作家・渡辺淳一没後10年、浅田次郎が思い出を語る「正直で、華やかな方でした」

2024年5月16日(木)12時30分 婦人公論.jp


2024年4月19日に開催された作家・渡辺淳一さんを偲ぶ「ひとひら忌」壇上で挨拶する浅田次郎さん

『阿寒に果つ』『ひとひらの雪』『失楽園』『鈍感力』などで知られる作家・渡辺淳一さんを偲ぶ「ひとひら忌」が2024年4月19日、都内で開催された。この会は、渡辺さんが2014年4月30日に79歳で死去して以来、〈藪の会〉と呼ばれる担当編集者らを中心に開催されてきた。没後10年にあたる今年は、直木賞や中央公論文芸賞などで共に選考委員を務めた作家の浅田次郎さんが、会の冒頭で在りし日の渡辺さんとの思い出を語った

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渡辺淳一と三島由紀夫の共通点


私は元来「不義理不人情」でして、今回「渡辺淳一先生没後10年の年に講演を」と声がかかった時には「まさかこれまで9回欠席していきなり講演をすることになるのか」と思ったのですが、毎年この会に参加する作家は講演者1人ずつだそうで、一安心いたしました。


帝国ホテルで開催されたお別れの会には、出版界、芸能界だけでなく、多くのファンも参列した(提供◎藪の会)

渡辺淳一先生は昭和8年生まれで、私の母と同い年でした。私も作家になる前の20代の頃から、先生の作品をよく読ませていただきました。時折新聞広告で見かけるお姿は、当時の文学青年たちが憧れた文士の風貌そのものでした。

大先輩に向かって生意気ですが、御作を読み進めるにつれ「正直な作家」という印象を強く持ちました。小説において、まったくの嘘話を書かない。自分の体験したこと、あるいはその周辺のことを小説とする書き手だと感じていました。

私は特に初期の医療ものの小説が好きでした。渡辺先生はご自身が医師でしたので、実際に見聞きされたであろう現場の風景からは、小説にとって大事なことを教えてもらいました。私は濫読なもので、タイトルを思い出せないのですが、若い医者が心臓マッサージをしながら話し合う作品があるんです。こんな場面でも人間がこんな話をするのか、と強く印象に残っています。

さらに前の世代にさかのぼると、三島由紀夫が同様の作家だったように思います。三島さんの代表作と言われる作品は、自分の至近に起きたことや、何か実際に起きた事柄を元にしたものが多いです。一方の私は、いかに壮大な嘘話を書くかを日頃から考えているので、真逆のタイプかもしれません。


代表作の1つ、自伝的小説『阿寒に果つ』(中央公論新社)


在し日の渡辺淳一先生(提供◎藪の会)

胸に刺さり続ける選評の一言


渡辺先生は小説の中だけでなく、人間としても正直な方でした。思い出すのは、2007年に私が直木賞選考委員になった時のこと。元々の選考委員の、五木寛之先生、井上ひさし先生など、先輩のみなさんにご挨拶に行ったら、渡辺先生が開口一番「なんだ、あなたはこないだ(賞を)取ったばかりじゃないか」と。

私はとっさに反応できませんでした。

「受賞したばかりなのに選考委員になるなんて能力があるんだな」という意味にも、「取ったばかりのあなたにはまだ荷が重いんじゃないか」という意味にも取れたからです。ですがおそらく、正解はない。渡辺先生は正直にその時感じたことを口に出しただけなんです。他意は全くないのに、受け取る側はいろいろ考えてしまう。渡辺先生との会話は、こういった言葉に埋め尽くされていました。

一番私の胸につき刺さっているのは、1996年、私が『蒼穹の昴』で初めて直木賞にノミネートされた時の渡辺先生の選評です。

「この作品は、何かが書けている」。これは私にとっては刺さり続ける棘のような言葉です。渡辺先生が感じた「何か」とは何なのか。本作を含むシリーズは今も続いているので、読み返すたびこの言葉の意味を考えてしまいます。

ただ、自分が選考委員になって考えたのは、『蒼穹の昴』は文庫で分冊したら4冊にもなる大長篇で、当時の直木賞候補作のなかで最も分厚かったはずです。当然渡辺先生はお忙しい。なのに1ヵ月かそこらで、他にもあと4、5冊候補作を読まなければならない。だとすると、浅田次郎という人間には、最初から悪印象を持っていたでしょう。(笑)


ノーネクタイの時にはお気に入りのブローチをつけて(提供◎藪の会)

華やかな大先輩


渡辺先生は、もっとも後輩の面倒をよく見た作家かもしれません。文学賞の贈賞式など、公の席にはいつも出席されて、若い作家とも親しくしてくださいました。とても華やかで、作家としての振る舞いの手本となってくれる人でした。

当時は文藝春秋主催の「先輩作家と後輩作家による講演会旅行」というものがありました。この企画で一度、渡辺先生と、長崎にご一緒させていただいたんです。これは若手作家にとって非常に意義深いことで、学ぶことの多い文化事業でありました。とても楽しい思い出ですが、旅の最中に渡辺先生は、なぜかずっと電話をしていました(笑)。果たしてどこに、誰に電話をかけていたのか。正直な方ではありましたが、謎の多い方であったことも間違いありません。

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