かつて理想とされていた「一汁三菜」。時代が移り、家族も社会の形態も変わった現代では難しい?改めて「一食あたりの品数」を考えると…
2025年5月8日(木)12時30分 婦人公論.jp
(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
厚生労働省が発表した「令和元年 国民健康・栄養調査」によると、週1回以上外食を利用する人の割合は20代が最も高かったそう。若い世代を中心に自炊をしない人が増えているなか、今回は、ミニマリスト・佐々木典士さんと自炊料理家・山口祐加さんが、「自炊の壁」ひとつひとつを言語化し、その解決策を練った共著『自炊の壁 料理の「めんどい」を乗り越える100の方法』から一部を抜粋し、<自炊を楽しく続けるコツ>をお届けします。
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一汁三菜はもうムリ?
佐々木 現代の生活にフィットする献立って、どういうものなんだろうって思うんです。献立には、一食ごとでの品数の問題と、毎日のバリエーションがどれぐらい違う必要があるのかという、2つの側面がありますね。
品数の問題でいえば、かつて理想とされていた一汁三菜は、さすがにフィットしなくなってきているように思います。少し歴史を遡ってみると、戦前は農家が多かったから米も野菜も各家庭で作っていた。そして薪を割って、かまどで火を焚いたりして、料理に取りかかる前の段階で、手間がめちゃくちゃかかっていたんですよね。
それが60〜70年代あたりの高度経済成長期になると食材を作るのではなく、スーパーで買うことで豊富な食材が手に入るようになった。夫は農業をするのではなく、会社に行くようになって、子どもも学校や塾で忙しくなる。
以前、飯炊きは子どもの仕事でもあったようですが、主婦が単独でやるものになった。家庭内で分業が進んだから、より複雑なこともできるようになって、会社帰りの疲れた夫を和洋中の多彩な料理で出迎え、もてなすことが主婦の役割になったという。
山口 豊かになった証拠ではあると思います。それまでは味やバリエーションを楽しむんじゃなくて、本当に生きるために食べていたと思うんですよね。
時代が移り、家族も社会の形態も変わった
佐々木 ご飯にめざし、梅干しやたくあんだけ、みたいな献立は、すごく長い時代続いていたんだろうなと思います。
山口 あとは家で作った味噌と野菜でお味噌汁を作るぐらい。すぐそばに「食べられない」があったわけだから、それで充分ありがたかったと思います。
佐々木 それが素材も知識も入ってくるようになり、時間もできたから、たくさんの種類の料理を「作れてしまう」環境になった。そこからまた時代が移り、家族も社会の形態も変わったのに、料理に関しては、高度経済成長期のクオリティ、一汁三菜のような献立への期待が残っているのがしんどいということなんだと思います。
山口 現在家庭料理と呼ばれているものは、そもそも料理学校に通って習うような人たち向けの高度なもので、好きな人が趣味的に始めたものだったんですよね。でもそれが家族団らんが良しとされた時代に、「家族への愛情の証しとしてみんな作りましょう!」という強制力のあるものになった。そういう価値観が昭和の時代に作られてしまったんですね。
日本は本当に「日本人だらけのコミュニティ」で、日本人にしかわからないような高度な文脈で、すごく悩んでいるなと思います。たとえば「お弁当は冷凍食品でもいいから、何種類もおかずを入れるべき」という議論。お弁当で「2品だけ?」みたいな目線が気になるとか。別にしょうが焼きと、ミニトマトだけで充分じゃん、と思うんですけど。
佐々木 日本で花開いた豊かな家庭料理は、特別に恵まれた時代状況で成立していたということ。それが可能だった世代も、現行世代に自分たちが特別な状況下でできていたことを、押し付けてはいけないのかもしれません。そしてもう時代が変わったということは、作る人だけじゃなくて、料理を食べさせてもらう人も認識しないといけないでしょうね。
現代にフィットする品数とは?
佐々木 現代にフィットする、一食あたりの品数の、具体的な提案ができたらと思います。山口さんはどんな風に品数を考えてますか?
山口 私は基本的に米ベースの食事なんです。そして米にはおかずが必要ですよね。
(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
佐々木 炊いた米だけを食べることはなくて、米には何かが必要。確かにそうですね。
山口 納豆とか、ふりかけのようなご飯のお供もありますけど、まずは米に合うメインを作ることを考えます。そうするとお肉の炒め物みたいなものになる。そのメインでご飯を食べることができるから、サブの一汁か一菜はご飯に合わなくてもいい。だからお浸しとか、サラダみたいなものが作れる。もしメインの中に野菜が含まれていれば、栄養的にもそれだけで一食は成立すると思います。
佐々木 ほとんどの日本人は米を主食にしているわけだから、かなりの人に当てはまる考え方かもしれません。ぼくもその「メイン+副菜(一汁or一菜)」ぐらいが続けていても苦ではないなと思いました。献立を考えるうえでも、料理の工程のうえでも。あったらでいいけど、それに作り置きや、調理せず出せるキムチや漬物なんかを加えてもいい、という感じです。
山口 私も以前は一汁一菜に縛られすぎて、汁物がないとダメという気持ちだったんです。でも海外の自炊を巡る旅に出たら、献立なんて何でもいいんだと思えて、ご飯と炒め物だけでも満足できるようになりました。イタリアだと、ピザで終わり、パスタで終わりということも普通にあります。それで全然困らないんですが、なぜか炊いた米があるとその周りに小鉢を置きたくなる。不思議です。
佐々木 ランチが麺だけでも悪くないし、朝食はトーストとコーヒーだけがいいという人もいますよね。夕食としてもの足りなく見えない品数ということですかね。白いご飯と、焼いたステーキだけで野菜がまったくないと、不思議ですけどパッと見て献立として成立しているように見えないですよね。
山口 単に見慣れていないということもあると思います。日本人は、きちんとした定食スタイルが好きですよね。でも献立の発想がない人も海外には多いと思います。
学校給食の影響も大きい
佐々木 学校給食も日本人の献立観に影響しているのかなと想像します。給食は、毎日メニューは違うし、品数も多くて、栄養も考え尽くされて作られている。それを食べて育った人が、豊富なバリエーションや、品数の多さに見慣れることで、家庭料理にも影響を与えたんじゃないかと思うんですよね。
山口 給食の品数と一般家庭の品数は影響しあっていると思いますね。日本人が定食に愛着が湧いて、家庭でも同じようなものを望んでしまうのも自然かもしれません。たとえば、フランスの給食は家庭と同様、前菜(あるいは乳製品)・メイン・デザートという構成。しかも、ちゃんと順番に食べるそうです。チーズはもちろんフランス産の銘柄チーズ。家庭でもコースで食べるスタイルが残っていたりして、フランス人にとても馴染みのあるスタイルなんだと思います。
佐々木 日本は喫茶店ですら、本当にメニューの選択肢や品数が多いですよね。そういう外食や給食、過去に特別に恵まれた時代の献立観を客観視して、無理のない品数を、新たなスタンダードにしていく必要があるでしょうね。
※本稿は、『自炊の壁 料理の「めんどい」を乗り越える100の方法』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。