「預貯金を搾取されたり虐待を受けたりすることも…」コロナ後、精神疾患のある患者を無理やり退院させる“逆引き出し屋”が増えているワケ
2025年5月11日(日)12時0分 文春オンライン
1996年に日本で初めて病識(自分が病気であるという認識)のない精神疾患患者を説得して医療につなげる「精神障害者移送サービス」を立ち上げた、(株)トキワ精神保健事務所の所長、押川剛さん。
メンタルヘルス患者のリアルな問題点を描き出し、シリーズ累計210万部超えとなっているコミック『 「子供を殺してください」という親たち 』(バンチコミックス)に続き、原作を担当した新シリーズ『 それでも、親を愛する子供たち 』では、児童養護施設を舞台に、子供たちの過酷な現実を提示している。
なぜ押川さんは漫画での発信を続けるのか。日本の精神保健福祉と児童福祉に共通する問題点とは。日本の将来に関わる深刻な課題に向かい続ける押川さんに話を聞いた。(全3回の1回目/ 続きを読む )

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コロナ禍で患者の地域移行が加速した
──押川さんには2021年の新型コロナウイルス感染症のパンデミック中にもオンラインでお話を伺いました。コロナ禍ではお仕事も大変だったのではないでしょうか。
押川剛さん(以下、押川) そうですね。トキワ精神保健事務所は連日、「困っているんです、なんとかしてください」という相談の電話が鳴りっぱなしでした。でも当時は、どんなに「助けてあげたい」「力になってあげたい」と思っても、病院も行政もシャットアウトで、コロナ禍以前から継続的に支援している患者さん以外には、手を差し伸べることもできない状況でした。
──5月9日に発売となった『「子供を殺してください」という親たち』の最新刊( 第17巻#82 )でも、継続的にサポートされていた患者さんに十分なケアができなくなった状況が克明に描かれていました。
押川 相馬仁志のケース ですね。コロナ禍ではやっと信頼関係が構築できていた患者さんにも3分、5分という短い面会しか許されなくなりました。仁志をはじめ、病識のない患者さんたちは、アクリル板など挟まない通常の距離感での人間的なコミュニケーションによって寛解状態を保つことができていたのですが、コミュニケーションが断絶されたせいで、みな一様に状況が悪化しました。

──仁志さんのケースでは、症状がよくなったとは思えないのに、他の支援団体が介入して病院を退院させていました。そんな本人にとってもまわりにとってもよいとは思えない状況が進んだのも、コロナ禍の影響ですか?
押川 もともと進められていた精神疾患を有する患者の地域移行が、コロナ禍で加速したということです。
近年は「地域共生社会」の号令のもと、精神科病院や大規模な障害者施設が否定され、精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築を推進する、つまり、地域のなかのグループホームや一般住宅での暮らしへ移行するように、転換が図られてきました。これが、コロナ禍によって「密を避ける」という理由でうまい具合に地域移行・地域定着が進められたのです。
また、厚生労働省の診療報酬改定によって、地域移行・地域定着に向けた重点的な支援である「退院」を推進する病院や入所施設に加算がつくことになったことも、アウトリーチ化を推進させました。
さらに、この退院加算を狙って、対応困難な患者を本人や家族との関係調整もせずに一方的に退院させて報酬をかせぐ支援団体も増えてきたのです。以前は、引きこもりやニートの自立支援をうたって対象者を拉致し、施設に監禁する「引き出し屋」という業者が多くいましたが、本人の自立支援としての最善を無視して退院させる「逆引き出し屋」のような支援団体が増えてきたことによって、状況は本当に悪くなったと感じています。
先日もある精神科病院のソーシャルワーカーから聞いたのですが、支援団体の助言を信じて施設に入所した患者さんが、預貯金を搾取されたり虐待を受けたりして、「病院のほうが安心だ。再入院したい」と戻ってくるケースが増えているそうです。生活困窮者を狙った「貧困ビジネス」とまったく同じことが、障害者の分野でも起きているのです。
行政の対応が事件を生み出す要因になりかねない
──前回、精神科病院は入院治療から訪問看護などアウトリーチに舵を切りつつあるとお聞きしましたが、コロナ禍でそれが進んだのですね。
ただ、押川さんは、法規制もなく進めるだけでは絵に描いた餅に終わるか、かえってトラブルの元になると警鐘を鳴らしておられましたが、現実はどうでしたか?
押川 まさに懸念していた通り、2024年の12月に北九州市のファストフード店で中学3年生の男女2人が刺されて死傷する事件が起こってしまいました。
事件の起きた北九州市小倉南区は私の地元ですが、北九州市は全国の政令指定都市の中で、もっとも精神疾患を有する患者の地域移行施策が進んでいます。もはや対応困難な患者の入院治療は、一切受け付けてもらえないのが現実です。その結果が事件を招いたといえます。

逮捕された平原(ひらばる)政徳容疑者は、事件前の奇行や奇声などからも何らかの支援を必要としている人物でした。昔だったら、精神疾患やその疑いのある患者を抱えた家族は精神科医療につなげるという努力規定が法律に盛り込まれていましたが、いまはそれも地域住民に委ねられています。
精神保健福祉法第22条には、「精神障害者又はその疑いのある者を知った者は、誰でも、その者について指定医の診察及び必要な保護を都道府県知事に申請することができる」という項目もありますが、申請した先の対応は自治体によってまちまち。調べてみると、北九州市では過去10年間に2回しかこの申請が受理されていないことがわかりました。
こうした行政の対応も、今回の事件を生み出す要因となったはずです。今後は日本各地で同様の事件が増えてくるのではないかと危惧しています。

──押川さんは、地域住民を本気で「心のサポーター」として養成したいのであれば、並行して制度や法律が不可欠だとおっしゃっていました。そのために大学で法律も学び直されたのですよね。
押川 はい。ただ、制度があるだけでは不十分です。厚生労働省が「こういう制度がある」という通達をしていても、北九州市のようにそれが実際に運用されなければ意味がありません。ですから、大学では、精神科医療にかかわる法律より、むしろ実際の制度を誰がどう運用するのかというところに主軸を置いて勉強していました。
今回のケースでも、事件前に近隣からの通報で警察が2回も現場に駆けつけているのに、措置入院や保健所の支援にまでつなげることができませんでした。「制度があってもダメだ」ということが十分わかったのではないでしょうか。
精神疾患患者を医療につなげるために
──なぜ警察通報から医療につなげることができなかったのでしょうか。
押川 脱施設化によって、病院や施設が対応困難な精神疾患のある患者を受け入れなくなってきたからです。「本人の意思」を盾に、「本人が望んでいないことを行うのは人権侵害だ」と家庭に押し込めてきた。どんなにSOSを出しても、病院にも施設にも受け入れてもらえないのです。そのくせ、何かあれば「自己責任」と切り捨てる。これでは飛び降り自殺をしようとする人間の背中を押すのと同じです。

さらに精神保健福祉法第22条では、精神障害で自傷や他害の恐れがある人について申請する場合、申請者の住所、氏名及び生年月日が必要です。例えば宮崎県や鹿児島県では、県の公式HPに一般申請の方法が明記されていますが、対象者から個人情報開示請求があった際には、申請等のやりとりが開示される可能性があることが明記されています。
そのため通報自体を躊躇する住民もいると考えられますが、それでは制度趣旨が損なわれ、申請者の権利利益を侵害する恐れもあります。そこで、申請者となる住民が精神疾患患者により被害を受けている場合などには、個人情報保護法第78条(第1項第2号)に該当するとして、不開示とされるよう自治体に掛け合うことも可能です。
ほかにも私は、地域選出の議員が住民の声をとりまとめ、代理人として一般申請を行う方法なども提言してきました。公的支援が必要な重篤な精神疾患患者が医療につながる機会が、少しでも広がってくれることを期待しています。
──一般の方からの申請が増えて医療アクセスが向上すると、押川さんのお仕事が減ってしまうのではないですか?
押川 むしろそれは、本望です。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、私はこれまで「何としても助けないといけない」という精神疾患を抱える患者を医療につなげることに、文字通り命をかけて戦ってきました。5年前に2度の心筋梗塞を患い、今現在3割弱しか心臓は動いていない状態ですが、果たすべき使命があるから生かされているのだと思っています。

その一つが費用の問題です。私の事務所は民間であるがゆえに、報酬を頂かないと助けられない、というもどかしさがありました。しかし地域共生社会となった以上は、公的な制度や資金を利用して解決する方法を見出さなければなりません。そのために私自身も、制度の活用等を改めて見直しているところです。
とはいえ精神疾患を抱える患者の医療アクセス問題の解消は、私だけがやっていても限界があります。一般の人々の意識がかわり、地域の誰もが、適切な医療が必要な人をサポートできる仕組みが整うよう、どんどん一般申請制度が広まってほしいと願っています。
〈 「英語を話せなきゃダメ」「テストで良い成績をとれ」は虐待にあたる? 児童福祉施設を運営する理事長が語る、子供を苦しめる“親のエゴ” 〉へ続く
(相澤 洋美)
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