「水曜出発限定」「満席の場合は乗れません」…高知県が“リスク”を承知で過激なコミュニティバス観光を提案するワケ

2025年5月13日(火)7時10分 文春オンライン

〈 青く透き通る「仁淀ブルー」、ゴロゴロとした巨岩に落差20mの滝…高知県・中津渓谷で見た“地下迷宮のような異界” 〉から続く


 高知県が全国でも珍しいコミュニティバスを使った旅を提案している。その第一弾として中津渓谷(仁淀川町)への観光を動画やHPで発信し始めた。だが、コミュニティバスは本数が少なく、ルートやダイヤ、接続を把握しにくい。それでも仕掛けを進めるのはなぜなのか。背景を探ると、地域社会の厳しい実情が見えてくる。


地域観光の課題


「高知県の観光はこれまで、歴史、食、自然を前面に出したキャンペーンを行ってきました。主要な観光施設の整備が進み、増客につながってはいるのですが、周りの地域はというと、そこまで周遊されていません」


 県庁の地域観光課、齊藤弓子主幹が課題を解説する。


 高知城、桂浜、維新の志士のゆかりの地、はりまや橋、室戸岬、足摺岬……。誰もが知るスポットだけでも書き切れないほどだ。しかし、有名な名所旧跡を巡るのが中心になっていて、地域をじっくり知ろうというスタイルの観光はそれほど多くない。これは全国に共通する傾向だろう。


「どっぷり高知旅」の魅力


 2024年度から展開している観光キャンペーン「どっぷり高知旅」は、「四国カルストには人が来るけど、周辺にはあまり来てもらえない」というような声に応えるために始めた。


「有名観光地をあっさり巡る。それだけじゃ、もったいない。見たことのない、ど絶景。食べたことのない、ど名産。聞いたことのない、ど歴史。家族のように距離が近い人たちの、暑苦しいほどの、ど親切。ど級に濃厚な高知の魅力に、気がつけばハマっているはず。忙しい日常からちょっと離れて、どっぷり旅してみませんか」(「どっぷり高知旅」のパンフレットより)というのが主旨だ。



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「どっぷり」味わってもらうための、コミュニティバス


「主に中山間地に光を当てて紹介しています。そうした地域の公共交通はコミュニティバスが担っていて、活用して回ってもらおうと考えました」と齊藤主幹が語る。


 また、高知県を訪れる観光客の「足」は、自家用車や観光バス、レンタカーといった「車」が8割を占める。飛行機や列車で来て、公共交通機関で回る人は2割程度だ。そうした人にも「どっぷり」味わってもらうには、やはりコミュニティバスを使ってもらうしかなかった。


 ただ、モデルコースを設定するには、他の交通機関にない苦労があった。


コミュニティバスの誕生背景


 コミュニティバスは交通空白地帯の解消や、路線バスが撤退した後の対策などとして、主に市町村が走らせている。全国に広がるきっかけになったのは、東京都武蔵野市が1995年に運行を始めた「ムーバス」だ。ムーバスとは「ムーブ(動く)」と「アス(私達)」という英語を組み合わせた造語で、一律100円の運賃で住宅街をゆっくり回る。


 発端は当時の土屋正忠市長に届いた一通の手紙だった。「吉祥寺に行きたいが、高齢で路線バスのバス停まで歩けなくなった。自転車は怖くてとても乗れない」などと書かれていた。市が調査したところ、鉄道の駅からも、路線バスのルートからも外れた地区がかなりあった。そうした「公共交通空白地帯」にマイクロバスを走らせ始めたのである。当初は赤字を覚悟していたが、利用する人が多くてすぐに黒字化した。


子供や高齢者にとっては生命線


 一方、田舎と呼ばれる地区では、仁淀川町のように山奥の集落からの通学・通院や買い物のために走らせる例が多い。路線バスが撤退した後の代替交通として運行している地区もある。運転免許を持たない子供や高齢者にとっては生命線と言っていい。


 ただし、本数は少ない。学校や病院に間に合う時間に中心部へ向かい、午後か夕方に帰るというダイヤが通常だ。これだと観光には使えない。午前に目的地へ向かい、午後か夕方に帰りたいのに、逆になってしまう。


目的地へ行ったら、帰ってこられなくなるような路線も…


 高知県がコミュニティバスを観光利用しようと考えた時も、こうした壁にぶつかった。


「目的地へ行ったら帰ってこられなくなるような路線もありました。ダイヤを変更できないか、地元自治体と話し合い、不可能ならお蔵入りにした案もあります」。仕掛けの当初から関わった職員が話す。


 中津渓谷へのルートのように、到着は午後になっても、夕方には帰れるというようなダイヤがある路線はいい方だ。


 齊藤主幹は「市町村の壁もあります」と語る。「『ここまで来たら、隣の自治体のあそこへも行きたい』と考える人もいるでしょう。でも、コミュニティバスは市町村営なので、基本的に市町村を越えた運行をしていません」。


コミュニティバスのルート把握が困難


 リスクもある。


 そもそもどのルートを、どの時刻に走るか、そしてどの公共交通機関に接続するのかを把握するのが難しい。


 市町村のHPに時刻表や路線図を掲載する自治体が増えたが、謎解きのようにして考えなければならないことが多い。仁淀川町のコミュニティバスは、2方向に走る路線バスを基軸にして、10路線が枝のように分かれて運行している。平成大合併前の旧3町村ごとに路線のまとまりがあり、道路事情から愛媛県に入って戻るような路線も設定している。よそ者が理解するのはひと苦労だ。


 運行日も限定されている場合が多いので、気をつけておかなければならない。


ダイヤ改正にも神経を使う必要


 せめて、ルートやダイヤを分かりやすくできないのか。仁淀川町役場の担当職員に尋ねると、「町域の面積が広くて333平方kmもあるので、あらゆる地区にバスを走らせると複雑になってしまうのです。ただ、もう少し分かりやすくできないか、工夫したいと考えています」と話していた。


「ダイヤ改正にも注意が必要です」と齊藤主幹は指摘する。


 県がHPで紹介した中津渓谷への旅は2024年12月時点のデータだ。その後の2025年3月15日、JRがダイヤを改正した。これに連動してバス時刻表も変わった。その他にもバス独自でダイヤを変更することもある。これら細かく変わるダイヤを全て拾い、内容をその都度更新して、HPを作り直せるか。1本逃すと目的地に行けなかったり、帰って来られなくなったりする場合があるので記載には神経を使わなければならない。そのようなリスクを避けるため、県は時刻を明記しない動画を中心にPRしている。担当課の職員2人がモデルになって撮影した。


 だが、前述した通りコミュニティバスはルートやダイヤ、接続を読み解くのが難しい。県が乗り継ぎ時刻まで紹介してくれるので行けるという側面もあるだろう。動画によるルート紹介だけだと簡単に行ってこられるかどうか。


境港市のバス廃止


 さらに、ダイヤ改正どころか、路線がなくなることもある。


 高知県が検討段階で参考にした鳥取県境港市。ゲゲゲの鬼太郎で有名な漫画家、故水木しげるさんの故郷だ。妖怪177体のブロンズ像が並ぶ「水木しげるロード」がある。JR境港駅に近いので、ここだけの観光なら徒歩で十分だ。港町を満喫しようと「水産物直売センター」などへ足を延ばす人には、コミュニティバス「はまるーぷバス」の利用を勧めていた。


 しかし、このバスについては市民から「目的地へ時間がかかる」「本数が少ない」「JR境線との接続が悪い」といった声があった。定時運行では解決できなかったことから2025年3月31日で廃止した。


オンデマンド型バスの導入


 ただ、代わりにスマートフォンの専用アプリか電話で予約を受け付けるオンデマンド型の乗り合いバス「みなとーる」を走らせ始めた。会員登録が必要だが、市外の観光客も利用できる。


 境港市の担当者は「定時運行のコミュニティバスは80分に1本の運行でした。オンデマンドバスだと希望の時間に決められた乗降場所で乗り降りできます。混雑することがあり、1週間前から予約可能なので、旅行計画が決まったら、早めに予約をお願いしています」と話していた。


 高知県は「オンデマンド型のバスについては、観光利用を想定していない自治体が多く、今後の検討課題」としている。


“積み残し”のリスク


 他にもリスクがある。積み残しだ。


 中津渓谷を通るコミュニティバスは14人乗りのワゴン車タイプだった。「これ以上大きい車両だと、道が細い奥の集落に行けなくなってしまいます」と仁淀川町の担当者は語る。


 万一、大勢の観光客が乗りに来たら、積み残しが発生してしまうかもしれない。


 そうした場合、別の車両を追加派遣できるかどうか。仁淀川町では「朝夕の通学・通院、買い物といった同じようなダイヤ設定で10路線を走らせなければならず、10台の車両と10人の運転手がフル稼働しています。観光客で積み残しが出るという想定までしていませんでしたが、別の車両を派遣して拾う余裕はありません」と話す。


 高知県の齊藤主幹は「タクシーを利用してもらうしかないかもしれません」と考えている。


乗客不足と地域の危機


 ただ、現状としては、圧倒的に乗客が少ない。


 仁淀川町役場の担当者は「観光利用もしていただけたら、空気を運ぶというような状況が改善され、運賃収入につながります。効果は町のコミュニティバスにとどまりません。列車、路線バス、コミュニティバスを乗り継いで来てもらうので、路線バスの維持につながるのです。路線バスは以前、愛媛県境まで走っていましたが、営業区間を短縮しました。これ以上短くなると、住民の利便性という面で極めて厳しくなります」と切々と訴えていた。


 齊藤主幹も「『どっぷり高知旅』のキャンペーンは中山間地の振興が大命題です」と力を込める。


 高知県の推計人口は2025年4月1日時点で65万人を切り、64万8313人になった。47都道府県では下位から3番目だ。


 そのうちほぼ半数が県都の高知市に集中していて、中山間地の疲弊が進んでいる。


「どっぷり高知旅」は県が抱える喫緊の課題への対処策の一つなのである。


挑戦的なモデルコースの設定


 まだ、PRを始めていないが、県は中津渓谷以外にも七つのコミュニティバスを使ったモデルコースを設定している。今後は順次、動画などで紹介していく予定だ。


 設定したコースは挑戦的という表現がふさわしい。「このような乗り方ができるのか」という驚きのルートも含まれている。


 その最たるものは、清流で知られる四万十川の源流から河口まで196kmをたどる旅だろう。2町のコミュニティバス、3社の路線バス、JR土讃線と予土線を計10回も乗り継ぎ、1泊2日が必要になる。東南アジアの三輪自動車「トゥクトゥク」のレンタカーを借りて移動する箇所もある。しかも、コミュニティバスの運行日が限られていることから「水曜出発限定」。8席の車両も使われているので「満席の場合は乗車できない」という過激さだ。


 本当に最後までたどり着けるだろうか。どんな旅になるだろう。機会があったらチャレンジしてみたい。


撮影 葉上太郎


(葉上 太郎)

文春オンライン

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