母と息子・父と娘「異性の親との入浴」を絶対やめるべきタイミングとは? 同性だからOK、ではない理由
2022年5月2日(月)18時16分 マイナビ子育て
子どもの混浴問題はよく取りざたされますが、では家庭内はどうでしょうか。
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今回は異性の親子の入浴について、約7000人分の男性器を診察したママ泌尿器科医・岡田百合香先生の著書(『泌尿器科医ママが伝えたい おちんちんの教科書 0才からの正しいお手入れと性の話』誠文堂新光社刊)より解説をお届けします。
子どもとの入浴 いつ頃までOK?
母と息子、父と娘という異性の親子の入浴は、何才までなら許容されるのか。
明確な線引きが意外と難しいこの問題ですが、「そうなったときは絶対にもうやめるべき」というタイミングは存在します。
それは、子ども自身が違和感や恥ずかしさ、抵抗感を感じはじめたとき。
このとき、親側が「さみしいよ〜」「ませちゃって」などと、引き止めたり冷やかしたりするのは絶対にやめましょう。子どもの変化を見逃さず、気持ちを尊重してください。
また、母と娘、父と息子であっても、子ども側が「もう親に裸を見せたくない」という気持ちをになる時期や程度には個人差があります。「同性だからいいじゃん!」ではなく、子どもの羞恥心を大切にしましょう。
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「体の変化が始まったら」が目安
※画像はイメージです
では、子どもに抵抗感がなさそうなら、ずっと一緒に入り続けてもよいでしょうか?
答えはNOです。基本的には、体の変化が現れる第二次性徴が始まった後は、異性の保護者との入浴は避けた方がよいと考えます。
第二次性徴の起こる思春期は、心身ともに大人へ、自立へと向かう時期です。この時期に、「あなたの体、特にプライベートゾーンはあなただけのもの。たとえ家族であっても線を引いて尊重すべき」というメッセージを明確に伝えることが重要だと考えるからです。
日本の家庭おける入浴には「清潔」と「癒し」の2つの目的があります。後者は日本独特の文化でもあり、一緒に遊んだり話したりといったコミュニケーションの役割もあるため、なかなか親子バスタイムを卒業しにくいのでしょう。
ただ、プライベートゾーン教育においては家庭内の実践が非常に重要です。「家族だから」「おふろだから」という例外を簡単につくるべきではありません。
そのように考えると、「体の変化が始まったら、同性・異性にかかわらず、家族間のおふろタイムは入浴着を使う」といった、新しい習慣も模索していけるといいなと思います。
また、小学生以上では学校や習い事でも着替えの際に男女で部屋を分けるのが基本になってきます。「着替えやトイレでプライベートゾーンを出す必要があるときは、異性の人には見せないようにするのが社会のルールだよ」という点を伝えましょう。家族構成や住宅事情にもよりますが、家庭内でもこのルールを可能な範囲で運用できるとよいですね。
じゃあ親子での銭湯は?
では家庭の外のおふろ、銭湯などの公衆浴場ではどうでしょう。
実は少し前までは、自治体によって「混浴の年齢制限」は大きく異なっていました。
しかし、2020年に厚生労働省が公衆浴場での混浴を規制する年齢を、それまでの「おおむね10才以上」から「おおむね7才以上」に改正。これを受けて全国でも上限年齢の引き下げが進んでいます。今後は全国的に「小学生以上(は異性の浴場に入れない)」がひとつの混浴制限の目安になると思います。
ただし、おふろ場は子どもにとって危険な場所でもあることを忘れないでください。毎年多くの子どもが家庭の浴槽で溺れて死亡しています。
子どもは静かに溺れていきますから、大人が一瞬目を離した間に……というケースは珍しくありません。未就学児のお子さんが入浴する際には、保護者が常に無事かどうか意識してください。公衆浴場でも年齢制限に引っかかるからといって、小学校低学年のお子さんを一人で入浴させるのは非常に危険です。
ちなみに、日本の公衆浴場文化は、プライベートゾーン指導との折り合いがすごく難しい側面があります。「プライベートゾーンは大事なところなので自分以外の他者に見せない」を前提とする性教育と、同性とはいえ赤の他人に裸を見せる公衆浴場空間は明らかに矛盾してしまうからです。
性器のあたりをタオルで隠してもおしりは丸出しになるし、湯船にタオルを入れるのはマナー違反だし……。「同性同士であっても裸を見せたくない」人もいるでしょうから、プライベートゾーンを隠せる入浴着が選択できるようになったらいいなと思います。
✅ まとめ>>>異性の子と一緒の入浴は第二次性徴前まで子どもの抵抗感や羞恥心をからかうのは絶対NG
『泌尿器科医ママが伝えたい おちんちんの教科書 0才からの正しいお手入れと性の話』(著:岡田 百合香、誠文堂新光社刊)より一部抜粋、再編集