ついに本物の幽霊が写った日本映画が公開される!! 監督「深夜の国道で…」

5月13日(金)13時0分 tocana

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4年越しで完成し、公開までに2年を要した苦節の作品は、
インディーズらしさを貫いた映像詩的な不条理劇でありながら、
あえて描かなかった幽霊を取り込んでしまった——!?


■ホラーでも怪異譚でもない、人間の存在を問う物語

 登場人物が「幽霊を見た」あるいは「会った」と口にしながら、その存在がまったく描かれない映画が近々公開される。大内伸悟監督による『知らない町』だ。2014年の東京国際映画祭の「日本映画スプラッシュ部門」に選出されながら、長らく一般公開の目処が立たなかったが、この度ようやく渋谷のイメージフォーラムで6月11日からレイトショー上映される運びとなった。

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 もっとも、幽霊が表現されないのに、この作品には「幽霊が映ってしまった」のだという。大内監督はその場面について以下のように語った。

大内監督「

 大内監督自身は唯物論者で、「あの世」も信じておらず、ホラー映画も特に好きではないという。

大内「人の死生観を描きたいとはずっと思っていたけれど、形として幽霊などが出てくるのはすごく嘘臭いと感じていました。だから、幽霊を直接描かずというコンセプトは最初から決めていたんです。それなのに呼んでしまった? ……かもしれません。もしそうだとしたら、前提を本物に覆されてしまった、矛盾を孕んだ作品といえますね。ただ、人の生死などそもそも筋の通らないことで、多くの不可解さや矛盾を孕んでいると思うんです」


■過去と現実と夢想と入り交じる新しい感覚の怪異譚

 作品のあらすじはざっとこうだ。

 地図の調査員の仕事をしている優二の部屋に以前住んでいた亮子が訪ねてくる。当時、一緒に暮らしていた男、ゴトウの忘れ物を探しにきたというのだ。その後、友人で廃品回収業をしている西田が優二の部屋で「幽霊を見た」と騒ぐ。そして、優二は偶然再会した亮子から「ゴトウがすでにこの世にいない」ことを告げられるのだが…。後半からはさらにパラレルな展開となり、生と死も現実と夢想の境すらあやふやになっていく。

「理屈では解消し得ない部分を形にしたい—というのは自分の作品の一貫したテーマです」とは監督の弁。

 しかし、この作品は大内監督が幼少期に実際に幽霊を見たことに着想を得ている。

大内「僕自身、そんなものは人間の心理状態が作り出す幻覚だと思っているほうです。が、まだ恐怖心もない3〜4歳の時に、祖母の家ではっきりそれを見たのは間違いない。一家で団欒をしている時に、ドアの陰から青い顔が覗いていたんです。しかも、髪が長く、白い服を着ている。ステレオタイプですよね(笑)。その女がドアを開けたり閉めたりしている…。お手伝いさんか誰かかと思い込んだりもしたんですが、そんな人を雇うほど裕福でもなかった(笑)」

 その後も2回、大内少年は別のタイプの幽霊と出会ったという。作中、主人公の後輩の彼女が「寝ている時に影が動いた」と語る場面があるが、まさにその体験を反映している。

「本来描きたいのは幽霊エピソードの先にある、ある町、ある場所で人が生きていた時間は消え去らず残ったりするのだろうか、それは今を生きる人にとって無関係なのだろうか? といったことです。見えないものを描くのがこの映画の主題であるため、わかりやすい幽霊像をあえて避けました」


■映画全体が薄明に浸るような感覚に酔う

 『リング』や『呪怨』といった従来のJ(ジャパニーズ)ホラーばかりでなく、これまでの邦画でも、テレビの深夜ドラマからスピンアウトした『トリハダ』など、幽霊や心霊現象などの描写は皆無か控えめで、かといって残酷表現も特にない、人間の狂気や不条理さなどに焦点を当てたリアルなホラー作品はあった。『CURE』『回路』といった黒沢清監督の一連のホラー作品もそれに近い。

 洋画なら、原作を超えた出来映えのスタンリー・キューブリックならではの『シャイニング』、デヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』などがすぐ想い浮かぶ。『ロスト・ハイウェイ』『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』と続くリンチの諸作には特にそうした傾向が強い。「影響を受けた作家は?」との問いにも、大内監督は真っ先に彼の名を挙げた。

 さらに、台湾の蔡明亮なども好きだという。なるほど、引退を発表した蔡の(今のところ)最後の長編となる『郊遊 』も『知らない町』に通ずる夢幻的な作品だ。家族の崩壊を描くストーリーらしきものは存在するが、まるで明確ではない。主人公はじめ登場人物がひたすら彷徨う場面が続くのだが、そこには恐怖の影が踊っている。まさに幻影だ。

“幽霊の正体見たり枯れ尾花”という句もある。幽霊だと思って見ていた物がよく見てみれば、ただの枯れすすきの穂—などという体験は読者もしょっちゅうしているはずだ。それが「見えるか見えないか」はまさに観客次第なのだ。偏見や先入観こそ怖い。

『知らない町』の問題のシーンの箇所をここで詳らかにするのはよしとしよう。まさに疑心暗鬼となってスクリーンに対峙していた筆者自身、件の橋のシーンの人影はかえってわからず、全編を通じてほの暗い作品総体からひたひたと迫る、「見えない恐怖」に酔うような感覚に溺れていた。
(取材・文=鈴木隆祐)

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