世界で活躍する道東の人。北海道・釧路管内白糠町出身の通訳士・Ayuさんのキャリア

2024年5月15日(水)7時30分 ソトコト


住みたい・住んでみたい都道府県として、必ず上位に挙がる北海道。その北海道に住んでいると、世代を問わず「地元愛」を強く感じている人たちに数多く出会います。北海道には地方から経済の中心地・札幌へ、多くの人が世代を問わず集中する傾向にありますが(出典1.2)、広い北海道全体を広義の「地元」と捉え、地元への愛着を深める環境が形成されています。しかし、道内への高い進学率や就職率が示すように、この「地元思考」はしばしば内向きの思考に結びついているのではと、現地で暮らす筆者は感じることがあります。


今回の記事では、地方都市である釧路管内・白糠町(しらぬかちょう)出身で高校卒業時の挫折をチャンスに変えるべく渡米し、現在は通訳として台湾に生活の拠点を置く長谷川 あゆさん(以下、Ayuさん)の生き方にフォーカスしました。台湾と釧路を軽やかに往来し、地場産業にも果敢に関わる“内向きではない地元思考”を持つ北海道出身者の活躍を紹介します。進路に悩む若い世代の方も必見です。


出典1.就職みらい研究所 地域間移動レポート2019


出典2.厚生労働省 令和5年3月新規大学等卒業者の就職状況



異国の言葉や文化に憧れを抱いた、学生時代


− 北海道出身で、現在は海外に拠点をおいて通訳をされているAyuさんですが、はじめて外国語に触れ、興味をもったきっかけは何だったのでしょう?


Ayuさん 小学生の時、北海道出身の宇宙飛行士・毛利衛さんの講演会に参加し握手してもらったことをきっかけに、語学を学んでいつかは宇宙に関係する仕事に就きたいと考えていました。その後私がはじめて「外国語」と出合ったのは、出身地の北海道・白糠町の中学校に通っていたころに始まった、英語の授業でした。最初の授業のとき、先生はすべて英語で話をされたのです。知らない言葉を浴びる快感を味わい「私も外国語を操れるようになりたい」という感情が沸き上がったことを覚えています。この頃に、私は同世代のイギリスの友人と文通をはじめました。イギリスから届く文通を通じて、異国から届く香りや文化を楽しむという中学生生活を過ごしたのです。


中学生のころから続いている、Freddie君との文通。「現在でも交流があり、5年前は北海道にも遊びに来てくれたんですよ」とAyuさんは嬉しそうに話してくれた。

− 中学生の時、通訳になる「きっかけのきっかけ」みたいな経験がすでにあったわけですね。中学を卒業したあとは、Ayuさんは白糠町の隣町・釧路市にある道内屈指の進学校に入学されて、なかなかアクティブな高校生活を謳歌されたと聞いていますが、それも語学に関わるものだったのですか?


Ayuさん いずれも今でも私の特技ですが、バドミントンや剣道、空手などのスポーツに熱中していました。今思えば確かに、ずいぶんアクティブな高校生活をおくっていましたね(笑)。


— 高校卒業後にタイミングで海外へチャレンジすることを決断されたそうですが、そのきっかけもそうした高校生活のなかで得たものなのでしょうか?


Ayuさん 高校2年生の時、進路指導の先生に「英語が好きだから、卒業後は海外に留学してみたい」と相談したところ、「日本の大学を出ないと就職が難しいから、日本の英文科を受験した方が堅実だと思う」というアドバイスを受けたんです。でも就職のために日本の大学を選ぶというのは「何か違うな……」と思っていて。


− そこで海外留学の道を突き進んだと……?


Ayuさん 実はそうでもなくて、勉強のモチベーションが上がらないままということもあり、受験した大学はすべて落ちてしまいました。来年、再受験するという選択肢も考えましたが、いっそのこと「大学に受からなかったことをチャンスと考え、海外に行ってしまおう」という気持ちになったんです。海外の学生と一緒に英語で授業を受けている自分の姿を想像するとワクワクしてきて、急に勉強のモチベーションが湧いてきたのを今でも覚えています。


環境を自ら切り拓いた、20代


UCLAを卒業したときのひとこま。(写真はAyuさん提供)

— 語学を学ぶため海外にわたる決断をされたわけですが、高校卒業後は即、海外に向かわれたのですか?


Ayuさん いいえ、高校卒業後は外国留学の前準備として東京の語学学校に進学しましたが、そこで新たなモチベーションを得る経験をしました。日本全国各地から、その学校に通うために集まった同級生は皆「留学が目的」ではなく「留学して語学を学んで、何をするか」という一歩先を考えていたんです。とても刺激的でしたね。最先端のIT技術を海外で学びたい人や、医療を学びたい人など、志の高い人と一緒に生活する中で、自分が変わらなきゃと想いを強くしたことを覚えています。その語学学校を卒業した2006年に渡米しました。20歳のときです。


— アメリカではどのように学び、どのような暮らしをされていたのですか?


Ayuさん 現地の学生と同様のカリキュラムで学び、短大を経て4年制大学であるUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に編入学しました。回答を丸暗記するだけの学びではなく、慣れない英語を駆使してネイティブの人々と意見交換をすることにかなり苦労しました。2011年、編入して1年で言語学の学士号を取得し卒業しましたが、自分で言うのも何ですが、ほんとうに寝る間も惜しんで学んだ1年でしたね。


− とても内容の濃い20代前半を過ごされたのですね。そのアメリカでの生活の中で、楽しかったことや特に忘れられないなどのエピソードを聞かせていただけませんか?


Ayuさん 5年間のアメリカ生活中は、留学生の多いシェアハウスで、さまざまな国の仲間たちと過ごしました。お互いつたない英語でディスカッションしながら、時には励まし合いながら。毎日がかけがえのない時間の連続でした。忘れられない経験といえば、スラム街で暮らす移民の方に英語を教えるボランティアですね。本当に治安の悪い地域で暮らす方々へのサポートでしたので、当然「怖い」という思いはあったのですが、自分たちが言葉を教えることで、その人たちの生活が改善するわけです。当然向こうも生活がかかっているので、必死に学びます。こちらもその思いに必死に答えます。ほんとうに貴重な体験をしました。


− 卒業後はアメリカでの生活を選ばず、異国での生活を選びました。どういった思いでの選択だったのでしょうか。


Ayuさん より深く英語を学ぶためにはアメリカに残る選択もあったのですが、日本の隣国・台湾の文化や英語と違う言語にもチャレンジしたくなったんです。そこでワーキングホリデー制度を利用して、現在も生活する台湾に向かいました。中国語はまったくわからない状態だったので、日本語学校で教員をしながら自分も語学学校に通いながらの生活です。その後就いた職場の縁で現地に暮らす台湾人の夫と知り合い、結婚しました。


磨いた語学力をビジネスに活かし、フリーランスの通訳士として活躍


現在は出産を機に、在宅でのフリーランスとして受注しているAyuさん。日本では「誰もが聞いたことのある」企業の専属通訳や雑誌インタビューの通訳としても活躍している。(写真はAyuさん提供)

— 結婚後に台湾で暮らす中で、生活や仕事上で困ったことなどがあれば教えていただけませんか?


Ayuさん 言葉を仕事にすることの難しさを感じた忘れられないエピソードがあります。コーヒー業界での仕事を請け負わせていただき、アフリカのコーヒー農園ツアーへ通訳として同行した際の出来事です。知らない専門用語や慣例・慣習を意味する言葉が立て続けに出てきて、内容が十分わからなかったことにショックを受けたのです。


アフリカのコーヒー農園を経営するパワフルな女性たちとのワンカット。通訳として世界で活躍できるようになりたいと改めて感じた瞬間だったと話された。(写真はAyuさん提供)

— 慣れない場所や業界だったため言葉の理解が不十分で、うまく通訳ができなかったということですか?


Ayuさん いいえ、数年身を置いた業界でしたので、ある程度は業界用語も含めてわかっていると思っていたのです。ですが満足いただける仕事とはいえず、クライアントさんにご迷惑をかけることになりました。言葉や単語の意味を知っているだけではビジネスは通用しないという、言語の「難しさ」を思い知らされた出来事でした。


※アフリカでの1枚。この仕事を通じ、通訳という仕事の奥深さを再認識したという。(写真はAyuさん提供)

— この「苦いきっかけ」が、さらにAyuさんの現在に活かされているのですね。


Ayuさん そうですね。苦い経験ともなりましたが「知らない言葉を浴びるって、やっぱり楽しい」と感じました。仕事をお受けする業界の用語も学ばないといけませんし、ビジネスシーン(展示会での製品紹介、マーケティング、ツアーガイドなど)によって、クライアントさんの求めに応じたお仕事ができるよう、現在も日々学んでいます。


道東と世界を結ぶ。言葉で「宇宙との夢の架け橋」になる


Ayuさんが大好きだと話す、幣舞(ぬさまい)橋からの「世界三大夕日と言われる、釧路の夕日」(写真はAyuさん提供)

— 2023年の夏、Ayuさんの夢の実現が進展した、大きな転機があったとお聞きしています。


Ayuさん そうなんです。札幌で行われた、台湾との交流のため活動している経済団体のレセプションへ参加のあと釧路へ帰省したときに、「北海道宇宙サミット2023」というワクワクするようなイベントが同じ道東・帯広市で開催されることを知ったのです。ほんと、予定を変えてすぐ行きました(笑)。そこで宇宙開発プロジェクトをスタートしたばかりの釧路市内の企業と縁があり、台湾企業との専属通訳として契約を結んでいただけたんです。


北海道宇宙サミット2023のひとこま。ここに参加したことが、Ayuさんが道東と台湾をつなぐ契機になった。(写真はAyuさん提供)

このレセプションに出席する直前に、私ははじめてAyuさんとお会いしたのですが、その直後に人生の転換点を迎えていたのですね。


Ayuさん ほんとに転換点でした。北海道の同じ道東でかけがえのない機会をいただけたことに「こんな運命があるんだな」と私自身が強く思っています。宇宙と関わる仕事がしたいという夢が、そして釧路の企業と台湾との架け橋となれることが、言語のお仕事を通じて叶うのですから。私はいつも通訳・翻訳という形で世の中や故郷をよりよくするために役立つことができたらと考えていたので、両方とも叶うなんて夢のような話でした。


ずっと憧れていた台湾のTASA(台湾国家宇宙センター)を訪問。夢がかなった瞬間だったという。(写真はAyuさん提供)

台湾のTASA(台湾国家宇宙センター)にて。商談通訳として活躍するAyuさん。(写真はAyuさん提供)

— 言語を通して夢が叶った訳ですが、ここで通訳という仕事の魅力を教えてもらえませんか?


Ayuさん 私の好きな言葉に、「Be kind, for everyone you meet is fighting a hard battle.」という言葉があります。古代ギリシアの哲学者プラトンの言葉で「親切でありなさい、なぜならあなたが出会う人は皆、それぞれ大変な戦いに挑んでいるのだから」という意味です。人々が困難と向き合いながら、闘いながら懸命に生きていく中で、素晴らしいアイディアや考えがあっても言語の壁があってコミュニケーションが難しい場面で、私の言語力が少しでも人々の助けになれれば最高にうれしいと思っています。


— 将来のビジョンといいましょうか、Ayuさん自身がいだく「これからの目標」を教えていただけますか?


Ayuさん 今は逐次通訳(※)として活動していますが、スキルを高めて将来的には、同時通訳士として社会貢献ができればと思っています。もっと地元北海道・道東や日本と、世界との架け橋になれればうれしいです。


※話し手がある程度の長さまで発言したあとに、通訳者がまとめて通訳する方法。


釧路に帰省した際。「子どもといつも一緒に居られるよう、在宅での仕事を選んだ」というAyuさん。(2023年8月撮影)

— 最後になりますが、地方都市で青春時代を過ごし自らの歩む道を自ら切り開き、日本から世界に羽ばたいているAyuさんから、似た境遇の若い世代の方に贈る言葉があれば、いただけないでしょうか。


Ayuさん そんな難しいことをお伝えするほどのことはないのですが(笑)。いま振り返って、白糠や釧路という地方都市で過ごした私が、人口減少が進む地域で暮らす若い世代の人たちに伝えたいのは「自分のいる環境を変えるだけで『当たり前』を変えることができるんだよ」ということでしょうか。高校生当時の私はそこに気付けず、模索する生活をおくりました。地方に住んでいるとチャンスが少ないのも事実ですし、良い指導者に巡り会えなかったこともあって、回り道もしたように思います。ですが「環境のせいにはしない。挑戦を恐れなければ、環境は変えることができる。チャンスはどんどん広がってくる」と自分を信じて進んでほしいと思います。


回り道をすることで、多くの経験も得ることができたと考えると、決して悪いことばかりでもありません。チャレンンジを繰り返し、経験を重ねることで、不安はどんどん小さくなっていきます。インターネット環境があれば、どこにいても世界とつながっています。情報もどこにいても同じだけ得られるし、学ぶことも容易です。私自身は今でも、居心地の良い場所にとどまらず、次のステップアップができる環境を探しながら、成長していきたいと思い続けています。


〇Ayuさんの個人ホームページ
https://ayuhasegawa.me/

ソトコト

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