矢沢永吉に「優しく2回叩かれた」カメラマンに奇跡が連発! 超人的パワーを物語る4つの事件とは!?
2022年5月8日(日)9時0分 tocana
——数々の伝説的芸能人と交流し、知られざる姿を目撃してきたカメラマン「YAHIMONときはる」が今明かす真実!
トカナへの寄稿も50本目を迎えた。記念すべき今回は、誰もが認めるビッグな日本人歌手の未公開エピソードを明かすことにしよう。6月8日、自らリミックス、リマスターを全監修したデビュー50周年記念ベストライブ集『ALL TIME BEST LIVE』をリリースする「永ちゃん」こと矢沢永吉だ。
■矢沢パワー入り奇蹟の腕章
初めて矢沢永吉さんのステージを撮影するという幸運な仕事に恵まれたのは、写真家になって8年目の1988年のことだった。76本に及ぶ全国ツアーの、とある地方ホールでの公演だったが、気合を入れて現場入りした筆者はリハーサルの邪魔にならぬよう2階席後方から望遠レンズを使って撮影していた。
途中、メインの一眼レフがなぜか作動しなくなり、仕方なくサブサメラのみで撮影を続けていた。時折、歌唱中の矢沢さんが2階席で撮影している筆者を指差して歌っているように見えたが、気のせいだろうと思っていた。
やがてリハーサルが終了し、スタッフに本番の進行表をいただくため筆者はバックステージに移動した。通路を歩いていると、筆者の左腕に付けていた黄色いプレス腕章(当時は自前だった)に、後ろから誰かの手が触れた。振り向くと、まさかの矢沢さんご本人が、「気を使って撮影してくれて恐縮です、本番もよろしく!」と腕章をポンポンと優しく2回触れて下さった。
筆者は、硬直して「はい、よろしくお願いいたします!」と深いお辞儀をしたが、なにやら腕章が熱く感じ、もしやとカメラバックの中の一眼レフを確認すると、なぜか不調が嘘のように復活しているではないか。その日から、矢沢パワー入りの筆者のプレス腕章は御守りになっており、仕事以外でも鞄に忍ばせておくことにした。
すると2カ月後、たまたま乗っていた路線バスが追突されるという事故に遭った。この時、乗客の多くが鞭打ち症や掠り傷を負ったのだが、筆者はまったくの無傷で済んだのである。矢沢パワーの腕章を御守りとして携帯していたおかげだと思わずにいられなかった。
同年12月のツアー千穐楽、東京ドーム公演はお礼を兼ねて一般客として堪能させていただいた筆者だった。
■緑山スタジオでの恐怖
6年後の1994年4月、筆者は緑山スタジオにいた。矢沢永吉さんの初主演ドラマ「アリよさば」(TBS系)のスチール撮影だった。緑山スタジオ周辺は、過去に寄稿した通り鎌倉幕府滅亡時の戦場だったことから多くの霊が集まりやすいため、不安を隠せない筆者だった。
矢沢さんの役が高校教師だったことから、スタジオ内には教室のセットが組まれ、生徒役の若い役者がひしめきあっていた。そして教室での矢沢さんと生徒たちの撮影中、何気なくスタジオの照明に目を向けた筆者は背筋が凍りついた。
なんと、詰襟姿の男子学生が3人、横並びに正座して、目を大きく見開いた異様な表情でスタジオを見下ろしていたのだ。到底、人が登って座れるような場所ではない。休憩時間になり、筆者がすぐに親しい霊能者に電話すると、こう言われた。
「矢沢永吉さんがお持ちの霊力は、生身の人間とは思えないほど桁外れです。自らが犠牲になっても人を助ける、というご本人の思想に共感した多くの霊が集まり、矢沢さんを護っています。詰襟の学生ですが、矢沢さんがCAROLで活動されていた時代に事故死されたファンたちが、先生役を演じると聞きつけて応援しに来ているだけですので、まったく心配する必要はありません」
霊能者からの言葉を聞き、筆者は腑に落ちた。矢沢さんがベース・ボーカルだったCAROLの活動期間は、1972〜75年。筆者は1974年に中学2年で、同級生と共にCAROLに夢中だった時代を経験しているからだ。
そんなことを考えながら撮影が再開したスタジオに戻り、「はい、本日の撮影終了です」の声が発せられた瞬間、照明の上にいた詰襟の男子学生3人は忽然と姿を消したのだった。
■大空での再会
ドラマ「アリよさらば」の最終回が放送されてから7カ月後となる1995年2月、筆者はある太平洋の都市から成田行きの飛行機に搭乗していた。その便は、2クラス便(ビジネスクラスとエコノミークラスのみ)で、筆者は仕事からの帰国だったためビジネスクラスに座っていた。
間もなく搭乗ゲートも締め切られるという時、あるご家族が筆者のすぐ近くに搭乗されてきた。そのお姿を見て、筆者は驚きを隠せなかった。サングラスもせず、帽子も被っていない、紛れもなく矢沢永吉さんだったのだ。
ご家族とのプライベートと思われたため、筆者はご挨拶するのを控えていた。食事サービスの後、筆者にチーフクルーが「免税品のご希望を先にお受けできますが」と声をかけてきた。仕事移動にその航空会社を頻繁に使用していた筆者は、顧客特待で優先的に免税品のリクエストを言えるのだ。だが筆者は、小声で「矢沢さんに先にご希望をお聞きしてからで構いませんので」とチーフクルーに伝えた。チーフクルーは「お気遣いいただきありがとうございます」と、筆者の席を離れた。
数分後、座席で映画を見ていると、なんと矢沢さんご本人がこちらにいらして「気を使っていただきすみません。腕時計を…… あれ!? カメラマンの……!」と筆者を思い出して下さったのだ。「腕時計を」と言いかけたのは、免税品の限定腕時計をお土産に購入できたということだろう。
ドラマ撮影時の雑談をしてから矢沢さんはご自分のシートに戻り、20分ほどすると飛行機が大きく揺れ、シートベルト着用のライトが点灯した。仕事移動にかなり飛行機を利用している筆者でも経験したことのない、異常な揺れだったのを覚えている。そして断続的に揺れは続いているが、機長からのアナウンスはかからない。40分ほどして、シートベルト着用のライトは消えた。
成田に無事に到着した筆者は、何かがおかしいと感じてすぐに親しい霊能者に電話をした。霊脳者は、こちらが説明する前に
「状況説明は不要です。きっと、凄まじい霊力を持つ矢沢さんをおどかそうと、悪霊が空で狙ってきたのでしょう。異例な事態ですが、矢沢さんをおどかそうとする悪霊と、矢沢さんご自身に(無意識であれ)具わっている霊力が対峙し、悪霊は矢沢さんには敵わないと諦めたのです。
この先、どんな困難があろうと矢沢さんなら毎回何事もなかったかのように打破していくことでしょう」
と言われたのである。その日から27年。今年、デビュー50周年のメモリアルイヤーを迎えた矢沢永吉は、今も変わらず多くのアーティストから絶大なるリスペクトを受けながら、日本の音楽シーンの第一線を走り続けている。