『渋沢栄一が転生したらアラサー派遣OLだった件』を書いた理由。フランス革命前夜みたいな時代、生きづらさを打開する方法は「渋沢栄一」にあった
2025年5月7日(水)12時30分 婦人公論.jp
イメージ(写真提供:Photo AC)
「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。2024年7月3日から発行されている1万円札の顔に選ばれ、NHK大河ドラマ『青天を衝け』のモデルにもなりました。著書の『論語と算盤』では、ビジネスと道徳心の在り方を説き、今なお多くの経営者に読み継がれています。もし渋沢栄一が、現在に転生したら…。そんな視点から描かれた、日本アカデミー賞「優秀脚本賞」を受賞した三浦有為子さんによる『渋沢栄一が転生したらアラサー派遣OLだった件』。なぜ転生系の題材に渋沢栄一を選んだのか…。アラサーOLになった渋沢栄一から学ぶ、現代を生きるヒントとは。
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世代を問わず「生きづらさ」「息苦しさ」を感じている
現代の日本に生きる人たちは、世代を問わず「生きづらさ」「息苦しさ」を感じているのではないかと思います。幸福を感じる事が難しいという方も多いのではないでしょうか?
いや、そんな事はないという方もいらっしゃるでしょう。羨ましいです。
ですが、少子化がどんどん進み、その少ない子どもたちの自殺率は過去最高。そんな時代が生きやすい素晴らしい時代、ましてや「楽しい日本」だとは自分にはとても思えないのです。「まるでフランス革命前夜みたいな時代を生きる事になるなんてね」とここ数年ずっと話しています。
フランスの人々は命がけで革命を起こしたけれど、日本の我々はどうするのか? 「賃金があがらないなら、NISAをやったらいいじゃない?」とは、さすがに言われてはいないけれど、いやいや、普通に働いて普通に暮らしていけない社会の方がおかしいでしょう? 一方で、日本は富裕層がとても多い国でもあります。普通に働いても普通に暮らせない庶民と富裕層の違いは何なのか?
「近代日本経済の父」
そんな事を思っていた時に、渋沢栄一(敬称略)に出会いました。
数年前の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公。そして新1万円札の顔として知られる人物。数百もの企業を興した偉人。またの名を「近代日本経済の父」
イメージ(写真提供:Photo AC)
この肩書だけをみた時は、自分が「渋沢栄一」に対して興味を持つようになるとは思っていませんでした。「経済」を動かす人は「お金」を動かす人。多くの資本家たちがそうであるように、渋沢もまた「財産」を増やす技術にたけた人、そしてその技術や知識がない人たちに対して「自己責任」「努力が足りない」と見下しているような人物ではないかと先入観を抱いていたのです。そう思ってしまったのは、貧乏人の僻(ひが)みもあると思います。ですが、渋沢栄一はそのような僻みも吹き飛ばすスケールの大きな人間でした。
「私は論語で一生を貫いてみせる」
そのように言い切り、『論語』を人生の指南書とした渋沢栄一。『論語』は漢文の時間にやった「子曰く……」というアレ。中国の有名な哲学者・孔子の教えを説いたものです。というと、ちょっと難しいような気もしますが、その中にあふれる渋沢の言葉は、現代の私達にも心に響くものばかりです。
「一人だけ富んでそれで国は富まぬ」
専制主義(編集部注:特定の個人が権力を持つ体制)をよしとした岩崎弥太郎(注:三菱財閥の創始者)に対して、渋沢栄一は合本主義を貫きました。合本主義とは「多くの人から出資を集め、利益を分配すること」。まあ、資本主義ですが、渋沢は合本主義という言葉を好んだようです。
もしも渋沢栄一が現代の女子教育の実情を知ったら?
この言葉に代表されるように、渋沢は「個人の富」ではなく、「国の豊かさ」を常に意識していたように思います。その一つが「教育」であり、多くの学校の設立に関わっています。女子教育にも大変に力を入れていました。
この事実は、渋沢の100年先を生きる女の一人である自分にもガツンと響きました。先人がせっかくこのように道を切り開いてくれたわけですが、1973年生まれの私が幼い頃はまだ「女が大学なんか行く必要はない」と言っている人も多くいました。私が四年制大学に進学した90年代初頭も「かえって就職し損ねるよ」と面と向かっていう親族もあり、実際、就職氷河期世代だったのでそうなりました(高卒か短大卒で就職していれば、ギリギリ、バブルに乗れる年齢だったのも皮肉なところです)。
話がそれましたが、もしも渋沢栄一が現代の女子教育の実情を知ったら、そして、高い教育を受けながら様々な理由で活躍の機会を狭められている女性たちの姿を見たらどう思うのだろうか? というか、もしも、渋沢がそういう女性の一人だったら、どうやって道を切り開くのか? そんな思いが拙著『渋沢栄一が転生したらアラサー派遣OLだった件』(以下、『渋沢栄一が〜』)に繋がっていったように思います。
『渋沢栄一が転生したらアラサー派遣OLだった件』(出版:クロスメディア・パブリッシング(インプレス))
『渋沢栄一が〜』は働き盛りの渋沢栄一が酔って頭を打った事をきっかけに、現代の埼玉で派遣OLとして受付嬢を勤める女性に転生する物語です。内容については、ご一読いただけたら幸いですが、「こんなの夢物語。小説の中だけの話だ」と思う方も当然いるでしょう。ですが、渋沢はこうも言っています。
「夢七訓
夢なき者は理想なし。
理想なき者は信念なし。
信念なき者は計画なし。
計画なき者は実行なし。
実行なき者は成果なし。
成果なき者は幸福なし。
ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。」
私は冒頭の文章で「幸福を感じることが難しい」と書きました。でも、そういう時代だからこそ、「夢」を見る力が必要なのだと思います。きれい事ではなく。
渋沢栄一の原動力
渋沢も夢があったからこそ、多くの事業を興し、そして、夢を次世代に伝えたかったからこそ、教育に力を入れたのではないかと信じます。渋沢は大変な篤志家でもあり寄付や慈善活動にも積極的でした。皆さんがよく知る話として、恋愛体質で多くの子どもを残した……という艶聞もありますが、それも含めて、人を愛する気持ち、人を思う気持ちが凡人よりもはるかに強かったのではないかと感じます。自分を訪ねてきた人全てと面会して、話をしたという逸話もあるほどです。
また、現代は「革命前夜」だと先ほど書きましたが、実は江戸時代、渋沢も尊王攘夷運動に傾倒し、開国に反対して革命を起そうとしたことがあります。実際にはその計画は中止されましたが、革命を夢見る情熱も、また渋沢の原動力であったのではないかと思います。
だとしたら革命を起せない代わりに、この本を書く事が自分にできる精一杯だったのではないかと思います。え? 小さすぎる? 申し訳ない。でも、渋沢はこうも言っています。
「世の中には随分自分の力を過信して非望を起こす人もあるが、あまり進むことばかり知って、分を守ることを知らぬと、とんだ問違いを惹き起こすことがある。私は『蟹は甲羅に似せて穴を掘る』という主義で、渋沢の分を守るということを心掛けている」
これを理由に渋沢栄一は大蔵大臣のオファーを断ったそうです。ますます小さな話ですが、三浦は三浦の分を守り、文筆を続けていければと思います。
拙著との出会いが、読者の皆様にとって、小さな三浦とではなく、偉大なる渋沢栄一との出会いと会話のきっかけになりましたら幸いです。