伊藤比呂美「親友が死んだ」
2025年5月16日(金)12時30分 婦人公論.jp
(画=一ノ関圭)
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫3匹(メイ、テイラー、エリック)と暮らす日常を綴ります。今回は「親友が死んだ」(画=一ノ関圭)
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枝元なほみ、通称ねこちゃん。
間質性肺炎と診断されて、足かけ五年になる。ここ二年ほどは酸素吸入器を装着するようになり、そのままテレビで料理したり講演に行ったり、この姿を人に見せるのも自分のミッションだと言っていた。そしてここ数ヵ月は、入退院をくり返すようになった。それでも本人は復活するつもりだった。
あたしは毎日ねこちゃんにLINEした。食べ物の話をし、病状の話をした。あたしは外を歩き回って写真を撮って送った。空や雲、木や花や星や月。その返信がなかなか来なくなった。しばらくしてぽつんと「調子悪いんだけど心配しないで」と言ってきた。「心配してるよ」とあたしは答えた。
ねこちゃんにいちばん近い家族として寄り添って世話をしていたのが、義妹のさっちゃん。あたしは親友、準家族として、さっちゃんと連絡を取り合っていたのである。
二月の最後の週だった。「痛み止めのオピオイドを使い始めたから早く来たほうがいい。今ならまだ話ができる」とさっちゃんが知らせてきた。あたしは飛行機のチケットを買って家を飛び出した。
「来る必要なかったんだよ、さっちゃんは大げさなんだよ、あたしはまた復活するんだから、心配しなくていいんだよ」とねこちゃんは言った。「いや今日の夜、急に仕事が入っちゃってさ」とあたしはごまかした。
咳に喘いで息もできない、四肢はやせ衰えて横たわったまま動けない。死は遠くないと思いながら、今じゃないとも思う。上から見下ろしていると、親友が死につつあるというより自分が死につつあるようだった。
今でこそあたしはアメリカ仕込みのハグを人にしまくるが、若い頃は人にさわったり手をつないだりするのが好きじゃなかった。理由はたぶん母だ。小さいとき母の手をつなごうとして振り払われたことが何度もあったから。でもねこちゃんが病気になってから、あたしはねこちゃんをさわるようになった。頬を撫でる。額の生え際を撫でる。ねこちゃんはいやがらないで気持ちよさそうにしてるから、手を離さずにいつまでも撫でる。
だから二月のそのときも額を撫でた。そして「ねこちゃんにさわるの、楽しいね」と言ったら、「ひろみちゃんが楽しいんならよかったよ」と返してくれた。
楽しい楽しいと言いつのっても病室は閉塞的だ。長くいると、早く自分の空間に戻りたくてたまらなくなる。疲れ果てているに違いないさっちゃんをごはんに誘わなくちゃと考えながら、一人になりたい気持ちが勝って、あたしは先に病院を出て、泊まっているねこちゃんちに帰ったのだ。
近所に鰻屋がある。ガラス張りの、敷居のちっとも高くない店構え、一度テイクアウトしてねこちゃんと食べたことがある。その前を通ったらウエイターと目が合って、誘い込まれるように中に入った。いやいやあたしは食べ物屋に一人で入れないのだ。そば屋もうどん屋もだめなのだ。鰻屋なんてもってのほかだ。思わず入っちゃって、さあどうすると固まっていたら、するりとカウンターに導かれた。席に座って息を大きく吐いた。そして注文したのは鰻重の並、う巻きとうざくと煮凝りの盛り合わせ、グラスワイン。
あたしは誰かに言いたかった。ねこちゃん死んじゃうかもしれないんだよって。誰にも言えないから、鰻に言うか。
う巻きおいしかった。うざくもおいしかった。煮凝りおいしかった。ワインもおいしかった。一人で食べる鰻重の鰻は、あまくてからくて、やわらかくて、死んじゃうかもしれないんだよという思いでひたひたしている心に沁みた。
次の日あたしはまた一日病室で過ごし、夕方に病室を出た。「じゃあね、また来るよ」と言ったら、目を閉じたまま「じゃあね」と返してくれた。地下鉄に乗り、JRに乗り換え、モノレールに乗り換えて羽田に行き、熊本行きの最終便に乗った。
その次の日には、少し上向きとさっちゃんから報告が入ってほっとした。でも二日ほどでまた悪くなり、苦しさが増し、痛み止めの薬も強くなりと報告が続いて、あたしは東京に出た。「昨日はもっと苦しそうだった。もう終わりにしたい、さっちゃんありがとうっておねえさんがはっきり言ってくれたのよ」とさっちゃんが涙ぐんだ。
その夜、ねこちゃんちに帰って、寝たかと思ったら電話が鳴って、さっちゃんが「病院から連絡があったんです、私たちも今向かってます」と言った。動揺しているのにどこか冷静な、遠い不思議な声だった。
病室に入ったら、ねこちゃんは静かになっていた。ぜいぜいもひゅうひゅうもなくなっていた。酸素を送る機械は止められていた。部屋全体がほんとうに静かだった。あたしは静かな腕を取ってゆっくり撫でた。生きてるように温かった。
あたしは泣くこともない。ただぽかーんとしている。何週間もかけて、いろんな人に少しずつ知らせた。いろんな人が少しずつ返してくれた。少しずつねこちゃんが死んだってことを共有していった。生きたってことも共有していった。
LINEで長女のカノコが「お母さん話し相手がいなくなっちゃったけど、話したかったらいつでも言ってね」と言ったのが、鰻みたいに、心に沁みた。そのときは少し泣いた。メールで、うえのさん(上野千鶴子さん)が「肉親は理解者ではありませんが、親友は理解者ですからね」と言った。それも鰻。