大人のインフラ紀行 第17回 “石”の歴史と記憶が眠る、巨大な地下空間へ―― 栃木・大谷資料館を訪ねて
2025年5月8日(木)11時30分 マイナビニュース
インフラツーリズムとは、公共施設である巨大構造物のダイナミックな景観を楽しんだり、通常では入れない建物の内部や工場、工事風景などを見学したりして、非日常を味わう小さな旅の一種である。
いつもの散歩からちょっと足を伸ばすだけで、誰もが楽しめるインフラツーリズムを実地体験し、その素晴らしさの共有を目的とする本コラム。今回はかつての大規模採石場、栃木県の大谷資料館を訪ねた。
栃木県宇都宮市の西部に位置する大谷町に車で入ると、目に飛び込んでくるのは、思わず「おお」と声が出てしまうほどスケールの大きな岩山が連なる景観。山そのものがごっそり削られたような崖の、岩肌に残る切削跡が印象的で、とても不思議な感じだった。
この大谷の地は、“大谷石(おおやいし)”という特産石材で知られている。
大谷石は加工がしやすく、見た目も独特の風合いがあって美しいことから、長く建材として親しまれてきた。町のあちこちには、かつての採石産業の名残が点在しており、この土地の歴史を無言で伝えてくれる。
○現在も続く大谷石の採掘とその変化
日本列島の大半が海中にあった約1,500万年前の火山活動によってできたとされる大谷石は、灰色をベースにほんのり茶・緑がかった淡い色合いで、あたたかみのある風合いが特徴だ。
この石は、火山灰や軽石などが積もり、長い時間をかけて固まった「凝灰岩(ぎょうかいがん)」の一種。手で持つと、他の石とは違う独特の軽さと粗さ、やわらかさを感じる。
加工がしやすく、彫刻の材料や建材として扱いやすいため、明治から昭和初期にかけて、住宅の塀や門柱、教会や学校、蔵の外壁、記念碑などに多く用いられたという大谷石。風雨にさらされると表面が少しずつ風化し、角が取れてやわらかい印象になっていく。脆さという短所を逆手に取る、そうした経年変化こそが大谷石の魅力である。
レトロな印象の大谷石だが、今も採掘は続いている。ただし、活況を呈していた時代と比べると、その規模はずいぶんと控えめになっている。背景には、建材の多様化や、より安価な外国産石材の流通、さらには採掘によって損なわれる景観や環境への配慮といった事情がある。
現在の採掘は、かつてのような地表を大きく削る露天掘りではなく、地下を掘り進める方法が主流。石材業者たちは無理のないペースでていねいに石を掘り出し、住宅の外壁や門柱、インテリア素材として、今も続く需要に応えている。
○地下神殿のような巨大な空間を歩く
そんな大谷石の歴史と文化をまるごと体感できるのが、今回訪れた大谷資料館だ。ここは、かつての大規模な採石場をそのまま活かしてつくられた施設で、地上から地下30メートルほど降りた場所に、広さ約2万平方メートルにも及ぶ巨大空間が広がっている。
受付を抜けて階段を下ると、ひんやりとした空気が頬に触れる。足を踏み入れたその先には、言葉を失うようなスケールの地下空間が現れた。
天井は高く、壁はきれいに垂直に切り取られ、石の肌が静かに光を受けている。控えめな照明が空間に陰影を与え、その荘厳さをより際立たせている。
この場所でかつて、どれほどの人が石を掘り、どれほどの石が地上へ運ばれていったのだろうか。過去の営みに思いを馳せずにはいられない。
まるで地下神殿のような大谷資料館の地下空間は、映画やテレビ番組、ミュージックビデオなどの好ロケ地としても知られ、コンサートやアートイベントなどにも利用されている。音の反響や空間の迫力が、表現の幅を広げる場所として注目されているのだ。
資料館の一階では、当時使われていた採掘道具や写真、図面なども展示されており、現場で働いていた人々の姿や、技術の変化を知ることができる。
○その価値が見直されている大谷石
古墳時代から石棺の材料などとして使われていたという大谷石だが、産業規模での本格的な利用開始は明治期からで、大正・昭和初期には建築資材として全国で使われるようになった。
特に関東大震災後の復興では、その耐火性と扱いやすさが評価され、数多くの建物に採用された。帝国ホテル旧本館(ライト館)や、宇都宮の松が峰教会、鎌倉の神奈川県立近代美術館旧館などに用いられた大谷石の存在は、日本の建築史のなかで光を放っている。
近年ではそのレトロな質感が見直され、庭の石材や店舗の内装などに使われることも増えているという大谷石。大谷石を使った新しい建築やアートのプロジェクトも増えており、その魅力は改めて見直されている。素材としての美しさはもちろん、その背後にある物語や記憶が、今の時代の感性とも響き合っているようだ。
訪問から数日が経った今も、ときおりあの地下で吸い込んだ冷たい空気の質感が、鼻腔の奥にふとよみがえる。石に囲まれたあの空間は、人工物でありながらどこか自然の洞窟のようでもあり、そこに身を置いていた時間は、身体の感覚がほんの少し日常とずれていたような気がする。
空間としての魅力に加えて、大谷資料館の背景にある地質や建材としての歴史性に触れられたのは予想外の収穫だった。足を運ぶ前と後で、石材という存在の見方が少し変わった気がする。
佐藤誠二朗 さとうせいじろう 編集者/ライター、コラムニスト。1969年東京生まれ。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わり、2000〜2009年は「smart」編集長。カルチャー、ファッションを中心にしながら、アウトドア、デュアルライフ、時事、エンタメ、旅行、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動中。著書『ストリート・トラッド〜メンズファッションは温故知新』(集英社 2018)、『日本懐かしスニーカー大全』(辰巳出版 2020)、『オフィシャル・サブカルオヤジ・ハンドブック』(集英社 2021)。ほか編著書多数。新刊『山の家のスローバラード 東京⇆山中湖 行ったり来たりのデュアルライフ』発売。
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