愛子さま22歳の旅立ち。誕生から紺色の袴姿での学習院大学卒業まで。皇室ジャーナリストが写真と共に振り返る

2024年5月16日(木)12時30分 婦人公論.jp


卒業式の前に、晴れやかな笑顔で取材に応じる(写真提供:ロイター/アフロ)

2024年3月20日、学習院大学をご卒業された愛子さまは、内親王殿下としては珍しい袴姿で式に臨まれた。進学や留学など研究の道へ進まれると予想する声もあったが、4月1日から日本赤十字社の嘱託職員として勤務されている。成長に寄り添ってこられた天皇皇后両陛下、そして愛子さまのお気持ちとは。写真とともに、皇室取材を重ねてきたジャーナリストが振り返る

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春風とともに「就職」の道へ


天皇皇后両陛下の長女・敬宮(としのみや)愛子内親王殿下は社会人としての一歩を踏み出された。日本赤十字社の嘱託職員として〈日頃から関心を寄せている日赤の仕事に携われることをうれしく思う〉(愛子さまの就職内定を受けてのお気持ち)というご希望を抱かれて、ご自身で選択した道だった。

23年秋頃から日赤という具体的な就職先を心に決められたところ、両陛下も「とてもいい考えではないか」と背中を押されたというが、愛子さまの「福祉」に対する思いは幼い頃から自然と育まれたものだった。

学習院大学日本語日本文学科の授業でも「福祉」を履修なさり、この就職に仕事としても皇族のご活動としても活かせる接点を見出されたのだろう。

3月20日に迎えられた大学の卒業式で、愛子さまは生きいきとしたご表情だった。桜色の花模様の本振り袖と紺色の袴姿。内親王殿下が袴をお召しになるのは珍しく、紀宮内親王(黒田清子さん)や秋篠宮眞子内親王(小室眞子さん)、佳子内親王も、大学を卒業なさった時は洋装だった。

意外な装いに記者団も驚きを隠せなかったが、袴姿はお友だちと合わせたいという愛子さまのご希望で、髪飾りは桜を模った、春らしいものだった。

記者団から大学での日々を問われると、「最初の3年間はオンライン授業で、最後の1年はこのキャンパスに通い、たくさんの新しい学びを得て、充実した4年間を過ごすことができました。素晴らしい先生方や友人たちと出会えたことも嬉しく、またありがたく思っております」と笑顔でこたえられた。

この日は春風が強く吹いていて、愛子さまの振り袖を時折揺らした。

「実はこの本振り袖は、雅子さまとご一緒に愛子さまが選ばれたそうなんです。菊や梅、桜などがあしらわれた伝統的な花模様で、お二人は派手なものよりレトロな雰囲気を好まれたのでしょう。雅子さまは、成人を迎えられた1983年にはハーバード大学在学中でした。ご両親もモスクワにいらっしゃったため成人式に着物姿で記念撮影をした思い出はないと言われ、卒業式も洋装で大学の角帽にマントを羽織るお姿だったことから、愛子さまには着物を着てほしい思いがあったのではないでしょうか」(小和田家を知る人物)

愛子さまが袴をお召しになったのは、17年ぶり。4歳の時に一般の七五三にあたる「着袴(ちゃっこ)の儀」で、当時の天皇皇后両陛下から贈られたものだった。

幼稚園に入園されてからも着物の柄にご関心が高く、絵本などに出てくる人物の衣服に興味を示された。大好きだった相撲観戦では行司の軍配や印籠、脇差などの装束の名称や由来を、皇太子(当時)からお聞きになったといわれる。

また、昔話を通じて、「せっしゃ」「わらわ」といった古来のことばを遊びのなかで使われていたという。


02年3月13日、愛子さまを抱いてお宮参りにお出かけになる雅子さま(写真提供:ロイター/アフロ)

両陛下は特別な環境で育つ愛子さまに、同世代の子どもたちとの触れ合いが大切とお考えになってきた。

「普通子供は、例えば親と一緒に買い物に行くなどの日常的な営みの中で自然と他の子供と出会ったり、様々なものを見て、また、様々な刺激を受けながら育っていくものではないでしょうか。このような場所にいながら、そういう環境をどうやって作っていくかというのが大きな課題です」(皇太子殿下44歳お誕生日の会見)

外に出るとマスコミや人が集まってしまい、自然な出会いは難しかった。両陛下は東宮御所に愛子さまのお友だちを招かれるようになり、ご一緒に運動したり、縁日を開くなど工夫を惜しまなかった。愛子さまに遊びのなかからお友だちへの思いやりなど情緒を育ませたいと願われたのかもしれない。

お子さまのご年齢によって環境も変わるため、愛子さまが学習院初等科に入学されると、両陛下は皇族としての教育より学校生活や勉強を優先させたいと考えられた。1年生でできるようになった縄跳びを御所で毎日練習した結果、二重飛びができるように。愛子さまは身体を動かすことが大好きだったという。得意な教科は「国語」で、音読や漢字の書き取りを毎日なさった。


チェロをたしなまれる愛子さまは、学習院初等科でバスケットボール部のほか管弦楽部にも入部(写真は12年4月、オール学習院大合同演奏会で)。東日本大震災を受け、この頃の愛子さまは節水や節電に積極的に取り組まれた(写真提供:ロイター/アフロ)


2024年、天皇誕生日の一般参賀で(写真提供:ロイター/アフロ)

「負けず嫌いというより用意周到に取り組まれているご様子で、皇族として手本になりたいというご自覚が備わっておられるようでした。不規則登校になったこともありましたが、学習院女子中等科に進学を控えた初等科6年生の時には、受験で入学してくる外部生の存在を意識され、集中して勉強なさっていたそうです」(同級生の母親)

大量の宿題と復習や予習に追われ、深夜まで勉強して朝起きられずに学校に行けなくなったり、遅刻したりすることもあった。

学習院大学卒業前の宮内記者からの質問に回答された文書にも、中世の女流歌人を取り上げた「内親王とその和歌の研究」という題で執筆をなさった卒業論文について、「調べる資料や範囲が膨大で、一つのことを調べていると、次から次へと調べなければならない事柄が出てきてなかなか終わらず、特に締切りが近づいた昨年末は、気が遠くなるような毎日を過ごしておりました」と述べられており、探究心と何事にも丁寧に取り組まれるご性格が表れていた。

そんなご性格だからこそ、卒業後は大学院でさらに日本文学の研究を続けられるのではないかと記者たちも私も思っていたが、宮内庁は今年1月、愛子さまが日赤の嘱託職員として勤務されることが内定したと発表した。

コロナ禍で大学生活の大半は通学できなかったが、最終学年の1年間はキャンパスライフを楽しまれた。「以前は当たり前であったこれらのことがいかに尊いものであるのか、実感することとなった」と同文書でお気持ちを述べられている。

愛子さまは、常に「今」という現実を受け入れ、真摯に取り組まれてきた。これからも公務と日赤での仕事を通じて、国民に寄り添っていかれることだろう。

婦人公論.jp

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