一世を風靡したカラヴァッジョの「聖マタイ伝」連作、バロックの代名詞となった強烈な光と影の明暗表現の凄さとは?

2025年5月15日(木)8時0分 JBpress

劇的な明暗表現を用い、まるで風俗画のような「聖マタイ伝」は人々を魅了します。これまでの宗教画とは全く違った表現の背景には、当時のカトリック教会の意向がありました。

文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)


バロックの幕開けとなった「聖マタイ伝」

 1600年、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂の「聖マタイ伝」連作が公開されると、人々はこの絵を一目見ようと殺到しました。なぜそれほどにこの絵は一世を風靡したのでしょう。

《聖マタイの召命》(1600年)は、聖書の「マタイによる福音書」にある物語です。当時、忌み嫌われ軽蔑される職業だった徴税士のマタイでさえも、キリストは召し抱えたという逸話で、カラヴァッジョが描いたのはキリストと聖ペテロがマタイの前に現れた場面です。

 当時の賭博場や居酒屋のような場所で、当世風の衣装に身を包んで訝しげにキリストとペテロを見る若者や、彼らに気づかずコインを数えるのに余念がない者が描かれています。キリストの顕現という奇跡が神秘化されることなく、あたかも日常の現実のなかで起こっているような表現です。これには理由があります。

 この頃、16世紀にルターにより始まった宗教改革に対抗して、ローマ・カトリック教会が行った反宗教改革の時期でした。プロテスタントは偶像崇拝を否定しましたが、カトリック教会は宗教美術を布教に使おうとします。そのため民衆にわかりやすく、観る者が没入できるような絵画を求めたのです。そこでカラヴァッジョは当時の人たちに身近な場所や、当世風の人物を描き、これまでの宗教画とは全く違った、まるで風俗画のような表現の作品に仕上げました。

 マタイは以前、画面左で指を差している髭の男性だと言われていましたが、現在では左端でうつむいてコインを数えている若者だとされています。キリストが「私に従いなさい」とマタイに呼びかけると、髭の男性は自分ではなく左端の若者を指差しているという解釈です。また、マタイを召命するキリストの手はミケランジェロが制作したシスティーナ礼拝堂天井画《アダムの創造》(1508-12年)の父なる神の手がアダムに生命を吹き込む図像における、アダムの手との類似を指摘されています。

 また、《聖マタイの殉教》(1600年)では、王が送った刺客がマタイの命を奪う場面を描いています。倒れているマタイのそばにいる裸の青年の筋肉隆々の人体表現は、カラヴァッジョがミケランジェロなどルネサンス美術を勉強していることを示しています。遊び人だったと言われているカラヴァッジョですが、古典からも学び、極めて写実的な表現を習得しました。絵に対する気持ちには強いものがあったと思います。

 剣を持つ裸の若者は刺客から剣を奪ったキリスト教徒で、本当の刺客は若者の背後で振り返っている人物だという説もあります。またこの人物の顔はカラヴァッジョ自身だとされています。

《聖マタイの召命》《聖マタイの殉教》が1600年に完成したことも重要な点です。ローマでは25年に一度、この年にローマに巡礼してミサに参加すると大赦が与えられるという「聖年(ジュビレオ)」が1300年から行われました。教皇や枢機卿、貴族たちが各地から芸術家を招いて大規模な造営や装飾事業を行うため、聖年には記念碑的な作品や新しい様式が生まれました。1600年の聖年には街路や広場、噴水などが整備され、カトリック世界の壮大な都市となっていたローマで、カラヴァッジョが新しい「バロック」という様式を生み出したのです。


受け取りを拒否された《聖マタイと天使》

 従来の伝統から逸脱した芸術的革新といえる作品は、賛否両論がありました。時には受け取りを拒否されましたが、すぐに引き取り手が見つかりました。《聖マタイと天使》もそのひとつです。

 コンタレッリ礼拝堂の中央にはフランドルの彫刻家コバールトの聖マタイの大理石像がありましたが、評判が良くなかったのでカラヴァッジョに依頼があり、《聖マタイと天使》(1602年)を制作します。しかし、その第1作はマタイの足がむき出しになっていたり、天使の少年と戯れているように見えたりすることから、教会から受け取りを拒否され、描き直した第2作が設置されます。第1作はすぐにジュスティニアーニ候という貴族が購入しました。ベルリンの美術館が所蔵していましたが、第2次世界大戦で消失してしまいました。

 また、サンタ・マリア・デラ・スカラ聖堂のために制作した《聖母の死》(1601-03年頃)も聖母マリアをお腹が膨らんだ躯(むくろ)として描いたため、受け取ってもらえませんでした。1607年に売りに出されると、ルーベンスが仕えていたマントヴァ公に勧め、購入させました。

 この時代の教会という聖なる場にあっては、このような絵は「品位=デコール」に欠けるという理由でしたが、拒否された絵もすぐに売れるところがカラヴァッジョの人気の高さを示しています。

 カラヴァッジョが確立した様式は当時大流行し、ローマやナポリでは模倣する画家が大勢現れました。彼らを「カラヴァッジェスキ」といい、スペイン、オランダ、フランスからイタリアに来て、明暗法や写実主義といったカラヴァッジョ様式を習得しました。画家たちは、母国に帰ってこれを普及したことから、カラヴァッジョ様式はヨーロッパ中に広まります。スペインのベラスケス、フランスのラ・トゥール、オランダのレンブラントも自国でカラヴァッジェスキの作品に触れ、そこからそれぞれの画風を形成しました。

 カラヴァッジョは生涯で多くの祭壇画を手がけました。現在でも当時のまま教会に設置されている絵もあります。お勧めしたいのがローマでのカラヴァッジョ聖地巡りです。

「聖マタイ伝」三部作が飾られているコンタレッリ礼拝堂の天井のフレスコ画は、師であるダルピーノが描いていることから、師弟の競演が楽しめます。また、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のチェラージ礼拝堂には、正面にアンニバーレ・カラッチの《聖母被昇天》(1600年-02年)、左右にカラヴァッジョの《聖ペテロの磔刑》《聖パウロの回心》(ともに1601年)があり、バロックの先駆者2人の作品が一度に鑑賞できます。カラッチはカラヴァッジョと同時期にローマで活躍し、カラヴァッジョが認めた数少ない画家でした。作品は明るく古典的ですが、カラヴァッジョとともにバロック美術の開花に大いに貢献しました。

 礼拝堂で観るカラヴァッジョの作品は圧巻です。差し込む光や観る者の視点を計算して、迫力ある演出がされています。ローマを訪れる機会があったら、ぜひ立ち寄ってみてください。

参考文献:
『西洋絵画の巨匠11 カラヴァッジョ』宮下規久朗/著 小学館
『もっと知りたい カラヴァッジョ 生涯と作品』宮下規久朗/著 東京美術
『カラヴァッジョ巡礼』宮下規久朗/著 新潮社
『カラヴァッジョへの旅——天才画家の光と闇』宮下規久朗/著 角川選書
『1時間でわかるカラヴァッジョ』宮下規久朗/著 宝島社
『カラヴァッジョ』ティモシー・ウィルソン=スミス/著 宮下規久朗/訳 西村書店
『カラヴァッジョ』ジョルジョ・ポンサンティ/著 野村幸弘/訳 東京書籍
『芸術新潮』2001年10月号 新潮社
『日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展』(カタログ)国立西洋美術館・NHK・NHKプロモーション・読売新聞社/発行

筆者:田中 久美子

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