には2票を持っているんですけれども、ニュージーランドの近隣であるフィジー、トンガ、サモアが構成するオセアニアラグビー協会は必ずニュージーランドと連動するために、結果的には合計3票持っているようなものですね。

開票の翌朝、ニュージーランド協会のCEOが真っ赤な目をして、朝食をとっている真下専務理事と私のところに来て、「招致決定おめでとうございます。本当は私たちニュージーランドは南アフリカと同盟を組んでいるから、南アのためにもこの提案に反対しなければならなかったのですが、ラグビーの将来を考えたら絶対日本でやるべきだと思ったので、あえて日本に入れたよ」と言ってくれたんです。

もし3票がそっちに行ったら、13対13で同となり、その結果、ラグビーワールドカップの開催国はどうなるかはわかりませんでした。もし2回目でも取れなかったら、私たちもおそらくもう招致活動を止めていたと思います。彼は別れ際に「今からヒースロー空港に行って南アに飛んで謝りに行くんだ」と言っていました。ああ、そうか、こういう人たちの期待を込めた大会をこれから開くんだということで、私たちは思いを新たにして帰国しました。

「信頼関係を築く」とはどういうことか

ワールドカップの招致活動から得られたものは、国と国、協会と協会の関係ではなくて、結局は個人と個人の関係、「あなたの言うことなら信じよう、投票しよう」と言ってくれる信頼関係を作ることの重要性です。

とはいえ人間関係というのはなかなか簡単にはできませんが、IRBの元CEOのマイク・ミラーからもらった良いアドバイスがあります。「これからは投票権を持った協会に1カ月に1回でいいから、何の用事もなくてもいいから電話してみなさい」と。「それは、人間関係をcultivateする(耕す)ということなんだ。何か頼むときだけ連絡するようじゃダメなんだ」と言われたんです。とても大事なメッセージだと思いますね。

じゃあそれをどうやって実践していくのかというと、やはり人間としての引き出しの広さがものをいいます。例えばパーティのような場では、多様な引き出しを持っていれば、絵が好きだ、映画が好きだ、音楽が好きだ、とどこかの話題でお互いがヒットする。話が弾むので友達になりやすいし、人間関係を作りやすいんですね。ラグビーのことしか話題がない人、実は私自身も私の友達もほとんど90%はラグビーしか話題がない人が多いんですけど(笑)、それではやっぱりダメだと。

それから、さらに「相手からどう見られているかということをいつも意識して相手にアプローチする」ということも大切です。私が指導で関わっている渋谷インターナショナルクラブでは、子どもに大人が普通の角度でパスすると、子どもにとっては巨人からパスが来ることになってしまう。いいコーチは自分の腰を下げて相手の目線でパスをするんです。相手から、どう見られているかということを意識しているから。

そうした観点から世界地図を見ると、やはりスポーツの中心はヨーロッパという歴史的背景は厳然としてあるわけです。そこを起点に眺めると「日本はFar Eastじゃないか、本当に大丈夫なのか」という懸念がどうしても生じてしまうことはわかります。「一生懸命アピールしたから大丈夫だろう」「なんで相手は自分のことをわかってくれないのか」で終わらせてしまうのではなく、まず相手の考え方を理解する、ということが大切です。

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質疑応答その1:国際社会に「刺さる」プレゼンの方法

以下、ここからは質疑応答および、神武氏・矢野氏とのパネルディスカッションをお届けする。一度失敗したプロジェクトを再起動させる方法、「伝説のプロジェクト」はいかにして始まるのか、頑張った物事の「やめどき」はいつなのか、といったトークテーマについて、神武氏・矢野氏も交えた貴重な経験談が語られた。

Q1:招致にあたって大変だったことが多数あったと思うんですけれども、その中でも一番心に残っていらっしゃることは何か、そしてそれをどのように乗り越えたかということを教えていただけますでしょうか。

徳増:文化が違う他国の人たちに、何をアピールしたら響くのかということを探っていくのが大変でしたね。例えばイングランドのラグビー協会にプレゼンテーションに行った時の笑い話があるんですけど、イングランド協会の会長が自国の理事たちに向かって「日本人は人前で鼻をかむのは失礼だと考えているから、この場では謹んでほしい」と話しました。「あと戦争の話は厳禁だ」と。

で、いよいよ全員揃ってプレゼンが始まるかと思いきや、一人イギリスの理事が遅れて入ってきて、チーンと鼻をかんだらほかの理事が青ざめてしまいまいした(笑)。そうしたら今度は森会長が戦争の話を始めた。ラグビーを愛していた自分の父親が、第二次世界大戦中にイギリス人の捕虜と日本人との間でラグビーを行う場を設けて、ラグビーを通じて友情の絆が生まれたという話だったのですが、その場で通訳をしていた私自身も、どうやったら伝えたいメッセージを正確に相手に伝えることができるか、全力を尽くしました。伝える側と伝えられる側のカルチャーの違いを知っておくことが大切です。

日本人の完璧主義も、プレゼンテーションはマイナスに働くことがあります。例えば「セキュリティはどうですか?」と言われた時に「今のところ90%確保できている」と言いがちです。「その10%で何かあったらどうしよう」と感じてしまうのです。ところが、プレゼンで勝つためにはまず「セキュリティは完璧です」と言い切るべきです。まず言っておいて後から考える、後からつじつまを合わせるぐらいのメンタリティでいかないといけないんですね。

質疑応答その2:一度失敗したプロジェクトをいかに再起動させるか

Q2:一度ワールドカップの招致に失敗してしまったあと、次もトライするためにステークホルダーたちとどのような調整をされたのでしょうか?

徳増:最初の招致活動は非常に孤独な活動でした。日本ラグビー協会の2階の小部屋で3人のスタッフによる招致事務局でした。周囲の人たちからも「あんなことやっても無駄だろう」と言われ、まるで中小企業の商品開発部みたいなものです。つまり、いま目の前にあるものに役に立たない。商品開発している財政的な余裕もない。そういう中で前に進めなければならなかった。

最初の招致には失敗してしまいましたが、これは明らかに次の招致活動への土台作りとなりました。たとえば、最初のころは名刺を差し出しても「どこの誰だろう?」という見方をされましたが、1回目の招致活動を通じて他国の理事たちがファーストネームで呼んでくれるようになりましたし、近隣のアジアの国々の皆さんが応援してくれるようになりました。

さっき話した「日本はこう見られているんだ」「だからこうしなきゃいけない」ということがわかった。そういう点では、招致活動が仮に失敗したとしてもやってみることに価値があると思うんですね。関わったスタッフたちが経験を積んで成長するということです。一方、日本協会自身も、自分たちがもっと実力をつけないと、世界では通用しないという考え方ができるようになりました。

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「伝説のプロジェクト」は大体その場のノリで開始が決まる?

神武直彦氏(慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科教授)

神武:最後の15分ぐらいはパネルディスカッションということで、ここからJAXA(宇宙航空研究開発機構)の小惑星探査機「はやぶさ」「はやぶさ2」のプロジェクトに携わり、この事業の講師もされている矢野創先生にも登壇いただきます。

矢島:ラグビーW杯招致と「はやぶさ」とを比べるというのはちょっと時間が足りないんですけれども、いずれにしても一番大事なのは当人の「なぜこれをやりたいのか」というモチベーションだと思うんです。2003年に招致を決意されたということですが、その部分をぜひ聞きたいです。

徳増:招致活動は日本ラグビー協会が理事会で決めたんですけれども、最初は本当に小さなきっかけだったんです。真下専務理事が2003年の正月のラグビーフォーラムで「将来はラグビーワールドカップを日本でやりたい」と言ったら、次の日に広告代理店が飛んできて、「本当にやるんですか!?」と尋ねてきました。

まだ理事会にも諮っていなかったので、私はあわててIRB(インターナショナルラグビーボード。ラグビーの国際統括団体でラグビーワールドカップの開催を司る機関)に電話して、「日本でもワールドカップ開催国に立候補できますか?」と聞いたところ、「できないことはない」という返答があったので、「IRBがOKだと言っていますよ」と言って盛り上げるという動きをしていました。私はワールドカップワールドカップを日本で開催する価値があると、もう日本のラグビーにはこれしかないと思ってしまいました。

矢野:ある種の瓢箪から駒ですけど、「その価値がある」というふうに周りの人が信じることができた駒だったということですね。

徳増:あと2002年の日韓サッカーワールドカップの成功も大きいですね。あのときに国中が一つになった感じがあり、日本はオリンピックもそうですけど、ほとんどの国際スポーツ大会を成功させていますし、「サッカーでできたんだから。ラグビーでもやろうよ」という気持ちがありました。

矢野:どうもありがとうございます。今の話で「はやぶさ」に戻すと、それに近いことを私の一回り上の先輩たちがやっていまして。きっかけとしては実は90年代初頭に日米共同で進めようとしていたあるプロジェクトが米国単独で進める方向に方針転換してしまって、会議の場で「アメリカがそうするなら日本はこれをやる」を言っちゃったという、「え、本当にやるの?できるの?」みたいな話になってというのがスタート地点なので、そこは同じだなと思って驚きました。

徳増:あまり計画するとかえってできないもので、勢いでやらないと。

矢島:確かに勢いというのはあるかもしれないですね。

質疑応答その3:頑張った物事の「やめどき」はいつなのか

矢野創氏(システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘准教授/JAXA宇宙科学研究所助教)

神武:今回は高校生の皆さんも聴講しているので、せっかくですからご質問をいただければと思いますけど、いかがでしょうか。

Q3(高校生):私はやりたくないことも義務感で続けてしまうことが多いんですけど、そろそろやめるべきかな…と思っても、周りから「コイツは根性ないな」みたいに思われるのがイヤで。こういう時はどうしたらいいでしょうか?

徳増:いろいろな取組みの中で「これは辛いけど、あれがあるから続けられるな」ということが往々にしてあると思うんです。それは続ける動機に十分なると思うし、一方で「もうこれは自分には向かない、やるべきじゃないことだ」という判断もどこかでやる必要があると思います。

「Life is too short to regret」という英語のことわざがあるんですが、短い人生で悲しんでいる時間はもったいないし、君の大事な時間を後悔することに使ってほしくないし、やりたいことがあったらそれを思いきりやった方が結果的にいい方向に向かうと思います。

矢野:「周りの人にこう思われるから」というのが自分の義務感になっちゃうことはとても悲しいかなと思って聞いていたんですけれども、一つ言うとしたら物差しを自分の中に持つというか、価値があるか無いかを周りに決められることは大人になるとどんどん増えてくるので、せめて高校生ぐらいのうちは自分の物差し、自分の羅針盤で決められる領域も死守した方がいいかなと思います。

質疑応答その4:前例のないプロジェクトで、いかに味方を増やすか

Q4:会社で新しいことをやろうとすると、力を持つ守旧派が道を塞ぎがちということがありますよね。それをどういう風にして乗り越えていく、あるいは味方に付けていったらいいのか、教えていただければと思います。

矢野:私が先輩たちからよく言われたことは、「味方をつくるのはとても難しいかもしれないけど、まずは敵をつくらないようにしよう」ということです。

味方を増やすということは結局ゼロサムゲームで、我々の場合なら限られた予算の中で「はやぶさ」よりも例えば宇宙望遠鏡を作ったほうがいいとか、別の科学衛星にしたほうがいいとか、そういう競争があるんですね。いわば「リンゴとミカンはどっちがおいしいの?」みたいな、ちょっと難しい競争をさせられるんですけれども、その場合「私はミカンが好きだけど、リンゴも嫌いじゃないよ」と言ってくれる人をいかに増やすかというところが一つあったと思います。

そして実際にプロジェクトを任されたら、確かに「はやぶさなんかダメだ」と言う人もたくさんいましたけど、それは結果を見せていくしかない。だから、絶対に諦めないで結果を出し続けることで黙らせていくというしかないということで、もしかするとスポーツの世界もそうかもしれないですね。

徳増:私の場合、ラグビーワールドカップの招致活動は、実は最後まであまり多くのみなさんから理解されていなかったのかなという印象もあります。みんながみんな賛成していたわけではなくて、「そんなことをやっても…」と言う人たちは最後までいましたね。でも、信じてくれる人を増やしていくために必要なのは、やはり担当している人たちの情熱だと思うんです。情熱を燃やし続けることが、最後には相手に伝わると思います。非常に簡単な言葉ですけれども、大切なことだと思います。

神武:どうもありがとうございました。残念ながら時間が来てしまいましたので今日は1時間半、短い時間でしたけれども、どうもありがとうございました。ワールドカップは終わりましたけれども、2020年は東京オリンピックもありますし、いろいろこれからフロンティアプロジェクトというものが進んでいくところもありますので、今日、何か皆さんに少しでも知見が入るということになっていればうれしく思います。

徳増先生、そしてパネルディスカッションに参加いただいた矢野先生、どうもありがとうございました。

* * *

今回、記事本編内では紹介できなかった、徳増氏のウェールズ留学時代のエピソードを最後に一つご紹介したい。

同氏が出場した試合で、ラグビーの試合で負けたあと、シャワールームでチームメイトから「Did you enjoy today’s game?」と言われた。それから一週間後、ウエイトルームで黙々とバーベル上げに励んでいた時、別のチームメイトから「Did you enjoy your weight training?」と声をかけられたという。

悔しい負け試合や、苦しいウエイトトレーニングをなぜ「エンジョイ」できるのか。徳増氏はずっと疑問に思っていたそうだが、ある時ハッと「エンジョイとは、夢中になる、力を出し切るということなんだ」と気づいたという。

日本で「持てる力をすべて使って…」というと、何かを犠牲にすることも厭わない精神論のイメージもちらつくが、もちろんそれでは「エンジョイ」できないだろう。前例のないプロジェクトを成功に導いた人たちは、すべからくこの「エンジョイ」ができていたはずだ。

自分がいま目の前の「やるべきこと」をどれだけエンジョイできているだろうか、できていないとすれば、どうやればそこに到達できるのか、改めて思い起こさせる逸話だった。

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