世界遺産を守るために、景観美を蔑ろにした巡礼地ラリベラの矛盾…劣化を防ぐための“覆屋”の是非
2025年5月13日(火)6時0分 JBpress
(髙城千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)
一生に一度は訪れたいと願う巡礼の聖地
1年が13カ月の国がある。アフリカ大地溝帯が南北に走り、国土の4分の1は標高2000mを超えるエチオピアだ。アラビカ種と呼ばれるコーヒー発祥の地としても知られている。この国では1〜12月まで毎月30日で、残りの5日(閏年は6日)が13月になる。そして、クリスマスは1月7日……東方三博士がイエス・キリストの誕生を祝い、礼拝した日を採用したからだという。
エチオピアには、モーゼの十戒を刻んだ石板を納めた「契約のアーク(聖櫃)」があると信じられている。紀元1世紀に遡る王国の都だったアクスムの「シオンの聖マリア教会」に、本物が厳重に保管されているらしいが、完全非公開で修道士さえ目にしたことがない。だからといって、それはアークの不在を意味しない。
非公開の仏は日本にもある。法隆寺・夢殿の救世観音は、誰も見ることが許されない絶対秘仏だった。しかし、明治時代にフェノロサが、祟りを怖れる僧侶を尻目に開扉すると、白い布でグルグル巻きにされた仏像が厨子から現れたのだ。
アーク信仰を裏付けるかのように、エチオピアでは各教会の内陣奥深くに「タボット」と名付けられた“聖櫃のレプリカ”が、金襴の錦にくるまれ安置されている。それが年に一度1月19日に司祭の頭上に掲げられて広場に持ち出されるのが、ティムカット(キリストの洗礼を記念する祭。毎年1月18日〜20日に開催)である。女性たちが「ルゥ・ル・ルルル…」と甲高い裏声を発し、ラッパ音が天にとどろく中、赤いラインの白装束に身を包んだ司祭たちの行列がつづく。彼らは所々で、古楽器シストラムを振り、もの悲しい聖歌を奏でてゆく。
エチオピアのキリスト教徒がティムカットの時に、一生に一度は訪れたいと願う聖地が、世界遺産「ラリベラの岩窟教会群」(登録1978年、文化遺産)である。巡礼者は全土から山道を歩き、野宿を重ねながらラリベラを目指す。その数は、毎年5〜6万人にも上るらしい。ティムカットの間、岩窟教会の周りは雑魚寝する人々で埋め尽くされる。司祭が十字架で祝福した池の水を浴びれば、罪は清められ生まれ変われるのだ。
一枚岩をくり抜いた彫刻のような岩窟教会
12〜13世紀、聖地エルサレムはイスラム教徒の手にあり、巡礼は叶わなかった。そこでラリベラ王の命によって、11の岩窟教会が築かれた。王は「第二のエルサレム」を夢見て、代替地を造ろうとしたのだ。それ故に、キリストが洗礼を受けたヨルダン川を人工的に掘り、生誕した馬小屋を設け、磔になったゴルゴダの丘を教会名に冠した。
しかしこの地は、世界中のどこにもない独創性を帯びている。大地を掘り下げ1枚岩をくり抜いて建造されているのだ。それは建築ではなく、まるで“彫刻”である。
ラリベラの岩窟教会が、どのような技法で完成したのか? まず地表面に、教会の屋根(最上部)を削り出すことから始まる。外形が決まると、次に周りに溝を穿つ。こうして巨大な岩の塊があらわれる。そして内部をくり抜いて、岩肌に装飾を施せば“岩窟教会”が出来あがる。内部に立つ石柱や梁、アーチもすべて削り出したものだ。岩盤が加工しやすい凝灰岩だからこそ、こんな技法が選ばれたのかも知れない。
11の岩窟教会の中で、一風変わった外観をもつのがギョルギス聖堂である。タテヨコの長さが等しいギリシャ十字型の箱が、ズドンと深さ12mの地底に落ちてゆく。地表からスロープを下り、地下トンネルの長い暗闇を抜けると、突然目の前に“天国”のイメージが表れる仕掛けだろう。
周囲を32本の石柱で囲まれ、奥行き33mのマドハネ・アレム聖堂は、契約のアークがあるというシオンの聖マリア教会を模したもの。もちろん回廊に立つ石柱も、岩盤からくり抜かれた。そんな教会群は3つのブロックに分かれ、各ブロック内はすべて地下トンネルでつながっている。今なお修道士や司祭たちが暮らす、生きている遺産である。
雨風による劣化を防ぐ“覆屋”は、景観破壊?
突拍子もない存在であることから、七不思議に次ぐ「世界八番目の不思議」の一つと称されるラリベラ。標高2600mのこの地を訪れた時、私は“石彫”建築のユニークさに驚嘆すると同時に、目を疑うような光景に出会った。岩窟教会は周囲にことごとく工事現場じみた足場が組まれ、粗末な屋根で覆われていたのだ。凝灰岩はもろく崩れやすいので、雨風による劣化を防ぐためである。しかしそれら遺産の保護措置が、感動的であるはずの美しい景観を妨げていた。
2005年、ユネスコはウィーン中央駅界隈の都市開発をめぐって、「歴史的都市景観の保護に関する宣言」を出す。現代建築を新たに加える時は、街の風景を尊重することが一番の課題というもの。であれば、宣言は“保護景観”にまで及んで然るべきではないか?
遺跡や歴史的建造物を守るための覆屋(おおいや)の是非を考えはじめたのは、世界遺産「マルタの巨石神殿群」(登録1980年、文化遺産)の“見え方”がきっかけだった。5000年前に、地中海に面したマルタ島の断崖に築かれたイムナイドラ神殿は、海の青と白い石灰岩の大地、丸く組んだ巨石のコントラストが際立ち、圧巻の思いを抱かせた。しかし後に、遺跡を保護するため巨大なテントに覆われ、美しい光景は消えた。現在はサーカス小屋の中で、巨石神殿のディテイルを眺める気分である。
ラリベラの岩窟教会を保護する覆屋は、幾つかが改善されスッキリした印象になった。ただ、それでも鉄骨が上屋根を支える駅のホームのようで、場違い感を拭えない。巡礼者は崖のギリギリの縁まで押しかけ、“彫刻”を見下ろしながら祈る。果たして鉄骨と上屋根は、一期一会の聖地にふさわしい形状や色・デザインといえるのか?
実際、マドハネ・アレム聖堂の石柱は、半数近くが倒壊して、レンガを積んで再建されている。岩窟教会群が、保護対策を急務としているのは間違いない。だがラリベラといえば、決まって十字型のギョルギス聖堂が映し出されるのは、そこが覆屋のない唯一の教会だからだ。遺産を守るのは大切だが、悲しい事実である。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)
筆者:髙城 千昭