越乃リュウ「ずっと追いかけてきた大きな背中。最初に憧れた人は天海祐希さん、お兄さん的存在は大空ゆうひさんだった」

2024年5月1日(水)12時30分 婦人公論.jp


写真提供◎越乃さん 以下すべて

100年を超える歴史を持ちながら常に進化し続ける「タカラヅカ」。そのなかで各組の生徒たちをまとめ、引っ張っていく存在が「組長」。史上最年少で月組の組長を務めた越乃リュウさんが、宝塚時代の思い出や学び、日常を綴ります。第72回は「追いたい背中」のお話です。
(写真提供◎越乃さん 以下すべて)

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前回「宝塚を退団、燃え尽きていた私を癒してくれた自然の力。スマホの写真で、7年前訪れた新潟県の法末を思い出す」はこちら

私の背中


「越乃さんは背中が大きいねー」
後ろから私の背中を見ていたピアニストさんが驚いたように言いました。

え!?そうなの?
私そんなに大きいの!?
小さいとはもちろん思ってないし、大きいのはある程度知ってるつもりだけど、そんなに驚かれるほど!?

「いや、あなたの背中は相当大きいですよ」

相当大きいのか…。

大きな背中は時に誉め言葉にもなりますが、私の場合は幅、面積、大きさです。
退団して普通の女性に戻ったつもりでいたので、なんだかショック…。
自分が思っている以上に大きいとは…。

この話をいろんな人にしたところ、全員が全員「何をいまさら言ってるんだ」という呆れた顔をして私を見ました。
さらに複雑な心情です。

最初に憧れた人は天海祐希さん


宝塚時代、男役は背中で語るとよく言われていました。
男役10年と言われるほど、一朝一夕では出来ないのが男役です。
私も先輩たちの背中を見て育ちました。
憧れて追いかけた背中がたくさんありました。

私が宝塚に入って、月組に配属された時のトップスターさんは天海祐希さんでした。
最初に憧れた人は天海さんでした。
雲の上のトップスターさんなのに、下級生のところにきて何気ない会話をしてくれたり、さりげなくアドバイスをしてくれたり、なんて気さくな方なんだろうと下級生ながらびっくりしていました。
おおらかでポジティブで、こういう人になりたいと思って見ていたかっこいい背中です。
組配属をして最初のトップさんだったので、強く印象に残っています。

それからもたくさんの先輩達の背中を見て学びました。
先輩だけではなく、見習いたいと思う後輩達もたくさんいました。
何でも器用にこなしていた娘役さんは、いつも残って稽古をしていました。
そういう姿を見て、一緒に稽古をするようになったり、上手なコミュニケーションの取り方も後輩に学びました。
後輩達にもたくさんのことを教えてもらいました。

ずっと追いかけていた広い背中


背中の大きい私が、広い背中だと思って見ていた背中がありました。
それは、大空ゆうひさんです。

ゆうひさんは私より学年が一つ上ですが、下級生の頃から随分仲良くしていただきました。
仕事でもプライベートでも本当にお世話になり、たくさん遊んでもらい、たくさん教えてもらいました。

ゆうひさんが組み替えになったときは、自分にとっての大事なお兄さんがいなくなるようでとても寂しく、
ゆうひさんの月組最後の小劇場公演『HOLLYWOOD LOVER』で初めて組長を務めた私は、泣きながらボロボロな挨拶をした記憶があります。
あんなにボロボロだったのは後にも先にもありません。

学年が上がってきたとき「これからはあなたがキーパーソンになるんだから」と言われ、
「えー、何で私が!?」と言い返したことを覚えています。
自分なんかがそんな事は出来ないと、自信なんて全くなかった頃。
「頑張れるよ」と背中を押してくれたゆうひさんの言葉は、ずっと自分の中に残っていました。
何も考えず甘えまくっていた後ろ向きの自分に、気付きと気合いを入れてくれた大切な人。
その広い背中を見ながらずっと追いかけていました。
本当にたくましい広い背中でした。

背中を見て育ち、その背中を誰かが追いかける


誰もが誰かの背中を見て育ち、その背中をまた誰かが追いかける。
そうやって紡いできた110年の歴史。

私の背中も、誰かが見てくれていたのでしょうか?
いろんな経験が自分を作っていき、小さな背中はたくましく育ちました。

先日オーダースーツを作りました。
サイズ感を見るために試着したジャケットとパンツは、メンズサイズでジャストフィットでした。
お直しは全く必要なく、採寸をしてくれた店員さんも驚いた顔をしていました。

どうやら私は相当大きいようです。

婦人公論.jp

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