「妻へのがん余命3か月の宣告」に直面したやなせたかしが、「暢(のぶ)のためにまだやれることがある」と覚悟を決めるまで
2025年5月9日(金)7時0分 文春オンライン
〈 「肝臓にも転移しています」妻のがん発覚と余命3か月の宣告… やなせたかしが誰にも言えなかった“不安と後悔” 〉から続く
NHK連続テレビ小説『あんぱん』は、“アンパンマン”を生み出したやなせたかし(北村匠海)と小松暢(のぶ・今田美桜)の夫婦をモデルに、二人の人生を描いている。ノンフィクション作家の梯久美子さんによる 『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』 (文春文庫)から一部を抜粋。1988年、“最大の危機”ともいえる「妻への余命3か月の宣告」を夫婦はどう乗り越えていったのか。(全2回の2回目/ 前編 から続く)

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初めて会ったころから暢にはびっくりさせられることばかりで、そのたびに胸がドキンとした。自分がまったくやらないことをするからこそ、嵩は暢が好きなのだ。
嵩はやりたい仕事を思う存分やり、暢は暢で好きなことに熱中する。ふたりはそんな夫婦だった。嵩は「これからこんな作品を描くよ」と暢に言わないし、暢も聞くことはなかった。
けんかをしたことは一度もない。おだやかな性格の嵩は、暢に対して怒ったり、大きな声を出すことは決してなかった。
嵩はマンションの3階の部屋を仕事場、6階の部屋を自宅にして、公私を完全に分けていた。暢は嵩の仕事の関係者とのつきあいはせず、表に出ることはまずなかったが、がんが発覚する前に、めずらしく新聞と雑誌の取材を受けている。その際、嵩についてこう語った。
「根っから、やさしい人なんですね。草花にも生き物にも」
「なんていうんでしょうね。ただ気がやさしいとかの程度じゃないんです。ちょっと標準をはずれるくらい。虫も殺せないところがありますよ」
里中満智子のアドバイス
暢の口癖は「私は悪妻かもしれないけど、元気が取り柄よ」で、どんなときも弱音を吐かなかった。嵩はちょっと風邪をひいても「おれはもうだめだ。きっと悪い病気だ。もうすぐ死ぬ」と大げさにさわぐのに対して、暢は少しくらい体調が悪くても、仕事や家事をこなしているうちに「もう大丈夫」と元気になった。
暢ががんと診断される前、嵩には白内障と腎臓結石で病院通いが続いた時期があった。腎臓結石のときは1週間入院したが、暢は動きやすいように自分の髪を切って看病してくれた。
がんとわかったあとで、
「そういえばあなたが退院するので迎えに行ったとき、熱が38度あって気持ちが悪かったの」
と嵩は聞かされた。心配されたくないから言わなかったのだという。
嵩は絶句した。父と弟が短命だったこともあり、自分が死ぬことはいつも頭の片隅にあったが、暢が死ぬことについては一度も考えたことがなかった。最期をみとってもらえるものとばかり思っていたのだ。だから、自分がいなくなったあとのことを考えて、生前贈与もしたし、住んでいるマンションも半分は暢の名義にした。それなのに……。
暗い心でいたある日、嵩は所属していた日本漫画家協会の理事会に出席した。うわの空で会議を終え、早く帰ろうと急いで外に出ると、小走りに追いかけてきた人がいる。同じ会に出ていた漫画家の里中満智子だった。
「やなせ先生、何かありましたか?」
暢の病気のことは漫画家仲間にも一切言っていなかった。会議でもつくり笑いをして周囲に合わせていたつもりだったが、里中はいつもと違う嵩の様子に気づいていたのだ。
「よかったら、私に話してください」
少女漫画の世界とは無縁だった嵩は、里中と特に親しい間柄というわけではなかった。顔を合わせれば話はするが、若いときから超のつく売れっ子で、漫画界のマドンナ的存在の里中は、自分とは別世界の人のように思っていた。
その里中が嵩を気にかけ、わざわざ追いかけてきてくれたのだ。嵩は妻ががんで余命3か月と言われたこと、そのために夜も眠れないことをうちあけた。すると里中は言った。
「実は私もがんだったの」
「えっ……?」
嵩は驚いた。目の前の里中はとても元気そうで、以前と少しも変わらない美しさだった。
子宮がんだったという里中は、自分の闘病について詳細に教えてくれた。子宮を温存したくて、いいといわれることは漢方や食事療法などすべて試し、丸山ワクチンを打ち続けたところ、お医者様から「もう大丈夫でしょう」と言われたそうだ。
「できる限りのことをやってみたらいかがですか。どうか元気を出してください」
別れ際に里中はそう言って、そのあとすぐに自分が試したものをリストにして送ってくれた。
暢のためにまだやれることがある—そう思うと、嵩は気力がわいてきた。
おだやかな日々
丸山ワクチンは厚生労働省(当時は厚生省)から薬として認められておらず、有償治験薬として、医師の許可をもらって打つことになっている。嵩は日本医科大学付属病院へ行ってワクチンを入手し、主治医に頼んで注射してもらうことにした。主治医は気休め程度にしかならないと言ったが、嵩は少しでも可能性があるならやってみると決めていた。
1か月ほどすると、暢は歩けるようになった。嵩は愛犬のチャコを病院の前まで連れて行き、病室から下りてきた暢に会わせた。暢は大よろこびで背中をなで、チャコはちぎれるほどに尻尾を振った。
12月の末に暢は退院した。東京女子医大病院から自宅のあるマンションまでは徒歩30分で、暢は車に乗らず歩いた。
「病院が近くてよかったわ。私は運がいい」
並んで歩く暢の肩は紙のようにうすくなっていたが、帰宅すると暢は正月の支度をし、元日は薄化粧をして嵩と屠蘇(とそ)を飲んだ。
宣告された余命はあと2か月。嵩は時間が過ぎるのがおそろしく、暢に寄り添うようにして暮らした。命が終わってしまうなら、その前に暢がよろこぶことをしたいが、いったい何をすればいいのか—。
(梯 久美子/文春文庫)