公園管理者も「見たことなかった」 茂みの中から出現した「謎の石像」が話題に→その正体を突き止めてみた!

2022年5月2日(月)18時0分 Jタウンネット

川崎市麻生区の多摩美ふれあいの森と、麻生区市民健康の森に隣接している「多摩美(たまみ)公園」。自然豊かで穏やかな時が流れるこの公園が、ある石像の存在によって揺らいだ。

こちらはツイッターユーザーの町田メガネ(@machidamegane)さんが2022年4月26日に投稿した写真地面からひょっこりと顔を出している穏やかな表情をした石像が、問題のものだ。

石像の右側に設置されている立て看板には、こんな言葉が書かれている。

「先日、この場所の整備を行いましたところ、下記の石像が現れました。この石像について何かご存じの方がおられましたらお教え頂きたく。何でも構いませんので、ご協力の程よろしくお願い致します」

つまり、なぜこの場所にあるのかわからない謎に包まれた石像が、現れたというわけだ。

令和の世においてそんなミステリアスな石像が出てくるとはにわかに信じがたい......。そこでJタウンネット記者は4月27日、公園の管理を行う「麻生多摩美の森の会」の田中肇会長に話を聞いた。

珍しい「石」で出来ている...?

田中会長によると、石像が発見されるきっかけとなったのは、通りすがりの人からの問い合わせだったという。

「数か月前に通りすがりの方が、公園にある石像は何なのかと麻生区役所の方に問い合わせをしたそうです。それがきっかけで、公園の管理をしている我々のもとに区役所から『知らないか』と連絡が来ました。
ただ、私たちも見たことない石像でしたし、誰も知らないものだったんです」(田中会長)

田中会長らは問い合わせを受けて捜索を開始。すると、茂みの中で石像を発見したそう。

その後、石像の周囲を刈り込んできれいに整備して、見えやすい状態に。そして、看板の設置やFacebookページを通じて情報提供を求めた。

こうした動きによって、田中会長の元には有力な情報も集まってきて......。

「色々と問い合わせがあったのですが、石像は東京・新島のコーガ石(編注:イタリアのリパリ島と新島でのみ産出される世界的に珍しい石)で作られたものではないか、との情報がありました。私も調べたのですが、似たような石像が竹芝桟橋にあったので、それなのかなと。
ほかにも、私たちと同じく麻生区で保全活動を行う多摩美みどりの会の初代会長・小林イチロウ(漢字不明・故人)さんが40年ほど前に自宅から公園に持っていく様子を見たとの情報もありました。
また、石像は元々、道路沿いの見えやすいところにあったようですが、後から移動したとの話も耳にしています」(田中会長)

田中会長から聞いた話をもとに同日、Jタウンネット記者は新島村の産業観光課の担当者に取材を行った。

作者の孫を直撃!

新島では、コーガ石を使った工芸品「モヤイ像」を各地に寄贈していたことがある。多摩美みどりの会の小林さんも、そうやって石像を手に入れたのだろうか。新島村の産業観光課の担当者は記者の質問に、以下のように答える。

「村から寄贈したモヤイ像は全国に13体あります。データを探してみましたが、川崎の方には送っていないです。正式に村から贈られたものではありません」

村から寄贈されていないとなれば、どこから仕入れたのか——筆者が頭を抱えていると、担当者はこんな情報を聞かせてくれた。

「モヤイ像は個人のアーティストの方の手で作られていて、その方が自分の店で販売していた可能性があります」

そのアーティストとは大後友市さん(故人)だ。モヤイ像の考案者であり、渋谷のモヤイ像を作った人物でもある。そこで筆者は4月27日、大後友市さんの孫である植松創さんにツイッター経由で石像について質問してみた。すると、こんな回答が。

「本物で祖父が作ったものに間違いなさそう」

では、新島村の産業観光課の担当者が言うように、大後さんが小林さんにモヤイ像を販売していた、という可能性はあるのだろうか。植松さんは「当時は個人の依頼も有償で何件か引き受けたと聞いておりますので、もしかしたらその中に小林さんもいたのかもしれません!」と教えてくれた。

つまり約40年前、小林さんは大後さんから購入した石像を多摩美公園に設置した。それは当初、道路沿いの見えやすい場所にあったものの、何らかのきっかけで茂みの中に移動することに。その後石像は人知れず佇んでいたところを、通りがかりの人によって「再発見」された——のかもしれない。

ある日突然脚光を浴びることとなった石像。今後、公園を訪れる人に愛されるスポットになっていくかもしれない。

Jタウンネット

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